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しびれ
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しびれの作品紹介

しびれのあらすじ

曇天に覆われ、大きな波がうねる日本海沿いの町に暮らす少年、大地は、幼少期に暴君のようだった父の影響から言葉を発しない。今は母の亜樹とプレハブで暮らしているが、水商売で稼ぐ亜樹はほとんど家に帰らず、生活は苦しい。やがて亜樹と共に叔母の家に身を寄せるが、どこにも居場所はなく、ひとりで過ごしては内気になっていった。そんな中、大地は父の行方を求めて生家を訪ねることを決意。これを境に、彼の運命は大きく揺らいでいく。心のよるべなき貧困、誰にも見つからぬように生きる孤独の中のささやかな救い、憎くて愛しい母への複雑な感情。流されるままに生きているようで、歩みを止めない大地。そんな彼がかすかな光を手繰り寄せ、息をのむような大きな愛を知るまでの20年間が、徹底した少年の視点で綴られていく。

しびれの監督

内山拓也

原題
NUMB
公式サイト
https://shibire.jp/
製作年
2025年
製作国・地域
日本
上映時間
118分
ジャンル
ドラマ
配給会社
ナカチカ

『しびれ』に投稿された感想・評価

kuu
3.8
『しびれ』
製作年 2025年。上映時間 118分。
映倫区分 PG12 製作国 日本

内山拓也監督が、北村匠海を主演に迎えて撮りあげた自伝的作品。内山監督の故郷である新潟県を舞台に、自身の居場所とアイデンティティを模索する孤独な少年が、息をのむような大きな愛を知るまでの20年間を描く。

映画『しびれ』は、幼少期に自分を捨てた父親へのくすぶり続ける怒りと、残された母親に対して抱く激しい憎悪、そして切っても切り離せない深い愛情と云う、複雑に絡み合った感情の渦を描き出した作品でした。
青年期の大地を演じた北村匠海は、台詞の少なさとは裏腹に、目線や吐息一つで、結構内面の本流を表現してたし、その佇まいは胸を鋭く突いてきました。
母・亜樹を演じた宮沢りえの狂気と脆さ、影のように作品へ重厚な存在感を落とす父・大原役の久しぶりに見た永瀬正敏、そして、大地の成長段階を緻密にバトンタッチしながら演じきった3人の子役たちの佇まいも善く、実力派キャスト陣が揃うことで画面の緊張感が最後まで途切れることがありませんでした。
 
物語の裏側には、撮影現場において極限まで無駄な削ぎ落としが行われたという逸話があるそうです。
監督はキャスト陣に対して説明的な演技を徹底的に排除させ、登場人物たちがその場にただ存在することで漂う空気感そのものをフィルムに収めることに執着したそうです。
劇中に配置された水槽や絶え間なく響く小さな水滴の音、そして歪んだ光の反射といった視覚的・聴覚的仕掛けは、登場人物たちの閉塞した心象風景を映し出す精密なメタファーとして機能しているかと思いました。
水は生命の源でありながら人を溺れさせる猛毒にもなり得るものであり、家族という逃れられない血の繋がりが持つ、救いと呪縛の二面性を鮮やかに象徴してるかと。
 
長年にわたり歪んだ家庭環境に晒され続けた人って、過剰なストレスから自らの心を守るために感覚を遮断するってと云う心理的防衛メカニズムを作動させることがしばしばあると云います。
悲しみとか恐怖、理不尽な怒りを真っ向から受け止め続けてしまえば、自我そのものが崩壊してしまうからやと思います。 
この精神的な緊急停止措置こそ、本作の核をなす感情の不感症化であり、タイトル『しびれ』が捉える精神のリアルな実相なんじゃないかと。
痛みを感知しない無感覚状態は、絶望的な環境を生き抜くために不可欠やった生存のための武器に他ならなく、でも、この過剰な防衛反応は同時に強い毒性を併せ持ち、負の感情を締め出そうとするあまり、歓喜や安らぎといった感情までもが等しく感度を失ってしまう。
傷つかない代わりに何も感じられなくなるという二律背反の虚無感の中で、自分は生きているのか死んでいるのかさえ判別がつかなくなる苦しみこそが、主人公の全存在を覆う深い孤立感の源泉となっていると感じます。
余談ながら、その一方で、この無感覚の対極には、抑えきれない感情や生の輪郭が激しく露わになる、昂揚や感情の氾濫とも呼ぶべき状態が存在する。
感情のスイッチが途絶え、心が麻痺した状態とは対照的に、内側から激しい怒りや熱情が溢れ出し、抑えようのない衝動によって心が強く揺さぶられる局面です。

さらに、現代の社会構造的なケアの偏重や機能不全家族における精神的自立の難しさが、今作品の麻痺に拍車をかけます。
家族という密室の中で、特定の者が過剰な負担を背負わされながらも、家族やし当たり前という無言の圧力を受け続け、公的な手が届かないところで個人の尊厳が削り取られてゆく。
逃れられない閉塞感の中で人は心が悲鳴を上げていることすら感知できなくなる。
健全な自立には親を等身大の人間として客観視することが求められるけど、幼少期から感情を抑圧してきた者は、親に対する怒りと愛着が未解決のまま混ざり合い、心の奥底で未消化の塊として留まり続ける。
自分を傷つけた存在を憎みながらも承認を欲してしまうジレンマによって適切な境界線を引くことができず、永遠に親の影にとらわれ続けてしまう。
このように『しびれ』というタイトルは、個人が孤独に耐えるため選ばざるを得なかった静かな生存戦略の功罪を浮き彫りにしていると思います。
 
視点を変えて本作を捉え直すと、大地の葛藤は単なる家族間の愛憎劇にとどまらず、個人の自我形成において相手をいかに自分とは異なる存在として認め受け入れていくかという、途方のない試練を巡る闘争として理解することができます。
観てる側の間では、劇的な展開をあえて排除し、出口のない感情の停滞感を丹念に追体験させる演出を、人間の孤独や傷にどこまでも愚直に寄り添った誠実な表現と評価する声がある一方で、ストーリーの起伏が乏しく抽象的すぎであったり、人物の心情に感情移入しづらく、鑑賞後に強い疲労感だけが残るといった冷ややかな意見も聞こえてくる。
両者の評価が真っ二つに分かれる点にこそ、本作が鑑賞者に安易な救いやエンターテインメントとしてのカタルシスを一切与えないことの証明が潜んでいるかと。
 
物語が提示する暗雲の先に差し込む光もまた、決して分かりやすいハッピーエンドではなく、極めて曖昧で微かな希望にとどまっていました。
心が麻痺し、しびれた状態から再び感覚を取り戻すプロセスには、激しい痛みが伴います。
主人公が抱く怒りや憎しみの噴出は、止まっていた感情の血流が再び巡り始めた証左であり、彼が自己の人生を取り戻すための回復の兆しとも取れるが、それが真の救済に結びつくかどうかは鑑賞者ごとの判断に委ねられてました。
過度な称賛にも過剰な批判にも与しないこの宙吊りの後味こそが、人間関係の摩耗や感情の麻痺を抱えて生きる現代人のいびつな現実をそのまま映し出した鏡なのかもしれません。


日本海沿いの町に暮らす少年・大地は、幼少期に暴君のようだった父の影響で言葉を発することができない。現在は母の亜樹と雑居ビル屋上のプレハブに暮らしているが、水商売で生計を立てる母はほとんど家に帰らず、生活も苦しい。やがて大地は亜樹とともに叔母の家に身を寄せるが、彼の居場所はどこにもなく、ひとりで過ごすうちに内気になっていく。そんなある日、父の行方を求めて生家を訪ねたことをきっかけに、大地の運命は大きく揺らぎはじめる。

2025年・第26回東京フィルメックスのコンペティション部門で審査員特別賞を受賞。また、第76回ベルリン国際映画祭パノラマ部門にも正式出品された。
ぶみ
3.0
母が嫌いだった。それでも今は寂しい。

内山拓也監督、原案、脚本、北村匠海、宮沢りえ主演による監督自身の体験をベースとしたドラマ。
父親からの暴力により言葉を発することができなくなった主人公の20年を描く。

主人公となる大地を北村、大地の少年期を榎本司、加藤庵次、穐本陽月、大地の母親の亜樹を宮沢、父親を永瀬正敏が演じているほか、赤間麻里子、奥野瑛太、タラセンコ・ロマン、赤堀雅秋等が登場。

冒頭、縦書きのオープニングクレジットが表示された後、若干手ブレするカメラにより、両親の喧嘩の声で目覚める大地の姿でスタート、大地の目元にはアザがあり、母親の亜樹は夫に暴力を振るわれ顔が血だらけという衝撃的なスタートとなっている。

すると、大地が「もう、やめて」と叫んだかと思うと、場面が一転、少し大きくなった大地が登場、キッチンの蛇口からは水が出なくなり、靴下には穴が空き、ポリタンクで近くの川に水を汲み、挙げ句の果てには近隣の家で野菜を盗みと、大地の家が困窮している状況が丁寧に描かれることに。

しかし、ビールとタバコを買うお金は与えられているので、母親のクズっぷりも明らかとなる中、実は、大地は冒頭に叫んだシーンを最後に言葉を発せなくなってしまい、筆談により自身の気持ちを伝えており、そんな大地が25歳に至るまでの日々を中心として展開。

テレビのニュースでは北朝鮮の船である万景峰号が話題となっていたので、少し前の時代設定であることがわかったのだが、大地は喋らず、他の登場人物も説明的な台詞は一切ないこと、かつ劇伴もなく、環境音が聞こえてくる程度であることから、非常に静かな作風となっている。

また、時系列が前後したり、回想シーンが描かれることもなく、時間軸がそのまま流れていくので、その点では見やすい仕上がりとなっていた反面、あまりにも静かで同じようなシーンが続き、冗長だなと感じてしまったと同時に、特に終盤にある海のエピソード等は、予定調和が強く、他の場面が自然だっただけに違和感が拭えなかったのが正直なところ。

クルマ好きの視点からすると、青年になった大地が乗っていたのが、70年代後半に登場した4代目シボレー・ノヴァのセダンモデルで、コラムシフトのオートマチックトランスミッションを動かしつつ、V8エンジンならでのドロドロとした音を立てながら疾走する姿は見逃せないポイント。

監督の自伝的内容ということで、どこまでが実話なのかはわからないが、壮絶な人生であったことは間違いなく、大地の幼少期から青年になるまでを4人が違和感なく演じていたのは特筆すべきであったとともに、前述のように劇伴がなく、台詞も少なめ、晴れた日もなくと日本海の曇り空が一層憂鬱な雰囲気を醸し出していたのに加え、ラストの一行に監督の思いが込められていたように思う一作。

大地と悲しみは一緒じゃない。

※入場特典:オリジナルポストカード
今作は、内山拓也監督の半自伝的実体験をもとに、
家族の愛憎と個人の葛藤を生々しく切り取ったヒューマンドラマであったが、
賛否は分かれるのではないだろうか。個人的に「否」の感触が強いので、そう思い込んでるかもしれないが。
静寂と不幸の連続による強い疲労感があった。

​まず、極限まで省かれた「劇伴」と「長回しや手持ちカメラ」を多用した演出スタイルが、個人的には全く合わなかった。
多くの場面で劇伴が排除され、生活音や息遣いといった環境音のみが響く作り。
ドキュメンタリー的な緊張感を狙った演出ではあるが、映画的なテンポや強弱を奪い、
結果としてリアリティではなく、私に「無音による耐えがたい眠気」をもたらす大きな要因になっていた。
私は劇伴少の映画は、心底苦手なのだ。
(つ∀-)オヤスミー

また、「長回しをすればリアルになる」とか「手持ちカメラの揺れで臨場感が出る」という手法は、
ともすれば、意識高い系の気取りや安易な選択に見えてしまう。
カットを割らずにカメラを回し続ける演出は、映画としてのリズムを硬直させ、
監督の「どうだ、リアルだろう〜?(スギちゃん風言い方)」という、ドヤ顔自己満足さが鼻につく。
いわゆるオ●ニー的な演出臭さが、これまた苦手だ(笑)
┐(´д`)┌

​物語は、主人公を取り巻く過酷な境遇や家庭の崩壊を描くが、ストーリー展開には大きな課題が残る。
次から次へと間髪入れずに襲いかかる不幸エピソードは、次第にドラマとしてのカタルシスを失わせ、
有吉弘行風にいうならば、センテンススプリング騒動前のベッキーの芸風が「元気の押し売り」だとすれば、
内山拓也監督の作風は「不幸の押し売り」と感じられるほどであり、
シーッd( ̄ε ̄;)
この不幸エピソードの連続コンボは、単調さしか生み出していない。

客を楽しませる、あるいは映画作品として届けるという、エンターテインメントとしての意図が希薄で、
内山監督が自身の痛みを吐き出すためだけに撮ったのではないかという、
個人的な自己満足感が色濃く漂ってしまっている。だから「オ●ニーっぽいなぁ」とイカ臭く感じるのだ。
( ゚Д゚)y─┛~~

特に倫理的な疑問を感じざるを得なかったのは、
火葬シーンにおいて棺の中に缶ビールをそのまま入れる描写だ。
現実の火葬場では破裂や事故防止のため金属缶を入れることは厳禁とされており、
こうした不自然な描写は、リアリティを追及しているはずの作風の中で、
かえって観客を冷めさせ、ドン引きさせてしまう一因となっていた。

ただし!
(-ω☆)キラリ

​演出や脚本に対する強い拒否反応がある一方で、
今作を映画として成立させているのは、間違いなくキャスト陣の圧倒的な演技力によるものだった。
​一番良かったのは、やっぱり主役の北村匠海だ。
「シャドウワーク」と同日公開週になったが、どちらの作品も北村匠海の演技は際立っていた。

少し悪くてどこか陰りのある青年を演じた北村匠海は、
まさに無双状態と言える素晴らしさだった。
背負った孤独や痛みを、過剰なセリフに頼らず、目線や佇まいだけで表現する力は圧巻で、
この手の役柄においては、彼の右に出る者はいないと感じさせた。
​
主人公の父親を演じた永瀬正敏のダメ親父っぷりも秀逸だった。
身勝手で愚かでありながら、どこか人間臭さを捨てきれないリアルな父親像は、
私自身のダメ父親の記憶を否応なく刺激し、エグってくる嫌らしさを感じた。

そして終盤、老いて枯れていく母親役を演じた宮沢りえの佇まいは、圧巻の一言に尽きる。
(゚A゚;)ゴクリ
過酷な人生を生き抜いた末の肉体の衰え、諦念と母性が混ざり合ったその姿には、
演出の拙さを一瞬で吹き飛ばすほどの凄みがあった。
小さくなったその背中を見ていて、自分の母親の姿が重なり、思わず胸が締め付けられて涙が溢れ出した。
(´;ω;`)ウッ…

​今作は、客を楽しませるために作られた映画ではなかった。
監督の個人的な自己満足や過度なリアリズム演出が裏目に出ており、
私のように拒否反応を示す観客がいるのも至極当然だろう。
そもそも、父親がクズで母親が辛い目に遭い、それを傍らで見守る子供という状況は、
ここまで酷くはないが、実は、私のバックボーンとほぼ同じなのだ(笑)
工エエェェ(´д`)ェェエエ工

そんな似た境遇を経た私が、共感よりも拒絶が先に来るって事は、
この作品、どこか演出上に致命的な傲りがあると思わざるを得ない。
監督のナルシズムな感じが、どうも苦手で合わない。
( ー`дー´)キリッ

​しかし、その重苦しく鼻につく演出を超えて届いてくるのは、人間を演じきった俳優たちの圧倒的な存在感だった。
映画の作り手に対する不満と、俳優陣の凄みに対する深い感動が同居する、極めて歪で強烈な映画体験だった。

良かった演者
北村匠海
宮沢りえ
永瀬正敏

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