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大洪水
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目次

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配信サービス配信状況無料期間と料金
Netflix見放題なし 790円(税込)〜 1,980円(税込)
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大洪水が配信されているサービス詳細

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大洪水

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配信状況無料期間と料金
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大洪水の作品紹介

大洪水のあらすじ

舞台は地球最後の日。大洪水に襲われた地球で、浸水していくアパートで生き残りをかけて奮闘する人々を描くSFパニック映画。「梨泰院クラス」のキム・ダミと「イカゲーム」の パク・ヘスという最強コンビが災害に直面した人々の葛藤を生々しく描き出す。 Netflixで2025年12月19日から配信開始

大洪水の監督

キム・ビョンウ

大洪水の出演者

キム・ダミ

パク・ヘス

原題
대홍수/The Great Flood
製作年
2025年
製作国・地域
韓国
上映時間
108分
ジャンル
SFパニック

『大洪水』に投稿された感想・評価

kuu
3.5
『大洪水』
原題または英題 The Great Flood
製作年 2025年。上映時間 108分。
製作国 韓国。 配信 Netflix
大洪水が押し寄せるマンションから決死の脱出を図る母子の運命を予測不能な展開で描いた、韓国発のSFパニックスリラー。

昨今の異常気象や災害がニュースの国外の話やなくなってきた。
今、この『大洪水』が突きつけてくる水の描写はリアリティと緊迫感はありました。
VFXの精度や閉鎖空間をフルに活用した演出は、配信クオリティの限界を軽々とアップデートしてるし、作り手のガチな姿勢が伝わってくる、まぁ解像度の高い一作やったのは間違いないと思います。

​鑑賞後、エモさで泪があふれ、胸がいっぱいになる!!
。。。ちゅうよりも、どっか整ったような静かな感覚が残るのは、今作品が単なるパニック映画の枠を超えた、ハイエンドな思考実験やったからかな。
濁流って本能的な恐怖を入り口にしながら、いつしか物語はSF的なロジックの迷宮へと鮮やかにシフトしていく。
この予測不能なパラダイムシフトは、単に感情を消費させるのではなく、観る側のリテラシーを刺激するよな、クリエイティブな仕掛けとして機能してはいました。

​主演のキム・ダミが放つ、凛とした知的な佇まいもまた、作品の質感を一段とブーストさせていたし、彼女が演じるキャラが持つ絶望の中でもバグらない強さは、一緒に怯えるための余白を与えないほど善かった。
しかし、その隙のなさこそ、パニックに翻弄される姿を眺めるのじゃなく、過酷な運命を冷静にハックしていくプロセスを共にするっていう、現代的なヒロイン像を成立させていました。

​感情を揺さぶられる泥臭い体験ってよりは、極限状態のシミュレーションを俯瞰して楽しむよな、この冷ややかな手触りかな。
それは、ウェットな人間ドラマとは一線を画す、テック時代らしいエンタメの到達点と云えるんかもしれません。

​一晩経てばスッと熱が引いていくよなこの感覚は、決して物足りなさやなく、むしろ情報の純度が高すぎて、余計なノイズが残らなかったっていう証やろし、重苦しい余韻を引きずるのやなく、緻密な設計図を読み解いた後のような知的な満足感を与えてくれる。
そんなドライでスマートな読後感(観後感?)こそ、今の時代にフィットするこの映画の正体やったと云えそうです。
上映時間 108分。
サクッと観れる作品でした。


あらすじ等。
シングルマザーで研究者のアンナは、6歳の息子ジャインとソウルの巨大マンションで暮らしている。ある朝、目を覚ますと外は大洪水に見舞われており、3階にあるアンナたちの部屋もすぐに浸水が始まる。準備をする余裕もなくジャインを連れて部屋を飛び出すアンナだったが、通路も階段も避難する住人たちであふれかえり、パニック寸前に陥っていた。アンナはジャインを守りながら必死に上層階を目指すが、その背後ではある重大な任務が進められていた。

「The Witch 魔女」のキム・ダミが主人公アンナ、Netflixドラマ「イカゲーム」のパク・ヘスが母子を助ける謎の男ヒジョを演じ、「デシベル」のパク・ビョンウン、「白頭山大噴火」のチョン・ヘジンが共演。「テロ,ライブ」のキム・ビョンウ監督がメガホンをとった。Netflixで2025年12月19日から配信。
この映画は、とあるAI研究員の物語。
​舞台設定は、小惑星の衝突により南極の氷が融解し、地表のほとんどが水没し始めた地球。
AI研究員のアンナは、ソウルの高層マンションの3階で、幼い息子ジャインと平穏な朝を迎えるはずだった。
しかし、一瞬にして押し寄せた濁流により建物は孤立。
浸水する部屋から脱出を試みるが、パニックに陥った住民たちに阻まれ、絶望的な状況に追い込まれる。

​そこへ、アンナを「人類を救う鍵」として救助に来た謎の男ヒジョが現れる。
荒れ狂う水の中で息子を守ろうと必死に抗うアンナだったが、未曾有の災害の裏には、人類の存続を懸けた驚くべき計画が隠されており、、、というお話。

​水が建物内に侵入するスピード感や、濁流の質感など、
水害ディザスターパニック作品でクオリティが高く、呼吸を忘れるほどの緊迫感があった。

​パニック映画だと思って観ているうちに、中盤からSF的な複雑な展開に進んでいく。
「AIの感情」を巡るテーマの映画だった。
​逃げ場のない高層マンションという設定が、パニック描写に独特の恐怖と緊張感を与えていた。

​ただし!
(ΦωΦ)フフフ…

ちょっと​構成が複雑過ぎて、難解な印象が強い作品でもあった。
1回観ただけじゃ全容が分かりにくい。
タイムリープやSF設定が絡む後半は難解で、ストレートな災害脱出劇を期待していると、
思ってたんとちが〜う的な感想になるかもしれない。

​緊迫した状況下での子供の「子供じみた行動」も、なかなかストレス強めでイライラした。
「なんやコイツ、躾のなってないクソガキだな、、、」
(・д・)チッ
と、何回も舌打ちした。

さて。ここから私の独自解釈になるのだが。
( ´ー`)y-~~ネタバレダヨー

物語の​途中から、どうやらこの災害は最初の1ターン目だけが現実に起こったっぽい事で、
2ターン目以降は何度も何度も繰り返し同じ状況が起こっている事、
しかも非現実的な世界の話であるっぽい事、
本物の親子ではないっぽい事、過去のトラウマ的な体験ですら、仮想の出来事っぽい事が判明する。

( ゚д゚)ハッ!

「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」みたいなループモノ?(笑)
工エエェェ(´д`)ェェエエ工

そこに「AIの学習」という要素が絡んでくる。
何度も同じ出来事を繰り返す事で、AIが「何か」を学習している話だなと気づく。

何を繰り返しているかというと、主人公の母親が「試練」を繰り返している。
育児であったり、家族との死別であったり、災害による人命救助であったり。
そういうものを何パターンも繰り返すのだが、最後のオチはいつも大体一緒で、
信用してた人に騙され子供を捨てて終了。
これを繰り返すうちに、段々と「子供を救いたい」という感情が強まり、
つまり「母性」に目覚めていく。

母性が強まるほど記憶も思い出し、失敗を繰り返すほどに、
子供の救出という目的までの過程が洗練されていく。
この洗練された感情というものが、「種の保存」という、動物が本能的に持っている性質を育む。
つまりこれは、、、

映画「MONDAYS」や「カラダ探し」のループ要素を駆使して、
「AIにチョメチョメを本能的に学習させている映画」なのだろう。

( ゚д゚)ハッ!

チョメチョメ撲滅運動の敵性映画やんけ!!!
(;゚皿゚)ノユルセン!!

人類の種を残すという事は、クソみたいな人間の醜い性(さが)や業(ごう)を残す事と同義である。
本当にそれは良いことで素晴らしい事なんだろうか。
でもそれを否定してしまうと、行き着く先は反出生主義になってしまう。

人類は生き残るべきか、あるいは、絶滅すべきか。
はたまた、人類に模した感情AI搭載の人工生命体の人間なら、
その諸課題を乗り越えられるのだろうか。
考え始めたら頭が痛くなってきた。あ〜、チョメチョメしたいなあ、、、
┐(´д`)┌
本作は、地球規模の大洪水によってソウルが水没していく中、研究者のアンナが幼い息子ザインとともに高層マンションからの脱出を図る場面から幕を開けます。下層階から迫る濁流、機能を失っていく建物、そして混乱する住民たち。そこへアンナを救出する任務を帯びた保安要員ヒジョが加わり、物語は緊迫感あふれる閉鎖空間型のディザスター・スリラーとして動き出します。

序盤は、この「水没していく高層マンション」という明快な舞台設定を最大限に生かし、母子の脱出劇としての緊張感を着実に積み上げていきます。極限状況下で次々と危機が連鎖していくため物語の入り口は非常に分かりやすく、純粋なディザスター映画として視聴者を素直に引き込む力を持っています。

一方で、物語が進むにつれて作中で扱われる要素は急速に増えていきます。そこには「単なる災害映画に収まらない作品を作ろう」という確かな野心が感じられるものの、結果として焦点が定まりきらず、序盤のシンプルな推進力を次第に削いでしまった印象は否めません。より大きなテーマへ踏み込もうとする姿勢自体は興味深い反面、それらを一本の映画として整理しきれていない粗さも目立ちます。

そのため本作は、発想の面白さ以上に、要素の「組み合わせ方」への見解によって評価が大きく分かれる作品と言えるでしょう。扱おうとしている問題自体は決して小さくないものの、その壮大な広がりに対して人物描写や物語の展開が十分についていけているとは言い難く、視聴後には「野心と完成度のあいだに残る距離感」が強く印象に残りました。


※以下、ネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。





























中盤以降、アンナたちが直面している大洪水からの脱出が「一度きりの現実ではない」という衝撃の事実が明らかになります。滅亡へ向かう人類は、人工的な肉体や精神を作り出す技術を確立させながらも、「人間の感情」だけは十分に再現できずにいました。その欠落を埋めるために行われていたのが「Emotion Engine」と呼ばれる研究であり、洪水という極限状況そのものが、感情を形成・獲得するための巨大なシミュレーションとして利用されていたのです。

この種明かしによって、本作は「災害からのサバイバル映画」から、「人間の感情はどこから生まれるのか」を問うSFへと大きく舵を切ります。感情をあらかじめプログラムできる情報としてではなく、失敗や喪失、他者との関係性を繰り返し経験する中で形成されるものとして捉える発想は非常にユニークです。アンナの衣服に表示される数字が試行回数を示し、2万回を超える反復が積み重ねられていく構造も、単なるタイムループというよりは「機械学習の過程を人生そのものへ置き換えたメタファー」として読み解くことができます。

つまり、前半の「洪水」と後半の「AI」は、決して無関係な要素ではなく、テーマの上では密接に結びついています。洪水による旧世界の滅亡、反復を通じた感情の学習、そして人工生命による新人類の誕生という一連のプロセスは、マクロな視点で見れば一本の線でつながっています。また、すべてを破壊する脅威であると同時に生命の源でもある「水」の二面性は、まさに滅亡と再生を描く本作の主題を見事に体現していると言えます。

しかし、「設定として論理的につながっていること」と「一本の映画として自然につながっていること」は別問題であり、本作の最大の弱点はまさにそこにあります。

前半では、水の圧力や狭い通路、呼吸の苦しさといった具体的な「身体感覚」が確かな緊張感を生み出していました。ところが後半に入ると、その物理的な緊張感は、複雑な世界観やシミュレーションの規則を理解するための「情報処理」へと置き換わってしまいます。映画の楽しみ方自体が、身体で感じるサバイバルから、設定を整理して意味を読み取る頭脳的なSFへと急激に切り替わるため、結果として前半と後半の間に大きな段差が生じてしまっているのです。

決してジャンル転換そのものを否定しているわけではありません。むしろ、本作が凡庸なディザスター映画に収まらないためには不可欠な転換だったとも言えます。問題は、その大胆な変化を支えるだけの「人物の感情の積み重ね」が不足している点にあります。そのため、後半で作品の真の構造が明かされても、それまでの物語が豊かに反転・更新されるというよりは、「実はこういう設定でした」と淡々と説明されているような感覚が否めません。「伏線が回収されること」と「ドラマとして感情がつながること」が同義ではないことを、痛感させられる展開でした。

この「感情的なつながりの希薄さ」は、息子ザインのキャラクター造形にも表れています。前半、彼は危機的状況にもかかわらず突発的な行動を繰り返すため、子どもとしての自然さを欠いているように映る場面が多々あります。もちろん後半になれば、その不自然さ自体が彼の存在に関わる伏線だったと理解はできます。しかし、種明かしによって論理的な理由が判明したからといって、視聴中に抱いたキャラクターとの心理的な距離感までが都合よく消え去るわけではありません。SF的な仕掛けとしては成立していても、一本の映画の登場人物として魅力的に描けていたかという点においては、大きな疑問符が残ります。

アンナを救出するヒジョについても同様のことが言えます。序盤こそパク・ヘスの圧倒的な存在感によって「アンナを導く頼もしい人物」として成立しているものの、世界観が拡大していくにつれて、彼個人の輪郭はみるみる薄弱になっていきます。物語のスケールが人類の存亡や新人類の誕生へと広がっていくのと反比例するように、目の前にいる登場人物たちが「何を恐れ、何を求めているのか」という切実な動機が見えにくくなっていくのです。人間の感情を主題に掲げながら、物語が進行するほどその感情を支える人物描写が希薄になっていくという、皮肉な矛盾を本作は抱えています。

そして、その矛盾が最も顕著に表れてしまっているのが、本作の中心テーマとして置かれた「母性」の描き方です。アンナは数万回にも及ぶ経験の反復の果てに、自身の生存よりもザインを救うことを選ぶようになります。合理的な判断を捨ててでも、自己を犠牲にして他者を守り抜く。その「非合理性」こそが人間の感情の証明であるとするアプローチには、確かに一定の美しさが宿っています。また、母性を最初から備わっている生得的な本能としてではなく、ザインとの関係性を繰り返す中で徐々に獲得されていくものとして描こうとした試みは、本作の非常に興味深いポイントです。

一方で、「人間とは何か」という壮大で根源的な問いに対して、最終的な解答を「自己犠牲的な母性愛」のみへ集約させてしまったことには、どうしても窮屈さを感じざるを得ません。現実の人間の感情には、愛だけでなく、恐怖、嫉妬、怒り、罪悪感、利己心など、無数の矛盾した要素が混在しています。AIとの対比によって人間の複雑さを浮き彫りにしようとするのであれば、「子どものために自分を犠牲にできる」という単一の選択だけを人間性の到達点として設定することには、もっと慎重であるべきだったのではないでしょうか。

さらに掘り下げて考えると、このシミュレーションの構造自体にも奇妙な問題が浮上します。設計者である人間側が「自己犠牲」を望ましい感情としてあらかじめ設定し、その正解データを得るまで何万回も喪失や死を反復させている構図です。果たしてそこで形成された感情は、本当に自由な意志によって獲得されたものと呼べるのでしょうか。それとも、与えられたゴールに到達するよう調整された、単なるアルゴリズムの最適化に過ぎないのでしょうか。本作はAIと人間の境界線という深遠なテーマを提示しておきながら、この決定的な矛盾に対しては十分に立ち止まることをしません。人間側が用意した価値観を疑うことなく「当然のゴール」として処理してしまったことで、せっかく切り開いた倫理的な問いを自ら途中で閉ざしてしまったような勿体なさを感じました。

演出面に目を向けると、やはり前半のパニック描写の方が本作の強みを素直に引き出せていたと言えます。水が押し寄せるスピード感、濁流の圧倒的な重さ、そして徐々に逃げ場を失っていく緻密な空間設計には本物の迫力があり、実体のある水を用いた撮影とVFXの融合も見事な重量感を生み出しています。そこへキム・ダミの泥臭く身体的な演技が重なることで、本作の「水」は単なる背景美術にとどまらず、人間を容赦なく押し流し呼吸を奪う具体的な脅威として、生々しく立ち上がっていました。

主演のキム・ダミ自身も、バランスを崩しがちな作品全体を根底で支える重要な大黒柱となっています。濡れた衣服の重さや極限の疲労、荒い呼吸といった肉体的な消耗をリアルに積み重ねることで、アンナの内面的な変化を雄弁に物語っていました。冒頭から分かりやすい献身的な母親像を演じるのではなく、ザインとの間にどこかぎこちない距離感を持たせた状態からスタートし、過酷な反復を経て関係性が深化していく過程を見事に体現しています。その移行を過剰な説明台詞に頼ることなく、表情の機微や身体の疲弊のみで表現しきった点には、確かな説得力がありました。

ただ、その見事な身体性も、後半に進むにつれて観念的なSF設定の中へと徐々に埋没してしまいます。シチュエーションの反復が増えることで映像的な新鮮味は次第に薄れ、皮肉なことに世界観の謎が深まり複雑になるほど、画面そのものが持っていた原始的な緊張感は削がれていってしまいました。前半であれほど力強く「身体で感じる映画」を作り上げていただけに、その最大のストロングポイントを最後まで主題と結びつけ切れなかったことが、ただただ惜しまれます。

総じて本作は、ディザスター映画、AIをめぐるSF、そして母子のドラマという複数のジャンルを掛け合わせながら、「人間の感情とは何か」という根源的なテーマを問いかけた、非常に野心的な作品です。水を用いた恐怖の映像表現や閉鎖空間におけるサスペンス、キム・ダミの魂を削るような身体的演技、そして「感情を経験の蓄積として捉える」というSF的発想など、個々の要素にはそれぞれ明確で素晴らしい見どころが存在します。

しかしその一方で、あまりにも多くの要素を抱え込みすぎた結果、前半と後半は「思想の上」では確かにつながっていても、「映画体験」としては十分に融合しているとは言い難い状態に陥っています。世界観が壮大に広がるほど登場人物たちの個人的な輪郭がぼやけてしまう点や、「人間性」という巨大な問いの答えを「自己犠牲的な母性」へとやや強引に収束させてしまった点など、一本の映像作品の枠内では整理し切れていない綻びが少なくありません。

決して安全なジャンル映画の枠に収まろうとせず、未知の領域へ踏み込もうとした果敢な姿勢は高く評価すべきでしょう。しかし、その高いハードルとなる挑戦を最後まで支え切るだけの「物語の推進力」と「人物描写の厚み」が追いついていなかった。凡庸さを避けようと背伸びをした野心が、かえって作品全体のバランスを崩す結果を招いてしまったことが、本作の最も惜しまれる点だと感じました。

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