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シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE

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シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSEの作品紹介

シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSEのあらすじ

母を亡くし、深い喪失感を抱えたまま日々を過ごす、ちづみ。心の空白は埋まらず、時間だけが過ぎていくなか、友人に誘われ、台湾を訪れた。そこで、台湾人の母と日本人の父を持つ・シンシンを紹介される。見知らぬ街の風景と、何気ない会話の積み重ねが、止まっていた心を少しずつ動かしていく。消えない悲しみを抱えながらも、小さなぬくもりを見つけて――。

シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSEの監督

真壁幸紀

原題
公式サイト
https://www.culture-pub.jp/sinsinmovie/
製作年
2026年
製作国・地域
日本
上映時間
108分
配給会社
カルチュア・パブリッシャーズ

『シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE』に投稿された感想・評価

kuu
3.7
『シンシン アンド ザ マウス SINSIN AND THE MOUSE』
製作年 2026年。上映時間 108分。
映倫区分 G 製作国 日本

吉本ばななの短編小説集『ミトンとふびん』に収められた一編を、日本と台湾の合作で映画化したヒューマンドラマ。喪失を抱えた女性が異国の地で出会いを重ね、少しずつ再生していく姿を静かに描き出す。
 
スクリーンの向こうで流れる時は、ただ、置いてけぼりにされた者の輪郭をなぞるためだけにある。
この作品が湛える、胸の奥底の最も暗い場所に響く静謐なトーンに沈んでゆく。
画面を切り取る四角い枠は、主人公ちづみが閉じこもる、涙さえ凍てついた心の牢獄そのもの。
エンドロールに重なる藤原季節の歌声は、劇場の暗闇に、やり場のない喪失の残り香をどこまでも冷たく染み渡らせていく。
 
ひび割れた心を抱え、世界の果てに佇むちづみを、岸井ゆきのは言葉を失った眼差しひとつで演じきってた。
彼女が纏うは、世界からすべての色が消え去ったかのよな、剥き出しの孤独。
その凍えた魂にそっと影を寄せるシンシン役のツェン・ジンホアは、傷口に決して触れぬ微風のように、台北の片隅でただ静かに佇む。
そして、中田青渚、柄本時生、余貴美子ら役者陣が、交わらない平行線のまま、同じ夜の冷たさを生きる人間の寂寞とした美しさを哀しく紡ぎ出す。
 
異国の街・台北は、溢れる哀しみを濾過するためだけの、湿った揺り籠のよう。
見知らぬ街の生ぬるい風も、耳に馴染まない異国語のさざめきも、彼女が日本に置き去りにしてきた、帰る場所のない絶望を優しく、あるいは残酷に浮き彫りにしてゆく。 
タイトルに潜む『マウス』という小さな命の気配は、いつの間にか守りきれずに失くしてしまった、壊れやすい何かを象徴しているかのよう。
街の灯りが夜雨に滲むとき、彼女のなかのインナーチャイルドは、声にならない悲鳴を上げてその路地にうずくまるしかなかった。
  
小生は、かつて両親の死を人伝に知らされるという不条理な断絶を経験し、十代半ばというあまりに多感な時期に、親友を含む三人の友を立て続けに失った。
なぜ自分ばかりがこれほど多くの別れを背負わねばならないのかと、十代の小生は凍りついた暗闇にいた。
大人になれば永遠の別れを知らない者などいないのかもしれません。
けど、ちづみの姿のよに、他者もまたそれぞれに人知れず深い別れを経験し、歩みのなかで一つずつ悲しみを回復させているのだという事実に触れたとき、小生のなかで何かが静かに響き合いました。
他者の再生に己を重ね合わせることで、ようやく自分自身の回復へと、そのかすかな光へと繋がっていくのを感じたんです。

小さな灯火でその暗路を照らすならば、これは凍死しかけた心が微かな体温を取り戻すまでの、あまりにも痛切なグリーフケアの記録。
愛する者を失った絶望は、時に人間の精神を完全に麻痺させ、泣くことさえも禁じてしまいます。
彼女に必要やったのは、前を向くための言葉やなく、ただ一緒に絶望の底に座り込んでくれる誰かでした。
他者と関わり、自らを癒していくセルフコンパッションの過程は、劇的な救済などではなく、消えない傷跡がゆっくりと自らの皮膚になっていくよな、静かな諦念と受容の祈りに満ちています。。。

母を亡くし、深い悲しみを抱えたまま日々を過ごす女性・ちづみ。心の空白を埋められないまま時間だけが過ぎていく中、友人に誘われて台湾を訪れた彼女は、そこで台湾人の母と日本人の父を持つ青年シンシンと出会う。見知らぬ街の風景と何気ない会話の積み重ねが、止まっていた彼女の心を少しずつ動かし、ちづみは消えない喪失感を抱えながらも小さなぬくもりを見つけていく。

主人公ちづみを「ケイコ 目を澄ませて」「愛がなんだ」の岸井ゆきの、ちづみが台湾で出会う青年シンシンを「返校 言葉が消えた日」「君の心に刻んだ名前」などで知られる台湾の人気若手俳優ツェン・ジンホアが演じた。共演に藤原季節、中田青渚、柄本時生、伊勢佳世、飯田基祐、余貴美子ら。監督・脚本は「ボクは坊さん。」「すくってごらん」の真壁幸紀。
ぶみ
3.5
台北で出逢ったのは、明日へと続く、さようなら。

吉本ばななが上梓した短編小説集『ミトンとふびん』に収録された『SINSIN AND THE MOUSE』を、真壁幸紀監督、脚本、岸井ゆきの、ツェン・ジンホア主演により映像化した台湾、日本製作のドラマ。
母を亡くした主人公が、台湾で紹介された男性と出会い、変わって行く姿を描く。
原作は未読。
主人公となる光岡ちづみを岸井、シンシンこと田川真吾をジンホア、ちづみの母親を余貴美子が演じているほか、藤原季節、中田青渚、柄本時生、伊勢佳世、飯田基祐等が登場。
物語は、体操をしている年配の方々がいることから早朝と思しき公園で一人座るちづみが空を見上げるカットでスタート、次には、部屋の中で、座ってため息をつき、これまた上を見上げるシンシンの姿が映し出された後、タイトルが挿入されるという、何ともアンニュイな雰囲気のオープニングに。
そして、病人がいたと思われるベッドに横たわり、枕を抱えて匂いを嗅ぐちづみが、朝の支度をし、広い家で一人トーストをかじっていたので、ここまで全く台詞がない状態ながら、母親なのか父親なのかは不明ではあるものの、大切な人を亡くしたことが手に取るようにわかる演出となっている。
実際には、ちづみは母親を亡くしており、母親との回想シーンで、ようやく台詞が発せられた後、台湾にいる知人のミュージシャンであるマサミチに誘われ、台北へ。
そこで、マサミチの妻の友人であるシンシンを紹介され、以降、ちづみとシンシンの交流を、母とのモノローグを時折交えて展開、一見少し前の日本のような、どこか懐かしさを感じさせる台湾の街並みを舞台に、二人がレストランやカフェ、レコード店や商店街を訪れる様子は、さながら、台湾をプチ観光している気分となったところ。
何より、母親の亡くした喪失感を、台詞ではなく全て仕草や表情で表現した岸井と、カタコトの日本語が朴訥さを醸し出すジンホアとの演技のマッチングが素晴らしく、本作品の空気感にピッタリだった反面、ちづみが小さい頃のシーンにおける母親を演じた余が、あまり若く見えなかったので、もう少し特殊処理を施して欲しかった次第。
クルマ好きの視点からすると、台湾を走る黄色のタクシーが、シエンタにウィッシュ、カローラクロスと、トヨタ車率が高かったのは見逃せないポイント。
鑑賞前は、ちづみがシンシンと出逢い、二人が恋に落ちていく様を描いた恋愛ものと勝手に思い込んでいたのだが、そうではなく、二人の会話により、喪失から明日を見つめていくこととなる希望と変化の一日のみだったのには驚いたとともに、岸井の魅力が静かながら爆発していたのに加え、ちづみが小さなネズミと例えられており、岸井の身長が公称150.5cmであるのに対し、ジンホアが181cmと、約30cmの差があったので、より小さく見え、思わず守ってあげたくなる一作。

二代目は二代目なんて、思ってないもんね。
この映画は、日本人女性と台湾人男性の物語。
​最愛の母親を亡くし、自分が半分無くなってしまったかのような、深い喪失感を抱えている、主人公のちづみ。
心の空白が埋まらないまま無気力に日々を過ごす彼女は、それを見かねた友人に誘われ台湾旅行へと旅立つ。

そこで紹介されたのは、台湾人の母と日本人の父を持つ青年、シンシンだった。
異国の地で出会った二人は、言葉の壁を越えて少しずつ、
何気ない言葉や時間を積み重ねていくが、
シンシン自身もまた心に深いトラウマを隠し持っており、、、というお話。

前半はほぼセリフがなく、ちづみの静かな絶望と台北の街並みが淡々と描かれる。
止まっていたちづみの心がゆっくりと動き出し、再生物語が始まっていくのだが、
一方で私はゆっくりと瞼を閉じて、深い睡眠世界に堕ちていく、、、(笑)
(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!

​劇伴が極端に少なく、静寂が長すぎて退屈な導入部だった。
BGMを徹底的に排した演出のため、映画館や部屋の微かな雑音まで聞こえるような無音状態が続き、
緊張感を通り越し、ダレていた。

前半は大きな事件や感情の起伏がなかなか起こらず(後半も大して大きな事件はないが)、淡々と散歩や日常の風景が続く。
ストーリーの推進力が致命的なほど弱く、展開が遅すぎて、強烈な眠気に襲われる。
ウトウトしながらも鑑賞完走できたのは、一重に、​岸井ゆきのの圧倒的な佇まいがあったからだろう。
さすがは日本アカデミー賞最優秀女優だ。
前半はほとんどセリフがないにもかかわらず、母親を失った人間の「心が完全に萎んでしまった虚無の表情」を、
目元の光や佇まいだけで表現した岸井ゆきのの演技は圧巻だった。

近代的なビルと古い街並みが混在する、台北の空気感が非常に美しく切り取られており、
そのノスタルジックで旅情をそそる、シネマティックな映像表現は、目の栄養補給や保養になっていた。

​ただし!
(ΦωΦ)フフフ…

作家性の強い、文芸色が滲み出ている類いの映画だった。
(^_^;)

原作者は吉本ばなな。内容が、主人公による文学的な内省世界をそのまま映像化しているため、
明確なオチやドラマチックな展開を求める人には、面白くないと感じられやすい構造になっている。
内向きで内省的な主人公の苦悩や葛藤ストーリーで、
しかも一人の無言シーンが前半多い作品は、やっぱり小説で読むのが一番向いている。
​映画的なエンタメとしての面白さに欠け、映像化が難しいタイプの作品だっただろう。

それから、​親の死に対する喪失感の描写が、重すぎて個人的に共感しづらい主人公だった。
┐(´д`)┌
「たかが母親が死んだだけ」とまでは言わずとも、
ちづみが「自分の一部を失った」ように絶望する様が延々と続くため、
彼女の心の重さに置いてけぼりになった。ちづみは、お母さんにちょっと依存しすぎなんだよなぁ。
それが私にはさっぱり、理解できない。
( ゚д゚)ポカーン
​まるで、精神的なへその緒すらも、母親と繋がったままなのではと、疑うレベルの依存具合だった。

彼女のアイデンティティや、ライブハウス事業という、
好きな仕事に取り組むエネルギーの源泉すらも母親と紐づいていたため、
その死は「自分の半身を強制的に引きちぎられた」に等しいトラウマとなっている。
この「自他境界の曖昧さ」が、彼女の底なしの虚無感を生んでいるのだろう。

あとは、シンシン役の日本語セリフが、かなり不自然な片言であり、
没入感へのノイズになっていると感じた。
なんというか、往年のチャン・ドンゴンのCM「アナタガ、トゥキダカラ〜」を彷彿とさせるような、
妙なコミカルさが漂ってしまい、シリアスなトーンのノイズになっていた。
(^_^;)

疑問だったのは、たった数日間、異国の街を一緒に歩き回っただけで、
なぜそこまで深い精神的身体的な結びつきに至るのか。
恋仲過程の描写がご都合主義的に見えてしまい、説得力が無さすぎた。
母親への依存を拗らせている女性と、母親から押しつけられたトラウマに未だに悩む男性。

なんで私よりも悩ましく不幸そうな男女の2人が、ブチューとキスできて、
私はブチューとキスできないわけ?おかしくね?世の中不公平過ぎじゃね?
凸(゚Д゚)オカシクネ?

​日本から来た傷心の女性が、旅先で知り合った現地男性とすぐに深い関係になる展開は、
股が緩い国から来た女という、ステレオタイプを補強するようなものだ(笑)
(^q^)9m

だがしかし、、、
(ΦωΦ)フフフ…

「完璧に通じ合えない言語の壁」こそが、二人の距離を縮めるトリガーになっていると思われる。
ちづみは日本での、普通に会話が成立する人間関係に疲弊していて、
一方でシンシンの「たどたどしくも嘘のない、直球で拙い日本語」は、
ちづみの凝り固まった心の防御をすり抜け、ダイレクトに温もりとして届く。
「言葉が完璧に通じないからこそ、散歩中の景色や相手の体温など、五感に集中できる」という、
吊り橋効果のような心理が働き、わずか数日での急速な接近を可能にしている、と睨んでいる。
ではなぜ、このような読み解きができるのだろうか?それは、、、

フィリピンパブにハマり通い詰めていた私の元上司と、同じ心理状況だと思ったからだ!(笑)
(^O^)v

よく、高校生くらいの男の子が、同年代のお友達ではなく、小学生のガキンチョを集めて、
公園とかで偉そうにリーダーヅラして、ドヤ顔マウントとってる奴が、たまにいるじゃん。

アレと同じ心理(笑)
シ━━━ッd(ºεº;)

​シンシンが抱えるトラウマは、彼が「台湾人の母と日本人の父」を持つハーフであるという血統、
そして母親からの精神的な支配、あるいは不在に起因している。
アジア圏、特に台湾の家族文化において、息子と母親の距離感は日本以上に濃密であり、
第三者からは「マザコン」に見える強い愛着が存在する。
彼もちづみと同様に「母親という絶対的な存在」からの自立や喪失に苦しんでおり、
だからこそ二人は出会った瞬間に、言葉を超えて「同じ種類の傷を持つ者」として共鳴し合ったのだろう。
彼らの恋愛は、男女の愛というよりも、互いの「母親の影」を埋め合おうとする痛々しいヒーリング行為だったと言える。

良かった演者
岸井ゆきの
余貴美子
飯田基祐

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