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大日向村
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『大日向村』に投稿された感想・評価

3.0
〖1940年代映画:小説実写映画化:東宝:日本映画傑作全集〗
1940年製作で、和田伝の小説を実写映画化らしい⁉️
満州に最初の日本移民による分村を作った、信州の一村の人々が移民に踏み切るまでの人間模様を描いた作品でした。

2023年1,949本目
映画が単なる娯楽ではなく、時には政治利用され民衆に悲劇をもたらす一因となることを証明する貴重な記録。苦しい国内での農業を捨て夢と希望に溢れる満州への開拓に向かう主人公たちの姿は真摯に描かれているけれど、モデルとなった村人やその宣伝を純粋に信じて満州に渡った人たちの顛末を知っていると余計に作品の残酷さがにじんでやりきれなくなる。

この作品に加えて同じ年にハンセン氏病の隔離政策を美化して描いた『小島の春』を手掛けてしまった豊田四郎監督は映画の裏に蠢く闇に囚われてしまったのだろうか(当時豊田監督が所属していた東京映画の親会社である東宝が国や軍部との繋がりを強めるため積極的に宣伝映画を作っていたことも大きいが)。
観たのはドキュメンタリー映画「大日向村の46年 満州移民・その後の人々」(山本常夫監督 1985年 155分 公開時の媒体は16mmフィルム)ですが、Filmarksにないのでこちらに。

長野県大日向村(現佐久穂町)では、1938年に村人の半数の760人余りのが満州に開拓団として行き、この事実を元にして1940年に映画「大日向村」が作られる。大日向村は山と川の合間の狭い土地にあり、耕作地が少なく、これと言った産業もなく村人は困窮していた。そこで村長が人口を減らすために率先して村民を満州移民実行したという内容らしい(未見)。
大日向村の分村移民は満州開拓の成功例として当時大きく取り上げられ、この映画も全国で上映され、満蒙開拓団が増えていくことに一役かったと言われているので国策映画と呼ぶ人もいる。なお、敗戦後、村人は村に帰れない人がほとんど、生き残った人は軽井沢に入植して新たな大日向村を作り、現在も人が住んでいる。

ドキュメンタリー「大日向村の46年」は、1984年に映画「大日向村」の舞台となった地で村人にインタビューした作品。二部構成で第一部「分村移民の軌跡」では原作「大日向村」を書いた作家の和田傳、満蒙開拓を担当していた拓務省の役人、村長の友人の男性の話から、果たして分村移民が主体的に行われたのかに迫る。
第二部「語る-過去と現在をつなぐもの」(109分)は村人へのインタビューなのだが全て女性。山本監督のトークも開催され、男性にも取材したが「自分のこと」として語ってくれたのは女性の方だったとのこと。

満州に行った人や関わった人がまだ生きており、直接話を聞けたことがこの作品の力強さ。当時は兵隊で戦争に行った人の証言はまだ難しかったと思うが、村人は直に誰かを殺した訳ではないので、言葉を濁す場面があるにしろ向こうの生活が案外楽だったこと、ハルピンに難民として移動してからは寒さと飢えで家族が大勢死んだこと(村人の約半数がそこで亡くなっている)、帰ってからの苦労などを割とよく語っている。また言葉は少なくても彷徨う視線の先に彼女たちの後悔や苦しみなどの想いも感じられた。最後に出てきた女性の監督に対しての「あなたみたいに追求しないからという言葉の秀逸さ、哀しさ。

生きよう、あるいは村のために自分の勤めを果たそうと思って行った満州開拓だったが、結果的には戦争に加担し、自分も家族も辛い経験をすることになった。今の我々が戦争にどう向き合うかということも問われている作品だった。

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