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『裸のムラ』に投稿された感想・評価

ろく
4.0
俺は分かっているから大丈夫だって言いながら結局自分の思う方向に人を動かそうとする輩のほんと嫌な感じね。

あの名作「はりぼて」の五百旗頭がまんを持して2作目。おなじみ政治ドキュメンタリーも物事はそう簡単に許さない。

この作品に出てくる人は3種
①イスラム教徒の家族
②ワゴンで生活している家族
③石川県政の携わる人

これだけ聞くと③だけを追及し①や②をあげるおなじみ左翼的ドキュメンタリーだと思うじゃない(僕もそう思っていた)。でも違うんだよ。①や②も同型の危うさを持っているという話なんだ。うわ、なんて映画を撮るんだってほんと怖くなってしまった。

だってそうじゃない。僕らは「誰か」を悪者にしてそれを吊し上げることで自己の立ち位置を保っている(それは残念ながら多くの左翼がそうである。あ、右翼もか)。でもどこにも同じレベルの「嫌な感じ」が作用する。それを五百旗頭は見事に看破しているの(実は前作の「はりぼて」にもその萌芽は見えているんだけどね)。

でその「嫌な感じ」ってのは権力を持ってしまうと自然と「権力的」になってしまうこと。そしてそれに対し権力のないものは「忖度」してしまうことだ。

この映画の凄いとこはそれを①や②でも見せてしまったことだ。自由になりたいと車の中で暮らす家族に対し父親はときに理解を示しながらも最終的には父権を行使する。それは①のイスラム教徒の家族でも同じだ。外国人の母親は「理解を示す」が結局子供にイスラムを強制する。

その強制こそがポイント。恫喝や暴力はそこにない。ただそれとなく「そこに行く」ように二人は誘導する。その誘導の意志はないかもしれない。だって「こんなに理解しているじゃない」だから。でもあるんだ。そこには嫌な感じの「権力」があるの。

それは小さな家族でも大きな県政でも同じである。保守王国の石川で「女性に理解をしている」と言いながらさりげなく女性にお茶を入れさせる「彼ら」のなんとも言えない怖さ。対話しているフリをして最終的には権力として彼らを自分の方向に向かわせる。そこ怖さだけでもこの映画を見て感じる事が出来る。

五百旗頭はその怖さに関し自覚的だ。「君のことは分かるけど」そのセリフの怖さね。理解していると言われながらも彼は富山のチューリップテレビを首になった。理解していると認めるは大きく違う。「理解している」から君に何してもいいよね、すまないに成り代わっている。

だからこの映画は日本の縮図だ。一見物分かりがいいようでありながら最後の一線をかたくなに守る「輩」の権力性をこの映画は見せてくれる。

石川県知事、馳浩がどんどんその「輩」になってしまうのが哀しい。彼は「理解している」ふりをしているから余計始末に負えない。
五百旗頭幸男監督の前作『はりぼて』は富山市議の不正を暴く、笑うに笑えないけどすごく笑えるブラックコメディとして非常に秀逸な作品だったので今回も期待しつつ鑑賞しました。
バンライファー、イスラム家庭を取り上げたのは石川県政の異常さを浮き彫りにするためだったのかなと、でも日本にそういう人たちがいることは知っているし、政治家が多様性とは真逆の存在であることもわかりきったことだし、特に驚きも学びもないなと思ったのですが、監督のインタビューを読んで三者三様の「矛盾」や「不変性」を描こうとしていたと知って、自分の映画に対する見方は浅かったんだなと反省しきりです。
少々読解力の必要な作品ではありましたが誰にもおもねらず真っ向から対象に挑む五百旗頭監督にこれからも期待しています。
『はりぼて』の五百旗頭幸男監督が石川県を舞台に綿密な取材と調査の積み重ねによって構築されたドキュメンタリー映画です。

前作のような政治腐敗を描くだけに留まらず、コロナ禍において逆に浮き彫りにされてしまった日本における男性中心社会の綻びのようなもの、その空気感を切り取って、それを見せられているような作品でした。

映画内では3つの取材対象で構成されていて、
1.当時の石川県知事の傍若無人ぶりとその後釜となる新知事の背景にあるもの
2.イスラム教徒で周囲の同調圧力に苦しむムスリム一家
3.車で移動しながら生活や仕事をするバンライファーの家族
これら3つの全く異なる視点を通して、地方都市における村(ムラ)社会が発する同調圧力の強さや、政治だけでない男性中心社会の無自覚な誇示のようなものが渾然一体となって描かれています。

情報量が多く、かなり疲れるのですが、取材対象だけでなく取材する側の五百旗頭幸男監督自身の存在、主張が大きく、カメラの的確さも含めて、五百旗頭幸男監督作品の味にもなっていて、深い信頼関係の中で問いかけられる言葉に、深入りしすぎているようにも感じて、人間のむきだしの部分が見えていて、怖くなるところもありました。

端的にまとめるのが難しい映画ですが、男性という性を誇示することの無意味さが如実に描かれるのですが、それを全面的に否定してしまうとどのように生きていけばいいか分からなくなる人もいるし、だからといって完全なジェンダーレスになることもできず、女性を尊重しつつ、男性であることは最小限でいる難しい岐路にあると感じました。

印象的だったのが、議会の準備中に氷の入ったガラスの水差しの外側につく水滴を丁寧に拭う仕事をしている女性職員の姿とインドネシア生まれで日本人男性と結婚し石川に暮らすヒクマさんの的確な指摘でした。

巧みな編集効果もあって、終始飽きるところなく、特に男性にとっては耳の痛い部分も多いですが、この複眼視点からあぶり出される空気感に圧倒される意味深いドキュメンタリー映画でした。

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