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アドレノクロム
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目次

アドレノクロムの作品紹介

アドレノクロムのあらすじ

奴らは殺した人間の内臓や血液で、究極のドラッグ<アドレノクロム>を作り続けていた… 政治、経済、芸能…、世界の闇に蠢く黒い噂と陰謀論とともに語られる“アドレノクロム”。アドレナリンの酸化によって形成されるその化合物は、強烈な麻薬効果や若返り効果があると信じられている。抽出には幼い子どもが誘拐や人身売買の犠牲となり、その流通には秘密結社や悪魔崇拝者が絡んでいるという噂も絶えず、<悪魔の薬>とまでいわれている。 人間の臓器から抽出される最高の麻薬を取り出すため、猟奇殺人を繰り返す<ヴェニスビーチ・ギャング>とは何者なのか?

アドレノクロムの監督

トレバー・シムズ

原題
Adrenochrome/Misirlou
製作年
2017年
製作国・地域
アメリカ
上映時間
84分
ジャンル
アクション

『アドレノクロム』に投稿された感想・評価

ぶみ
2.0
100%ドーピング、観る危険物。

トレヴァー・シムズ監督、脚本、主演によるドラマ。
人間の臓器から抽出される究極のドラッグ「アドレノクロム」を追い求める人々の姿を描く。
これは、ヤバいやつでした。
終始、トリップ感を演出したエフェクトがかかっており、一応「アドレノクロム」を求めるギャング団とイラク帰還兵の話ではあるものの、正直何がなんやら。
そんな中、ベテラン俳優トム・サイズモアが登場していたのは驚き。
そして何より、観賞当日の状況で言うと、全国19館の公開で、どこも一日一回のみ、かつレイトショー手前の時間帯である18時や19時台の上映が殆どという、やる気のない状況がヤバさを伝えてくる。
とりわけ、私が観たイオンシネマではレイトショー価格になる5分前の19時55分開始という、嫌がらせかのような設定であり、なおかつ『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』が公開される中、あえてこれを観る奇特な人は私だけだろうと思いきや、結構同志がいたのには苦笑するしかない。
映画自体は意味がわからなすぎて、ドラッグを使うとこうなるよと言う啓発ムービーとして捉えるしかなく、一周回って、超B級作品を大スクリーンで眺める背徳感を味わえる珍作。

西へ向かえ、友よ。

本作は、戦争の傷を抱えた帰還兵がカリフォルニアへ流れ着き、ベニスビーチの裏側に潜むドラッグや犯罪の世界へ足を踏み入れていくところから幕を開けます。太陽や海、サーフィンといった開放的な風景とは裏腹に、彼は次第に暴力と狂気の渦へ巻き込まれ、現実と幻覚の境界を失っていきます。

タイトルからは「人間の身体から抽出されるアドレノクロム」という都市伝説を掘り下げた猟奇ホラーを想像しがちですが、実際のテイストはかなり異なります。ドラッグ、セックス、暴力、音楽といった刺激的な要素が次々と重ねられ、映画全体がまるで長いバッドトリップのような感覚に包まれていくのです。

そこにあるのは、低予算のインディーズ映画らしい荒々しさと、無難な枠に収まるまいとする強烈な勢いです。序盤こそ独特の不穏さに引き込まれる瞬間があるものの、同じ熱量のまま映像が続くため次第に感覚が麻痺し、後半へ進むほど刺激よりも疲労感の方が勝ってしまいます。

この破綻寸前のエネルギーそのものを「面白さ」として受け取れるかどうかで、評価は大きく分かれるでしょう。強烈なイメージを浴び続けた感覚は確かに残るものの、個人的にはその勢いに最後まで乗り切れず、鑑賞後には意外なほどの空虚さが残りました。



※以下、ネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。



























本作を考えるうえでまず重要なのは、タイトルである「アドレノクロム」が必ずしも物語の絶対的な中心ではないという点です。アドレノクロムという化学物質自体は実在するものの、それが強烈な若返り薬や幻覚剤になるという都市伝説に科学的根拠はありません。そうしたイメージは文学や映画を通してポップカルチャーの中で膨れ上がったものであり、本作もまた、その虚構性を孕んだ文化的な記号としてこの薬物を利用しています。

つまり、劇中のアドレノクロムは陰謀の真相を解き明かすための鍵ではなく、人間そのものが快楽のための「資源」へと変えられていく世界を象徴する装置として機能しているのです。人を殺め、その身体から薬物を抽出するという極端な設定は、金や性、暴力が入り乱れる本作の世界において、欲望が人間の尊厳を侵食していく構図を最も露骨に示しています。

さらに、この搾取のイメージをより重層的にしているのが、主人公が戦争帰還兵であるという設定です。戦場を離れ、平穏と自由を求めてカリフォルニアへやって来た彼を待っていたのは、ここでもまた人間が金と欲望のために消費される世界でした。戦争とベニスビーチの享楽は一見正反対に見えますが、「人間の身体や生命が何らかの目的のために使い潰されていく」という点において、両者は不穏な連続性を持っています。

そう考えると、ベニスビーチという舞台も単なる背景ではなくなります。太陽、海、サーフィンといった自由の記号が並ぶ一方で、その裏側には犯罪やドラッグ、貧困、暴力が剥き出しになっている。本作は、解放の象徴として語られてきた西海岸を、別の意味で人間を消耗させる場所として捉え直しているのです。

この構図には、かつてのアメリカン・カウンターカルチャー映画の系譜を見出すこともできます。自由を求めて西へ向かった若者が、その土地でアメリカ社会の暗部と出会う。戦争から戻っても平穏はなく、自由の象徴だった場所にも金と暴力が蔓延っている。「どこかへ移動すれば救われる」という幻想は崩れ去り、戦場から逃れたはずの男が、姿形を変えた別の戦場へ流れ着いてしまう。そこからは、アメリカン・ドリームの空洞化という主題が自然と浮かび上がってきます。

こうして紐解いていくと、本作が目指している着地点自体は決して難解ではありません。戦争、ドラッグ、暴力、消費、快楽がひとつの社会の中で結びつき、人間がさまざまな形で使い潰されていく。その先に、自由を掲げながらも新たな搾取を生み続けるアメリカの真の姿を提示しようとしているのだと思います。

ただ、本作が抱える大きな弱点は、その優れた主題を「人物のドラマ」として十分に定着させられていないことです。主人公の戦争体験は断片的に示されるのみで、彼が何を経験し、その記憶が現在の彼をどう形作っているのかという深掘りがなされません。PTSDという設定も、現実と幻覚の境界を曖昧にする舞台装置としては機能しているものの、映画そのものが彼の抱える傷に真摯に向き合っている印象は薄く、結果として「帰還兵」という設定が社会批評のための単なる記号にとどまってしまっています。

そのため、ベニスビーチで展開される犯罪やドラッグ、貧困といった要素も、一人の生身の経験を通して現実として立ち上がるというより、「病んだアメリカ」を示すカタログ的イメージとして並べられている傾向が否めません。戦場と西海岸、暴力と快楽を地続きにする発想は秀逸ですが、その接続を人物の感情が支えきれていないため、映画自身が語る批評というよりも、観る側が断片をつなぎ合わせて初めて成立する「解釈」の領域に留まっています。

こうした「イメージが先行する」という問題は、映画史的な引用や映像表現にも顕著に表れています。ドラッグ、暴力、バイク、音楽といった要素の配置には、過去のカウンターカルチャー映画やグラインドハウス作品への強いリスペクトが感じられます。サイケデリックな色彩や刹那的な性、乾いた土地、暴力と音楽を結びつける感覚も、そうしたサブカルチャーの延長線上にあるものです。

しかし本作では、それらの引用が新たな意味へと昇華される前に、生のまま画面へ流れ込んでしまっているように見える場面が少なくありません。過去の映画が持っていた空気感や格好良さを再現する方向へ傾倒しすぎた結果、映画への愛情が独自の作家性として結晶する前に、引用の多さそのものがノイズとして前面に出てしまっています。

映像面でもその傾向は同様です。極端な色調変化や色収差、フラッシュ、主観映像、スローモーションなどが絶えず多用され、序盤こそ「主人公の知覚が崩壊していく感覚」を観る側と共有する手段として機能しています。しかし、ほぼすべての場面が同じような強度で加工され続けるため、次第に重要な場面とそうでない場面のメリハリが失われ、逆説的に映像そのものが単調になっていくのです。

しかも、この感覚は本作が扱う「ドラッグ」という題材と皮肉なほど重なっています。最初は強烈だった刺激が次第に効かなくなり、さらに強い刺激を重ねなければならなくなる。本作の映像も同じように過剰さを増していきますが、それがドラッグ文化への批評として緻密に設計されているというよりは、単に刺激を維持するための手段が自己目的化しているように見えてしまうのが惜しい点です。

現実と幻覚の境界を曖昧にする構造も、本来であれば主人公の精神状態と作品世界を結びつける重要な接着剤になり得たはずです。しかし、劇中で何が起きても「薬物による幻覚」や「PTSDのフラッシュバック」として処理できてしまうため、一つひとつの出来事が物語の中で確かな重みを持ちにくくなっています。現実を揺らがせること自体が悪いのではなく、その揺らぎを支える人物の切実な感情が薄いため、曖昧さがサスペンス的な緊張感ではなく、単なる「未整理さ」へと陥ってしまっているのだと思います。

ここまでを踏まえると、本作の課題は「描きたいものが多すぎること」そのものではありません。戦争、ドラッグ、アメリカン・ドリーム、搾取、カウンターカルチャーという複数の要素を、一人の帰還兵が西海岸で経験する悪夢として結びつけることは、構成次第で十分に可能だったはずです。真の課題は、それらを結びつける人間ドラマよりも、血、裸、音楽、幻覚といった即効性のあるイメージ消費が最後まで優先され続けたことにあります。

もっとも、その「整理されていなさ」自体を本作の魅力と捉えることもできるでしょう。監督のトレヴァー・シムズが脚本から製作、撮影、編集、主演までを一手に担ったことで、作品全体には一人の作家の趣味や衝動がほとんど濾過されずに充満しています。低予算ながら無難なジャンル映画に収まることを拒み、己の好きなものを一つの画面へ徹底的に詰め込んでいく姿勢には、インディーズ映画ならではの確かな熱量があります。

ただ、その作家性の純度の高さは同時に、作品を客観的に見直し、何を残して何を削るのかを判断する視点の欠如にも直結しています。戦争帰還兵という設定、ベニスビーチという舞台、そしてアドレノクロムというモチーフには、現代アメリカの欲望と搾取を一本の太い線で描き出すだけの確かなポテンシャルがありました。それにもかかわらず、本作はその本筋を太くすることよりも、周囲へさらに多くの刺激を足していく方向へと突っ走ってしまいます。

総じて本作は、戦争から帰還した男が自由を求めて西海岸へ流れ着き、そこでもまた別の形をした暴力と搾取に直面するという構図から、現代アメリカの空虚さをえぐり出そうとした野心作です。人間そのものを快楽の原材料へと変えるアドレノクロムというモチーフや、自由の象徴だったベニスビーチを「新たな戦場」として捉え直す発想には、非常に興味深いものがあります。

その一方で、根底にある主題を支えるべき人物ドラマよりも、サイケデリックな映像や暴力、映画史的な引用といった表層的な刺激が前面に出すぎたことで、作品が本来持ち得たはずの批評性までが薄まってしまいました。強いイメージを重ねることと、テーマの意味を深めることは、必ずしも同義ではありません。本作の場合、その二つを最後まで有機的に結びつけられなかったことが、最も惜しまれる点だったように思います。

破綻寸前のエネルギーや、作り手の衝動がむき出しになった荒削りな映画を好む層にとっては、他では得がたいカルト的な体験になるはずです。ただ個人的には、その混沌を確固たる作品の個性へと昇華させるには、もう少し人物を中心に据え、そこから戦争、欲望、アメリカ社会へと波及させていく強靭な骨格が必要でした。多くを描こうと野心に燃えた映画であるからこそ、何を中心に据えるかを最後まで決め切れなかったことが、そのまま鑑賞後の空虚さにつながってしまったように感じます。
kakuko
2.8
給油キャップを落としちゃって「フ○ックューーー」ってなったところがウケたかな。
動画の加工アプリみたいなん使ってるのか。
飴舐める時に飴のキャラクターが横切るの寒すぎてビビる。
トップレスの女性を乗せた車羨ましい限り。
情緒のおかしい人ばっかりで疲れる。
笑ってると思ったらブチギレ、麻薬ダメ絶対。
母親がくれた大切な銃を大金積まれて売っちゃう。
副腎を切り取って食べる。
蛇のパフォーマンスしてるおっちゃん殴られて可哀想。
無双状態。
死んだら目がXXになるのわかりやすい。
宇宙からの爬虫類生物。
これは悪い夢を見てるんだって思ったらほんまにそうなんかなと思わせるラスト。
自分の体調が悪かったせいだ、多分そう、自分がどんな体調だったら面白く見れたんだろう。

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