Stars at Noon(原題)を配信している動画配信サービス

『Stars at Noon(原題)』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

Stars at Noon(原題)
動画配信は2024年3月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

Stars at Noon(原題)が配信されているサービス一覧

『Stars at Noon(原題)』が配信されているサービスは見つかりませんでした。

Stars at Noon(原題)が配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
Rakuten TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
dアニメストア
Hulu
Netflix
クランクイン!ビデオ
JAIHO
ザ・シネマメンバーズ
スターチャンネルEX
みるアジア
WOWOWオンデマンド

『Stars at Noon(原題)』に投稿された感想・評価

A24複数作品の日本公開が決まったということで、サボってたA24作品レビューを書いていこうシリーズ(数日にかけて少しずつ)


【STORY】
 コロナ禍にコスタリカに置き去りのような状態になってしまったフリージャーナリストの女性が、近づいたイギリス人男性(何やら身柄を狙われている)とお近づきになっていくスリリングなロードムービー。

【REVIEW】
※今作は公開が決まった作品群には含まれません

 「『ワンハリ』のヒッピーの子」でおなじみマーガレット・クアリーが『シドニー・ホールの失踪』ぶりにA24映画に参戦。今度は主演!

 マーガレットは美女だしジョー・アルウィンは美男だし、なぜか追ってくる警察も無駄に美男だし、景色はまさにA24な美麗な構図だしで眼福眼福な作品。

 タイトル”Stars at Noon”はクラブの挿入歌で出てくる歌詞。真昼の星のように、輝いていても見えにくい何かを、共に夢見心地の恋愛の中で二人は見つけられたのかもしれない。とにかく愛に熱いサスペンス逃避行映画という感じで、特段深いメッセージなどは感じないけど、なんとも満足感はある映画だった。

---
観た回数:1回
KEIYA

KEIYAの感想・評価

3.0
・映画祭にて鑑賞
・マーガレットクアリーは素晴らしいが、必要以上に脱いでいる気がする
・A24最新作
・結局、ジョー・アルウィンのキャラクターが何者だったのか最後までよくわからない。ストーリーのコアなのだが。
・設定などにブレを感じた
・ロケーションは素晴らしい
・作品のジャンルも最後までよくわからなかった
[ニカラグアで出会った男と…] 30点

2022年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品、カンヌ映画祭のコンペはデビュー作『ショコラ』以来34年ぶりの登場となった。昨年は濱口竜介がベルリン映画祭とカンヌ映画祭のコンペにそれぞれ別の長編作品を出品し、それぞれで何らかの賞を受賞していたが、今年はそれをクレール・ドゥニが達成した。本作品はデニス・ジョンソンによる同名小説を原作としているが、舞台は1984年のサンディニスタ統治下にあった内戦期のニカラグアから現代のコロナ禍のニカラグアに変更されている。ドゥニはこの本を10年ほど前に読んで、"革命という文脈のみによって関係を築くラブストーリー"と評しているらしいが、他の設定はそのままに舞台だけ現代に移して申し訳程度のマスク描写でコロナ禍を語るという意味不明な状態になっており、"革命"の部分は消えている。例えば、主人公はスマホを破壊されたという設定なので、連絡には直接会うか公衆電話を使っており、特に現代的な部分は感じない。好意的に受け取れば、パンデミックと戦時中の生活がそれなりに重ねられているのかもしれない。寧ろ原作通り、つまり『サルバドル / 遥かなる日々』とか『危険な年』とか80年代の政情不安定地域にいた白人の物語に近いものを感じる。主人公の植民地主義的な言動は現代にしてはあまりにも時代遅れなので、80年代にしてくれたほうがまだマシだったのに。

主人公はジャーナリストを名乗るアメリカ人の若い女性トリッシュ。最初の頃は人権問題などの記事を書くために入国したはずで、現地の政府高官や警察などとも繋がりがあるのだが、今ではプレスカードもパスポートも失効し、日銭を稼ぐために娼婦のようなことをしている(もうこの設定からよく分からない)。ある日、客を求めてインターコンチネンタルに行った彼女は、イギリス人のオイルマンの男ダニエルに出会う。最後まで彼の背景は謎だが、取り敢えず取引相手が地元の人間には忌み嫌われているコスタリカ人だったので、トリッシュはそのことをダニエルに伝えて彼らの取引を破壊する。するとなぜか、何者からか追われる羽目に…云々。上記のドゥニの言葉から連想するに、本作品はカンヌでボロクソに叩かれまくったショーン・ペン『ラスト・フェイス』に近く、テーマをそのままに演出や映像をドゥニお得意の"身体を通じた湿っぽく気怠い官能性"に置換したような感じに見える。同作との最大の違いは、主役二人の背景も現代ニカラグアの背景もボンヤリしすぎているので、何をやっても違和感を覚えることだろう。ずっと何がしたいかよく分からず、取り敢えずセックスしてるといった感じだった。

海外評ではマーガレット・クアリーが酷評されているんだが、役が悪かったとばっちりを食ってるだけな気もする。