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ジャン・ルノワールの小劇場
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『ジャン・ルノワールの小劇場』に投稿された感想・評価

菩薩
4.0
① 最後のクリスマス・イヴ

少女売りのマッチ…じゃなくてマッチ売りの少女だし素晴らしき放浪者だ。出だしから見事に掴まれる。

② 電気床磨き機

純粋にコメディとして面白いしあの旦那のあのコケ方は心配が勝つ。ころころと表情を変える遺影。

③ 愛が死に絶える時

この時代に自分がブルジョワだったら幾らだって金出してやったのにと思わずにはいられない。

④ イヴトーの王様

ポリアモリーと言うよりは如何にして争いを避けるかがルノワールにとっては重要だったのではないかと思ってしまう、引き出しの銃の出番は無いし決闘は成立しない。美しき的玉に擦り寄っていく男をそれでも弾き飛ばそうとはしない。遺作のラストをスクリーン一杯の満面の笑みで終えた事実に何よりも感動してしまった。


そんで演技指導観たいんですけど…。
ジャン・ルノワールの遺作。理屈を通り越して感動してしまった。
ルノワールは最後まで笑っていたのだと。

今でこそルノワールは、ゴダールやロメールなどのヌーヴェル・ヴァーグの映画作家に影響を与えたー影響は今も全世界的であることは言うまでもないがー映画監督として有名ではある。だが、生前はハリウッドでの活躍が期待されていたほどではなかったし、フランスに帰ってきても興行的に芳しくもなかったり、辛苦を味わっていたはずだ。

でも本作のラストは大団円で笑っている。正確に言えば、「物語ではせめて笑おうとした」が正しいのかもしれない。それでも決して興行的な失敗や批評をペシミズムに嘆くわけでもなく、笑っている。その姿勢は立派だなと思うし、私もこんな陽気なおじいさんになって生涯を全うしたいと思った。

本作は4話構成なので、各話ごとにレビューする。ネタバレを含みます。

第1話「最後のクリスマス・イブ」

1話目から死の話ですか。雪が降るクリスマス・イブの夜。ホームレスの男は、友人とディナーに来た男に窓から食事を眺めていろと「雇われる」。それを不憫に思いつつ、給仕もまた「景観を損ねる」としてディナーの残り物を「プレゼント」する。ホームレスの男が川辺の寝床に帰ると妻が待っている。彼らはかつて豪邸に住んでいて何一つ不自由ない暮らしをしていたそうだ。そんな思い出に耽りながら、ディナーをして、ダンスもする。しかし翌日彼らは身を寄せ合うように凍え死んでいた。

ホームレスの男は残り物をプレゼントされたとき、紳士的な振る舞いでワインの味にはうるさいぞと言ったりする。だから、本作は男の過去の栄光と悲惨な現実の対比をして、人生の栄枯盛衰を描いていると思った。しかし男が、昔は裕福だったとする回想は偽りだという妻の指摘がある。この時、過去の栄光は真偽不明なイメージになってしまうし、それならホームレスの男は生まれたときからずっと貧乏なままで、死に際でさえ栄光を「眺める」しかできないことを言っているような気がする。それならあまりにも残酷すぎませんか。

物語以外の側面に着目すれば、過去と現在の繋ぎとセットが印象的だ。

夫婦が住処にしているのは川沿いの路上。ただしその路上はロケーションではなく、セットである。ただ彼らが雪の舞う中でダンスを踊り、過去と現在がフラットに繋がってしまう描写はさすがだと言わざるを得ない。

人生には栄枯盛衰があると思いたいが、もっと残酷な現実がある。それこそ人生そのもののような気がするし、1話目から残酷な事実を提示するのだから、ルノワールはやっぱり凄いなと思う。

蛇足
からかう男の連れの女性は歯を痛んでいるが、それは『捕えられた伍長』で伍長が歯を痛めていたこととも似通う部分がある。歯の痛みは個人的にみれば大問題であるが、当人以外には全く分からない、取るに足らないことの象徴なのかな。

第2話「電気床磨き機」

電気床磨き機を主題にしてオペラを撮るとかマジで意味が分からない(好き)。どういう風に着想して、作品にできると確信したのか全然分からない。そしてちゃんと面白いのだから素晴らしい。そうは言っても本作のテーマは「機械と闘う現代人の姿」。笑っていいのか分からないオペラをそれでも笑いつつ、その喜劇の奥底にある現代人へのアイロニーが滲み出ている。

笑っていいのか分からないのは人が死ぬからだ。

電気床磨き機という単なる家電でオペラを撮っているのだからふざけているのは間違いない。妻のエミリーが、夫のギュスターブが仕事で昇格することには無関心で、代わりに電気床磨き機をせびるくだりは馬鹿げている。隣人が床磨き機のセールスマンで機械をもって現れるなんてコメディでしかない。しかしギュスターブはそのセールの最中でツルツルになった床に滑って頭を打ちつけ死ぬ。これはお話の流れから笑っていいのだけれど、死んでいるしな…と思ってしまう。

ギュスターブの葬式もオペラ調であって不謹慎にも笑ってしまうのだが、エミリーはそこで幼なじみのギュールに出会う。そして再婚する。この展開の突飛さには驚きつつ、エミリーとギュールはまたもや電気床磨き機を巡ってケンカをする。この様もドタバタコメディであって、ギュールの態度を遺影となったギュスターブが笑ったり茶化すくだりがあるから、笑っていいはずだ。けれど、このケンカの果てでギュールは電気床磨き機をベランダから投げ、妻も後を追うように飛び降りて死ぬ。これは笑っていいことなの…?

明らかに笑っていい主題で、明らかに笑っていい彼らの明らかに笑っていられない状況。

これがルノワールの笑いに潜んでいる悲哀さや人生の辛苦な気がする。そして時代に対する批評性だ。

本作は電気床磨き機を主題にしたヘンテコオペラ劇であるのは間違いない。しかし電気床磨き機を取り巻く夫婦の間柄は商品に生活を支配されている現代の私たちの姿だと言えるし、乾いた死もある態度を表しているように思える。すなわち不毛さだ。電気床磨きに囚われる人間と人生の不毛さ、夫婦生活の不毛さ、そしてオペラで登場する若い男女が表象するラブ・ロマンスの不毛さ。この不毛さに対するアイロニーがあるから笑っていいのか戸惑うし、単にヘンテコオペラを笑っていればいいわけでもないのだ。

蛇足1
妻・エミリーは磨かれた床は家の勲章やミンクと同じといっているが、「ミンク」を家庭の裕福さにするのは第1話でもあった。

2
エミリーとジュークのケンカで、エミリーは殿下/電化の宝刀「実家に帰る」発言をするのだが、そのとき写真の中のギュスターブは反応なし。その後もジュークはギュスターブの表情を確認するアクションがあるが、2カット続けてギュスターブの表情は映されない。ここに本作の奥底にある恐ろしさや不穏さが滲み出ている。
そしてエミリーのある種アンチ・モノガミー的な親密さは、第4話に続いているし、ルノワール作品における親密さとはまさにこれだと思う。

3
エレベーターに乗っている最中に、他人のフランスパンを囓ったよね。夫。模範的市民として死んだギュスターブに合掌。

第3話「愛が死に絶える時」

第2話が衝撃的過ぎて、第3話はどうなってしまうの??と身構えていたら、歌唱シーンだけだった。歌い手はジャンヌ・モロー。1シーン1カットで驚いた。イメージとしての考察はし難いので、歌詞を一部引用して終わる。

「すべてが終わるとき 
 美しい夢が 
 死に絶えるとき 
 逃げ去る日々をなぜ嘆くのか 
 消え去った夢をなぜ悔やむ 
 口づけは色あせ 愛の物語は  
 すぐに終わってしまう 
 傷ついた心だけが永遠に残る 
 すべてが終わったときには」

第1話に続いて人生の残酷さの提示のような気がしている。けれどここで終わらないのがルノワールだし、その先が第4話なのだと思う。

第4話「イヴトーの王様」

愛だ…これがルノワールの愛だ…

幕開け前のルノワールの言葉のように「寛容さという美徳」を主題にした物語だ。ルノワールも寛容さに最後に行き着いたんだな。そして笑っている。とはいってもその笑いに行き着くまでには、妻に不倫され、友人に裏切られ、世間に笑われ、暴力性を押し隠して許すという忍耐の過程があるのだが。

本作において衝撃的な描写は何かと言えば、主人公の男であるデュヴァリエが財布を取り出すタンスに銃があるということだ。それまでは彼をペタンクというボール遊びを趣味にして、若い妻・イザベルと仲睦まじく暮らしているおっちゃんと思っていた。しかし彼はただのおっちゃんではない。彼はタンスに銃を隠している。つまり身の危険が迫ったり、アクシデントが起こったらいつでも誰かを殺せる暴力性を秘めている、そんな恐い男なのだ。だから妻の不倫が発覚したとき、緊張感が漂う。もしかしたら怒りに乗じて銃を手にし、妻と不倫相手の友人を殺してしまうのではないかと思うからだ。

けれど彼は使用人のポーレットの忠告を受け入れて、妻たちがセックスをしている部屋を覗かない。友人が不倫を謝罪して、銃を手に取って死のうとしても止める。世間に妻の不倫がバレても、いつものようにペタンクをする。この彼が暴力性を押し隠して、寛容であろうとする姿に感動してしまうし、この美徳こそルノワールが理想とする愛だと思うのだ。

デュヴァリエはあまりにも私たちと同じ人間だ。どこにでもいる気のいい人。しかし内なる暴力性が顕在されれば、他人に加害を与えらえる存在。そんな暴力性をないことにするのではなく、押し隠すこと。そして寛容であること。それが人生の最後まで笑っていられる術なのかもしれないし、私もそうありたいと思う。

蛇足1
使用人のポーレットは高級娼婦になりたいと発言するように、性に奔放的な存在ではある。だが妻の不倫を目撃したときは、ショックを受けているし、デュヴァリエには部屋に入らないように忠告する。実は一番性愛に純粋なのはポーレットだし、きっと彼女の性愛観はルノワール自身の感性を反映させていると勝手に勘繰っている。あとポーレットが彼のジャケットについた小麦粉を払う仕草こそ愛な気がしている。

2
妻と友人が浮気をする瞬間はいつなのかと言えば、飼っている犬のリンダが骨を飲み込んで、友人が医者として駆けつける当日である。客観的にみて、友人は妻が浮気をするほど魅力的な人物かは分からないし、親密になる出来事がほかにあるかと言えばそうでもない。けれど二人は愛し合う。まさにISA(=いつのまにそんなに愛しちゃったの)。

3
デュヴァリエが道ばたを歩いているとき、子どもたちがボールを投げ合う遊びをしている。あのボールの投げ手と受け手が即座に変わる様子はルノワールの作家性の現れな気がする。

以上、各話レビューしてきた。

エリック・ロメールが無人島に1本持って行くならどの作品かという問いに本作を挙げたのも納得だ。悲喜こもごもの人生が詰まっている。そして何だってできる。笑っていられる。

本当に素晴らしいショーをみせてもらった!まだまだルノワール作品はみれていないから、これからみていくのが楽しみだ。

補記
以前発売されたDVDには「ジャン・ルノワールの演技指導」が収録されているので、ここに記しておく。

正直な印象を言えば、あんまりよく分からなかった。

ルノワールがジゼル・ブロンベルジェに演技指導をしている様子がドキュメントされている。その演技指導では、彼女にセリフが書かれたテキストを渡し、役の設定を説明した後、感情を一切入れない電話帳読みでセリフの読み込みが行われる。その後、ルノワールを相手役に見立て、動きも入れたリハーサルがされる。そして本番の撮影が行われる。

最後の本番の撮影では、役の集中力を続けながらセリフを繰り返して演技できているのは素晴らしいと思った。しかし動きはどうかと言えば、途中で視線がカメラ下方に落ちて役の集中力が途切れていたり本当にOKカットか怪しい。

電話帳読みにしても、確かにルノワールは、ブロンベルジェが感情を入れてセリフを音読みすると、それは違うと厳しく指導する。ただそれが徹底されているかと言えばそうではないし、彼女が厳しい指導で泣きそうになりながらセリフを音読みすれば、そうだと言って励まし肯定する。私は客観的にみて、その〈声〉の良し悪しが正直分からず、ルノワールの肯定は演技に対してではなく、彼女その人に対しての印象を受ける。

別にルノワールの指導が不適だと言いたいわけではないが、第三者は崇め奉り過ぎだと思う。カイエ派がルノワールを映画作家として神格化させたのと同様なことが起こっている気がする。

そもそも『ゲームの規則』におけるルノワールの「過剰な」演技をみれば、彼が役者をモデルとして真正さを現前させようとした監督にも思えないし、私も期待過ぎたのかもしれない。
もちろん彼の映画や出演する俳優にとって、彼の演出、本読みが必要不可欠であったことは事実であるだろう。ただそれを過剰に持ち出すのは違うというのが私の所感です。
前作「捕えられた伍長」(1962)から8年ぶりに作られたルノワール監督最後の作品。監督自身が脚本も手掛けた3話オムニバスのテレビ用映画。司会役としてルノワール監督が幕間に出演。

1話「最後のクリスマス・イブ」
レストランで行われているパーティーを窓ガラス越しに覗く放浪者。客たちは帰りがけにコートや食事を彼に恵む。男は橋の下に待つ妻に持ち帰り二人のイブを過ごすが。。。

2話「電気床磨き機」
清潔好きな主婦エミリーに夫は最新の床磨き機を買ってあげた。しかしあまりにもツルツルになり夫が滑って死んでしまう。再婚相手の夫は磨き機の音がうるさいと窓から放り投げてしまうが。。。

★歌コーナー
“愛が死にたえるとき”歌唱ジャンヌ・モロー

3話「イヴトーの王様(寛容への賛歌)」
デュバリエは若い妻イザベルと結婚し、友人とのペタンクを楽しみに幸せに暮らしていた。しかしある日、愛犬の治療に来た若い医師と妻イザベルが不倫に陥ってしまう。事実を知ったデュバリエは医師に決闘を申し込む。責任を感じた医師は自分は空砲の銃を持ち撃たれて死のうとするのだが。。。

出来の良いテレビ・バラエティーショーを観たような趣。どの話も人生への示唆を含んだ完成度の高いブラック・コメディーで面白かった。1話はジュリアン・デュヴィヴィエ監督風、2話はルネ・クレール監督のアップデート版の様に思えた。最後の作品で古き良きフランス映画を回顧したかったのかもしれない。

本作について最も驚いたのは、IMDbでたったの295名しかマークしていないこと。欧米ではほとんど無視されているに等しい数字。フィルマークスは現時点で106名マークなので、ルノワール監督がいかに日本で人気が高いかを再認識した(毒を吐けば権威主義シネフィルが多いとも言えそう)。

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