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100 サンセット
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『100 サンセット』に投稿された感想・評価

Omizu
3.4
【第38回東京国際映画祭 ウィメンズ・エンパワーメント部門出品】
カナダのクンサン・キロン監督の長編デビュー作。トロント映画祭に出品され受賞、東京国際映画祭にも出品されている。

トロントで暮らすチベット系カナダ人のコミュニティを描いた作品。二人の女性の関係を過不足なく演出している。自身の経験も踏まえられているのだろう、時にリアルに、時にファンタジックに描いておりなかなかいい。

ビデオ映像を通したメタ的な構造も面白い。二人の女性を分かつものは何なのか、それを誌的に描き出している。
東京国際映画祭にて。
就活のついでに時間あったので。
初めての東京映画館、映画祭、トークショー。雰囲気だけでも楽しかった。
シャンテのスクリーン、ネット上ではボロクソに書かれてたけど思ってたよりマシだった。


ビデオカメラ越し、窓越し、電車越し。何か''フィルター''を通した視点が目立っていた。
ビデオカメラ、僧侶と盗人の物語、盗み、金、越境、走る、秘密。
話の目的が見えず序盤は少し退屈に思えたが、一つ一つの要素がクライマックスへ向けて再び現れ積み重なっていき。
結果的に自分好みの映画だったかな。
ラストのセリフに尽きる。
''彼女''は救われたのか。それとも取り残されたままなのか。
これは観るたびに好きになっていく作品ではないだろうか。

人物同士の声が似ている、口元の動きがあまり読めないといったことから、今誰が話しているのかパッと分からない場面が。
あと、「綺麗なままではいられない」的なセリフあたりが少しモヤッと。あの前後の行動の意図が上手く読み取れない。読み取る必要はないのかもしれない。

なんと監督登壇のQ&Aもあった。
ここで初めて知ったのだが、本作は「ウィメンズ・エンパワーメント」部門だそう。なるほど、閉鎖的社会からの解放、自己からの解放といったことが読み取れる。

【️Q&A】
Q&Aで記憶にあるものをいくつか。
・カナダにはリトルチベットとも呼ぶべき600人程度のチベット移民が住む場所がある。サンセットタワーという実在する住居から本作の発想を得た。

・2012~2017年頃(?)チベットからカナダへの移民の波があった。本作のキャストは、撮影の数ヶ月前に移住してきたばかりの方だった。

・Q.20歳女性と50歳男性の夫婦が登場するが、何か意図をもってのことか。
A.歳の差夫婦はよくあること。(つまり意図は特にない?)

・Q.映画内に登場人物に近しいカナダ人が登場しない(=ほぼチベット移民)が、これは現実を持ってきたのか。
A.現実をそのまま映画で表した、というと少し誇張かもしれない。が、飲食や生活等、カナダ人に会わなくても全てが完結するほど大きなチベット移民コミュニティである、ということ。

・Q.カナダの雪景色が美しかった。やはり力を入れたのか。個人的にカナダといえばオーロラだから、オーロラが入っていたらもっと良かったのにね(笑)
A.力入れてた。(温暖化の影響で?)雪が全て解けてしまった時にはまた別の場所へ移動して撮影した。
(私個人としては雪景色を美しいものとは捉えず、薄汚れたくらいものとして捉えていたので驚いた。降り積もった雪より空に意識を持っていかれていた?)

・Q.越境は、チベット→中国、チベット→カナダ、カナダ→アメリカ どれを表しているのか。
A.(忘れました)
越境(クロスボーダー)、ドクティと呼ばれるマネーロンダリングが印象的だった。

・Q.主人公は盗みを働くが、何を表象しているのか。
A.複雑な人、人間関係が好き。
最初、主人公はあまり喋らない。だから彼女の行動で心情を伝える。盗む行為は彼女の表現手段。
ビデオカメラ、ネックレス等、対象がお金になるものというより思い出(記憶)に関わるものが多かった。それが劇中で札束を盗むことになり、ようやく倫理的な問題へと。
盗むという行為に善し悪しを定めているわけではない。あくまでひとつの表現手段に過ぎない。

記憶の限りなので、間違っている部分もあれば、自分の主観が入っているものも。悪しからず。


監督登壇ということもあってか、ほぼ満席。老若男女国籍問わず映画好きが集まっており、お前らいつもどこにいるんだよって気持ちになった。
上映後に拍手が起こるのも、映画祭ならではなんだろうな。


1回目 2025.10/28 TOHOシネマズ シャンテ
[]

傑作。クンサン・キロン長編一作目。トロントのパークデール地区にある集合住宅にはチベットから移住してきた人々が6000人近くいるらしく、"リトル・チベット"と呼ばれているらしい。作中には白人は全く登場しなかったが、流石に誇張しているとはいえ、感覚的には全く会わずに生活圏が完成しているらしい。彼らは2011年から2017年にかけて移住してきた新参組で、映画の舞台も2012年らしい。物語は10代後半の無口な主人公クンセルの目線で語られる。両親は既に亡くなっているようで、おそらくは唯一の親戚である伯父夫婦を頼ってカナダへ来たようで、つまりはそこまで熱意ある移住ではなかったようで、自分自身の生き方を掴めないでいる。親戚と云えど長年カナダで暮らしている伯父夫婦はほぼ他人だし、巨大なチベット系カナダ人のコミュニティはチベットからの移住者で閉じているので、彼女の孤独感は増すばかりである。彼女がクレプトマニアのように他人の所有物に手を出すのは、自己表現だと監督は言っていた。彼女が盗むものは金品ではなく記念品ばかりなので、特に目的なくカナダに流れ着いた自分の人生を"借り物"として捉えていて、カナダで生きることに目的を見出している人々の物を取り込むことで自分自身を定義しようととしたのかもしれない。そんな中でクンセルは、小さなビデオカメラを盗む。そして、持ち主がチベットに残してきた恋人の映像を上書きして、クンセルが見た様々なものを記録していく。それもまた"借り物"の眼差しであり、他の多くのカナダ新世代の眼差しと同じく(特にアシュリー・マッケンジー)、世界を小さな破片としてしか捉えることが出来ないのだ。一方で、ビデオカメラ以外の映像は不穏そのものだ。徐々に盗みがバレ始め、クンセルの抱える歪は少しずつ表面化しつつある。このままの状態は長く続かない…と思わせるような映像で紡がれている。DPはカナダ新世代の主流を支えるNikolay Michaylov、流石の貫禄。だが、彼はマッケンジーの作品を担当したことはない。

ある時、同じ団地に50代の男と20代の女パサンの夫婦が引っ越してくる。明るく陽気なパサンに惹かれたクンセルは、彼女のことを撮影し始め、パサンもクンセルと一緒に英語クラスに通い交流を深めていく(撮影現場でもそんな感じだったらしい)。クンセルと違って北米移住に明白な理由がありそうなパサンは、クンセルにとってロールモデルのような存在でもあり、閉塞的なコミュニティに毒されていない数少ない人物でもあり、彼女の眼差しはほぼ常にパサンへ向けられる。物語はクンセル目線で語られるものの、そもそもクンセルが全然語ってくれないので、パサンについても多くは語られないが、パサンにとって年の差結婚は想像通り北米に来るための仮面夫婦という位置付けだったのだろう。そういうパワフルさと目的意識がクンセルを惹き付けたのかもしれない。だが、パサンは"私の望みはこれ(オヂとの安定した結婚生活)じゃないと本能的に分かる"と告げて、さっさと消えてしまう。彼女が消える一連の挿話は、金品を盗むわけではなかったクンセルを決して引き返すことのできない新たなステージへと導いていく。

なかなか衝撃的だったのは"ディクティ"というシステムだ。参加者は2000ドルを持ち寄って元締めに利率を伝え、最も利率が高かった者が総取りする、というコミュニティへの借金制度であり、劇中では参加者によってポジティブな面ばかり強調されていたが、どうにもお互いを縛り付けてコミュニティへの依存度を上げる恐ろしいシステムに思える。実際に、監督は若いカップルがこのシステムから逃げ出し、顔を晒されて捜索されている事例をいくつか耳にしたらしい。北米に希望を抱いて来た人も不本意に本国を離れた人も等しく絡め取る、故郷の呪縛のようにも感じた。そりゃ逃げるわ。

※あまりにも省略的というか不親切すぎるので、クンセルが昔からいたと解釈している人もいたけど、他の移住者っぽい人たちに混ざって初歩的な英文法を勉強してたし、姪は家でも英語喋ってるけどクンセルはチベット語を喋ってるし、ベッドがリビングにあるし、窃盗を始めたのも最近っぽいので、個人的にクンセルはここ1-2年でカナダに来たのではと解釈している。この前提で上記のことを書いてるので、違ったら全部崩れるのが辛いところ。