人の日記を頭から読む人間がいないのと同様に、人の日記映画を頭から見ても仕方がない。だから「As I Was Moving Ahead...」とて一気に見なかったのだが、映画館となれば仕方がないじゃないか。などと御託を並べて爆睡したのを正当化しようと試みたが早々に諦めた。
しかし、「As I Was Moving Ahead...」とやっていることはほぼ同じなのに心に響かなかったのはなぜだろうか。私は勝手にこう結論付けた。 日記はパーソナルであるが日記映画はパーソナルではないということである。人に見せることを前提に記録を始めた後者は圧倒的に恣意的な映像が含まれるだろう。加えて、本作品はメカス本人と同じ時代の記録であるので、メカスの"眼"が介在してしまう。「As I Was Moving Ahead...」はその点子供たちの記録であるので介在するのはメカスの"頭"か"心"であり、余計なことを考える必要がなかった。