1945 年太平洋戦争末期――沖縄・伊江島で⽇本軍は⽶軍との激しい交戦の末に壊滅的な打撃を受けていた。宮崎から派兵された上官・⼭下⼀雄(堤 真⼀)、地元沖縄出⾝の新兵・安慶名セイジュン(⼭⽥裕貴)は敵の激しい銃撃に追い詰められ森の中に逃げ込み、⼤きなガジュマルの⽊の上へ登り⾝を潜める。太い枝に葉が⽣い茂るガジュマルの⽊はうってつけの隠れ場所となったが、⽊の下には仲間の死体が増え続け、敵軍陣地は⽇に⽇に拡⼤し近づいてくる。連絡⼿段もなく、援軍が現れるまで耐え凌ごうと彼らは終戦を知らぬまま 2 年もの間、⽊の上で“孤独な戦争”を続けていた。やがて極限状態に陥った⼆⼈は…。
終戦間近の1944年、秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎(遠藤雄弥/津田寛治)は、フィリピン・ルバング島にて援軍部隊が到着するまでゲリラ戦を指揮するよう、命令を受ける。「君たちには、死…
>>続きを読む第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。しかし負傷兵だらけで食料も困窮し…
>>続きを読む沖縄戦末期、本土より派遣された2人の内務官僚がいた。戦中最後の沖縄県知事として沖縄に赴任した島田叡(あきら)と、警察部長の荒井退造。多くの住民の犠牲を目の当たりにした島田は「県民の命を守る…
>>続きを読む1944年、太平洋戦争末期、玉砕の島・サイパン。大場栄大尉は47人の仲間の兵士たちと共に16カ月の間、敵に立ち向かい、多くの民間人を守り抜いた。彼の誇り高き魂が、味方の日本人だけでなく敵側…
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昭和18年。沖縄ではまだ戦争の影は薄く、沖縄師範女子部の和子らは運動会を楽しんでいた。しかし、昭和19年になると戦局は悪化。やがて米軍グラマン機による空襲が那覇を連日襲い、和子ら女子学生は…
>>続きを読む昭和20年3月。窮地に立たされた日本軍は、勤労奉仕と称して沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の若い女性たちを戦争の最前線へ送る。日本軍のため、必死に働くひめゆり部隊。しかし、米軍の…
>>続きを読む2006年、硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。それは、61年前にこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか--。
日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
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