昨年公開され、菊地成孔が絶賛したためもあってかミニシアター公開作品の中ではそれなりに話題となったチャン・ゴンジェの『ひと夏のファンタジア』。これがかなり気に入ったんで未ソフト化で観るのにちょっと難儀する2012年作品である本作の1回限りの上映を逃す手もなく御茶ノ水まで。

本作もしみじみすばらしい。上映時間66分というのがまずいいが、作風はリアリズムにファンタジー風味をまぶしたミニマル様式でも言うのか、ともあれシンプルな作りである。ヒョンスとジュヒという結婚して2年が経過した仲の良い夫婦は、決して豊かとは言えぬまでもごく普通の日常をありのままに受け入れて楽しみながら控えめに生きている。

作品冒頭、日曜日にも関わらず上司に休日出勤を依頼されて浮かない表情のヒョンスと、それを嘆きながらも休日出勤手当の話はちゃんとしたのか、と確認するジュヒ（結局話していなかったのだが。内容は書かないが、ここから映画中盤に1つの夢想が現れる）。

ジュヒの母親は娘夫婦に子供を期待し、いささか押し付けがましくも「まだ若い今のうちに生みなさい」とにじりよる。対してジュヒは経済的問題、昔と今では時代が違う、40歳で生む人だっているのだからと子供をもうけることに消極的である。

その前のシーンにおいて、ヒョンスとジュヒは公園で話したこともない見知らぬ夫婦とその小さい子供を見かけ、あの夫婦には愛はない、とヒョンスが無根拠に断言するが、ジュヒは「私達とは違った種類の愛のかたちかも知れない」と応える。ここには「子供を持つ=恋愛関係としての愛とは違った関係性が発生する契機」とのテーマが先取りされてそれとなく提示されている。

さらには「子供を持つと子供にばかり時間を取られてやりたいことが出来ない」と互いに語らうヒョンスとジュヒ。どう見ても非常に仲の良いこの夫婦、しばらくは子供抜きの生活を楽しみたいようにも思える。

これらの後のシーンでは、ヒョンスが離婚したばかりだという親友と飲み屋で語らい、そこでヒョンスが「11年も付き合って互いに愛し合っていたと見えたその親友夫婦が結婚するやすぐに離婚してしまったのが信じ難い」と呟く。親友は言う、「恋人として付き合っていた時と結婚では訳が違う」。

さらにまた後、買ったばかりの自転車を盗まれて途方に暮れるジュヒ、しかし持ち直して言う、「もし自転車があったら事故に巻き込まれたかも知れないね」。

エピソードは続く。友人夫婦を自宅に呼んでのディナー。彼らが帰宅した後のビールを巡っての一悶着、「（友人夫婦の妻は）飲みたがっていたのになぜ止めた？」「もう満腹で飲みたくなかったから止めた」なんて他愛もないことで激しくやり合うシーン。

こうしたエピソードの間に「夢」であるのかはたまた「こうすべき」という夢想であるのか、ともあれ現実にはヒョンスもジュヒも取っていないであろう行動、あるいは「あり得たかも知れないもう1つの現実」が実にさり気なくインサートされる。あまりにさり気ないので最初は実際に起きたことかと思うほどだ。

結局見つかった自転車、映画のまさにラスト、待ち構えていたまさにそのタイミングにやって来る流れ星（ちょっとロメールの『緑の光線』的だ！）は人生に対するささやかな「祝福」と「恩寵」だろう。人はいわばアリストテレス的な可能態のもとに生きているが、それがどうなるのかは究極的には誰も分からないし、分かろうとしても仕方ない。言われてみればそれはそうだろう、という事を上手く映画（アート）として描けば、当たり前のことが当たり前でなく実感されて感銘を受ける。その好個の例がこの作品だと思う。余韻残りまくり。

多分今やろくに読まれなくなったであろう三木清の著作に有名な一節があるから引用しておく。

「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。もし一切が必然であるなら運命というものは考えられないであろう。だがもし一切が偶然であるなら運命というものはまた考えられないであろう。偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもっている故に、人生は運命なのである。」

• #2017藤原

ささやかにいいよ

『イレイザーヘッド』を1000倍薄めたような作品。これはこれで新婚の不安がふっと微かな香りとして漂って来て良かった。
人生なんて結局は気の持ちよう。塞翁が馬。

希望があればなんでもできる。カム、サハム、二、ダーーッ