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ブンデスリーガ
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ブンデスリーガの作品紹介

ブンデスリーガのあらすじ

久しぶりの母校。誰もいない体育館で思いきり手を伸ばす。そして天井を見る。やはり、あの体育館に違いない。あの頃と同じ場所だけど、あの頃とは違う。時間が変えた僕等について。

ブンデスリーガの監督

太田達成

原題
製作年
2017年
製作国
日本
上映時間
65分

『ブンデスリーガ』に投稿された感想・評価

mingo
4.0
芸大院10期卒制。10期3作品鑑賞したが間違いなく本作の豊かさは他の追随を許さない。

物語は廃校になった母校でひとり卓球の本場であるドイツのブンデスリーガで活躍することを目指すカネゴンの不思議な面持ちではじまる。そこに中学校の同級生たちが訪れるようになり、旧友と遊んでいく中でカネゴンの「今」が浮かびあがる。

フィルムだけが魅せてくれる絵力と、廃校という場所性を活かしたカメラワークやカット割が特に秀逸。何より長回しを長回しと感じさせない切実な目線が捉える空間の描き方が突出している。

監督本人が本作をつくるうえで1番重要視していたことにあげているのは「豊かさ」である。それは現場で試行錯誤する時間が取れる現場(場所はすべてを語る。とも言い換えられるのかもしれない。)のことを指している。その場所で積み重ねた時間(過去はもちろん今現在、未来へ繋がる)のことを考えるだけでしっかり生きてきた人なら胸が苦しくなるのは当たり前だ。あのとき語り合った将来の夢、好きな女の子のこと、変なあだ名のやつ、クラスでうまく立ち回れないだらしの無い自分のこと、時が戻って欲しいわけでも今が愛しいわけでも未来に希望があるわけでもないが、言葉にしがたい「時間」を投げかけてくる本作をずっと見つめていたくなる。そして実時間を観客に焼き付けてからの最後に魅せるラストへと誘われたとき、「時間」の定義が崩壊し心地良さに見舞われる。芸大映画の傑作「息を殺して」「彼方からの手紙」しかり亡霊遊戯として見せることによって「時間」への哀愁と慈愛を炙り出す。生きることは夢幻泡影。なのかもしれない。

以上のようにエドワードヤンのような時間空間時代を飛び越えつつも、フィルムによる強度や持続させる長回し、場所性を重要視する感じが初期北野武「ソナチネ」「3-4×10月」(亡霊映画)をも想起させる。しいてこうして欲しいとあげるなら前者のような狂気や恐怖による「瞬間」を観たかったという点だろうか。それを抜きにしても十二分に傑作なのだが、序盤卓球をやるシーンで主人公下手やんと思わせておいてからのラストは、まさにフェイクすぎて思わず前のめりになった。言葉、動きの細部に面白みが隠れている不思議な不思議な映画作品。傑作。
1.2
『 ブンデスリーガ 』 

 あくまでも個の名で撮られた16mmフィルムのシネマらしいもの

 初見の時と変わらないが、やはりフィルム、デジタルシネマの問題という点では興味深い作品になっている。太田達成の前作、気の狂ったとしか言えない人物たちが、一軒家の家で繰り広げる不気味な関係性をこれしかないというショットとその断絶、ぶっきらぼうな音響で持って、彼ら二人の現代的にだらしない超然的な顔が恐ろしいタイミングとフレーミングで切り返され、もはや誰も見たこともないシネマに近づいていた『みるひと』(映画への自己言及としてすらタイトルはある)、おそらくHDですらないDVで撮られたこの映画をとりあえず、初期デジタルで撮られた作品(そもそも『ヴァンダの部屋』を挙げるまでもなくPanasonic DVXはその絶妙な解像度、ファジーな23.987というコマがその時代の35mmに対抗し得るルックを持っていた。その後のDSLRなど写真から来る意識された商品でしかない、ことを思うといささかまた別な問題ともなるが)と仮定して、新作の『ブンデスリーガ』を観てみる。

 なるほど人物たちは、いつともどことも知れない廃校に住み着き、社会的な活動は全く皆無であり、その宙吊りな世界の中でただ歩き、遊び、一応は彼らは同級生ということで、もうその成長した身体の大きさには似つかわしくない過去の話をしつつ、要所要所に、その廃校の空間、暗闇、不気味さ、世界そのものの恐ろしさ、を示すであろう手持ちの追っかけの16mmの長回し(廊下や長い階段の歩きなど、人物をフォローしつつも空ショットの時間があり意図的だ)や固定のロングショットなどがある。来るぞ、来るぞ、これこそがフィルムでしか捉えられない非中枢的な知覚であり、シネマにおける歴史を纏ったショットの時間だと誰もが待つのだが、しかし何の力もない。そこには作者たちの狙い以上のものは起こらない。単に物語作者ではないだけだ。世界そのものを捉えようという垂直的な出来事はしかし、作者たちの水平的な頭で考えらえたフィルムの映像の中にはなく、何の温度も、ここにはない。ただただ、既視感としてのシネマっぽい雰囲気の怖さ(もはやエドワード・ヤンのセール消費物、どこにでも誰でもかまわない様に濱口)があるのかないのか。宿題はよくできました、さようならということ以外には何もない。この期に及んで16mmを選択するというのはやはりよくよく考えて撮らなければ成功しないのだなと思った。デジタルシネマにおいても意気揚々と自らのフィルモグラフィーを刷新していく稀有な作家たちである、ロバート・ゼメキス監督、ダルデンヌ兄弟、デヴィッド・フィンチャーがいて、16mmというとギョーム・ブラック、『キャロル』、『さよなら渓谷』、あるいはウェス・アンダーソンがいて、はたまた廃墟なのに全くショットが怖くない黒沢清のデジタルシネマ(岸辺の旅は大好きです)があり、やはり映画は才能がなければ撮れないということでしかない。ゴダールをみればカメラが35mmであろうとGoProであろうと何も変わらない。ただ歴史とともにある才能の有無だけしかない。そうでなければ、デジタルシネマにおいてはダルデンヌやゼメキスを見習い、人間ドラマかメロドラマを中心軸にして俳優を(こと女優を)撮るしかない。もちろん彼らの才能も計り知れないが。私たちにはもう、黒沢の『リアル』青山の『共喰い』というあっけなく醜い惨敗を結構前に見てきたのだし、その前年にトニー・スコットが亡くなったのだからフィルムで撮るという馬鹿げた選択肢はもうありはしない。撮ったところでテレシネするんでしょDCPで上映でしょ、としかならない。(35mmフィルムの不用意な墜落として『ラ・ラ・ランド』もある、これは極めつけだった、『アロハ』のエマ・ストーンですら、いやエマ・ストーンだからこそなのか)あるいはありうるとすれば、最後の手段としてナイトレート・フィルムで撮るということだ。どんな権力が発動されればナイトレート・フィルムで長編映画を撮ることができるのか。ナイトレート・フィルムで撮られた黒沢清の長編映画の出現を夢見つつ、いまは健気に努力をする映画監督たちの前身を見守るばかりだ。しかしジャン・ルノワールが再来しない。私たちは待ちつつ、急ぎつつあるのだ、デヴィッド・ロウリーよ。君とともに。ただ一人で。

いまこの時に16mmで撮影された映画を旧フィルムセンターのぴあフィルムフェステバルという映画祭において、DCP上映で観るというのはどういうことなのだろう。東京藝術大学という学校で製作された修了制作である本作を以前馬車道校舎という場所で観たのだからわざわざ向かう気も起きず、amazonでDVDを注文するという暴挙にでてみることもせず、だからやっぱり見直さなかった。
海に浮かぶ映画館にて。心地よくて寝てしまった。

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