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どんと行こうぜ
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『どんと行こうぜ』に投稿された感想・評価

 デビューの頃の作を除けば、野村芳太郎の最良の作にも思える。歩く被写体へのどんでんと縦の図の絡めのタイミングとキレ、(ひとつの図の中の)反する複数方向の収めと掛け合い声の併行、野風僧な長いフォロー自在縦め移動、部位·部分の切り取り、柔らか自然な角度変での締め、二分割対照画面の2人や·当時珍しい移動エピローグエピソードへのTITLE入れの締め·らの洒落っ気、村山·小西からクレージー(安田伸がメイン!)·市原ら話題(により·成ってく)の人の引っ張り出しと、ウワツカない多彩ロケ地の配置、落ち着かせない語り密度と速度、学生·社会人·管理職·資本家もそれぞれに正しさもつ役の重み、といった演出の才腕もあるけれど、最大の功績は、当時の並の松竹映画のような安易な逃げ場·休息場への吸い込まる、安定の時間や作劇が避けられて、とにかく喋りも動きもスピーディ停滞しない事だ。私もまだ物心もついてない時代の現在を扱った作だが、まるで郷愁など味わえないのは、(当時の)固定観念というものと無縁な、今も活き活きしてる生の感覚に張り付いてるからで、威勢のいい青い若手漫才集のようでもあり、津川等アドリブを随所にかましてるようにも見える(実際は違うにしても)。
 そのさらなるベースはやはり大島脚本にあるのか。津川·川津·小坂、牧(デビュー間もない頃)·中·九條らの、松竹定番学生青春ものの1つにしては何か変。松竹風下町や、生活困窮者は一切出ない、その自覚も少ないブルジョワ学生と、社会最先端マスコミと批判批評的精神だけ。大島の監督処女作と表裏対照的舞台だ。ウェットさを拒絶。足場に囚われない分、どんどん時代最先端に入りこみ、無遠慮でスマートに、取材の言葉を投げかけ中継できてく。妙な屈託無さ。未解析な分野が質問をふらつかせ、可能性を拡げる。罪の意識の完全消失の不完全·無知感覚というより、不思議に可能性だけを感じさせもする·本質強か世界。大島の本質·美点の最大は、ジャーナリスティックな先見性とかなりの人が声を揃えるが、実際本作には、脚本ベース段階から逃げ場·安息場が全く用意出来ない程、相手や状況を見極めるのに、判断に揺れ動き極端から真逆極端へ結論してく忙しなさが、時代の本質不安と切迫にもゆき当たってゆく。信念の欠如ではなくて、現実の動きに敏感で正直であるからだ。
 現代大学生のバイト(から学生実業家に至る)と経済的観念についての、正確で誠実な実態記録番組を目指す大学の放送研究会。その中でも特に硬派の中心はお嬢さん学生。兄はラジオ局の番組製作にあたり、父の会社の受け皿行きを避けて、時代に乗り出している。研究会は、兄の縁ばかりでなく、半ば実力で空いた番組穴埋めの請負製作にチャレンジの機会を得て、成功もし、勇み足も平気(閉塞していっても)。対象として目をつけた男子学生は、労働実態の馬鹿馬鹿しさに親の脛を齧り倒すべしというも、それは建前で、効率のいいバイトを組み合わせての、金の亡者たるを実践してる。彼女と彼の2人ずつの同士も絡め、恋が生まれてく。恋の生まれや応援し合いに敏感で、皆重々しく固まってなくて、思いつき·直感でも軽く動きもす。信義や友情にも結構篤い。セックスなど3Sのセンセーショナルを求むスポンサーと会社上層に翻弄され低姿勢の、これに係る社会人の方こそ汲々としてる。が、互いに軽んじない、ボールを投げ合う。ストや資本家·管理職取込みへも突き進み、自己の進む方向を疑わない、学生ら。逆に社会人は、上からあっさり絶縁(され)、一旦安易安全に退くも厭わない。が、本意からの撤退敗者と自己を決めつけない。恋に左右された本音はあれど、見た目、その時点の自分の建前は譲らない。やはり、ピリリと何か違う。ここの人物が世界の一面にしか接してないにしても、その裏面にいつか深く接しても動じ無いものを蓄えていってるし、育ちの良さは、形は様々だろうがどこかで獲なくてはならないものだ。ここでは、何を選び、決めるのかだけの姿勢が純粋に問われ続ける。『愛と希望~』と表裏で、2つ合わせて大島世界か。トリュフォにはバザンとの実父に代わる豊かな出会いは大きかったろうし、市民講座みたいなので·思わず暴力に近いのを振るってしまう程に辟易した·それより10歳位年下の、少年期を何もない(と勝手決めつけの)山陰の僻地へ行かされ孤独に育った事の恨み·反動力だけをウリにしてる日本の、反商業映画を謳ってた情けないウジウジ作家の様なのには、価値は生じない。
2.5
1959年製作公開。脚本野村芳太郎、大島渚。監督野村芳太郎。大島渚のオリジナル脚本を野村芳太郎と大島が脚色したそうだけど。

何がどんと行こうぜなんだか。

60年安保を控えての、どんと行こうぜだったんだろうか。意味不明のストライキをさせてりしたけれどそんな賃労働と時間を描きたかったんだろうか。大島渚は、この年、愛と希望の街』を撮り、翌60年には『青春残酷物語』『太陽の墓場』『日本の夜と霧』と、怒涛の3連作が待っている。

そんなことを踏まえて大島渚のオリジナル脚本というものがどんなものであったのかを想像するのも楽しい。

さて、まだまだすらりとしている頃の渡辺文雄と目元涼しく鼻筋通った牧紀子の兄妹。兄はラジオ局勤務。妹は大学生。ふたりの話から実家は相当の事業を営んでいるらしい。そうでしょ。大学に上がるなんてなかなかない時代だったでしょうから。

学生のアルバイトをどう思うかって?学校卒業したら何十年も働かなくちゃならないのに、何が悲しくて学生が働かなくちゃならないの。わたしはそんな風に思っていた。今でも労働には嫌悪感しか感じない。労働で流した汗は美しいなんて、そんなことあるわけないじゃんか。

とはいえ、授業料と最低限の生活費は必要なので短期間で稼げるバイトを考案して数年間過ごした。本作でも学生が効率のいいバイトを模索していましたが、あ、闇バイトで金を騙し取ったわけではありません。時間を売るのです。でも、やっぱり酷い食生活を送っていたものでした。

牧紀子。大学の放送研究会でそんな大学生の就労ルポルタージュを作る。兄のラジオ局で放送されたものの番組のスポンサーには不評で、学生のセックス、スピード、スリルの3S をテーマにとリクエストされる。
強気な彼女もセックスなんてよくわかんない、と学生作家の小山田宗徳を訪ねると飛んで火に入る夏の虫とばかりに餌食になりかかるのですが、都合のいいことに助っ人が現れて危難は去ります。このあたりの描写は作家の邪な妄想のような気がしないでもない。

結局、わたしには何を言いたいんだかよくわかんない作品ですが、ハナ肇とクレージーキャッツや長嶋、村山の巨人阪神戦を観ることができるのです。

国立映画アーカイブ 没後10年 映画監督 大島渚 にて
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3.4
エネルギッシュで臆面もなく笑うことが出来る恋愛コメディー。

この作品、この監督独自の雰囲気というよりも、この時代性がこの映画の持つエネルギッシュさの源なのだろう。

学生運動の余波を感じ、社会批判を目的とした放送運動を行い、いわゆる"意識の高い"牧紀子演じる女性と卑近に金稼ぎに準じる現実思考の高い津川雅彦演じるサブの対立と、恋愛模様が中心に描かれていく。

とにかく行動!行動!行動!といった感じ似話が進んでいくのも面白く、男女の恋模様のざっくばらんな感じも清々しく良かった。

『どんと行こうぜ』に似ている作品

赤頭巾ちゃん気をつけて

製作国:

上映時間:

89分

ジャンル:

3.3

あらすじ

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