2011年5月25日、名もない炭坑夫の描いた記録画と日記697点が、日本初のユネスコ世界記憶遺産になった。暗く熱い地の底で、石炭を掘り出し運ぶ男と女。命がけの労働で、この国と私たちの生活を支えた人々の生々しい姿である。 作者の山本作兵衛さん(1892-1984)は、福岡県の筑豊炭田で、幼い頃から働いた生粋の炭坑夫だ。自らが体験した労働や生活を子や孫に伝えたいと、60歳も半ばを過ぎてから絵筆を握った。専門的な絵の教育は一度も受けていない。そして2000枚とも言われる絵を残した。作兵衛さんが炭鉱の記録画を本格的に描き始めたのは、石炭から石油へというエネルギー革命で、国策により炭鉱が次々と消えていくさなかであった。その裏では原子力発電への準備が進んでいた。 作兵衛さんは後の自伝で「底の方は少しも変わらなかった」と記している。その言葉から半世紀。作兵衛さんが見続けた「底」は今も変わらず、私たちの足元に存るのではないか? 作兵衛さんの残した記憶と向き合い、その絵さながらに働いた元おんな坑夫の人生や、作兵衛さんを知る人々の証言を通じ、この国の過去と現在、未来を掘る! ゴットン!
1997年3月30日に歴史の幕を閉じた日本最大規模の三池炭鉱。その歴史を、「負の遺産」と言う人もいる。囚人労働、強制連行、三池争議、炭じん爆発事故・・・。炭鉱の歴史そのものが時代から消し去…
>>続きを読む本作はチェチェン紛争で「テロリストの巣窟」と汚名を着せられた東ジョージアの 山岳地帯、パンキシ渓谷で暮らす、キスト(チェチェン系ジョージア人)と呼ばれる イスラム教徒の人々を 3 年間に渡…
>>続きを読む昭和50年10月14日の鉄道記念日。滝ノ上市蔵の国鉄勤務30年の効績章受章を祝う宴が開かれているところへ娘・由紀が恋人を連れてくる。市蔵の鬱憤が突然爆発、二人の結婚に大反対し祝いの席は荒れ…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読むノーベル平和賞候補になり、朝日賞や埼玉県民栄誉賞などを受賞した水墨画で風景画家の丸木位里(1901‐1995)と人間画家の丸木俊(1912‐2000)夫妻は、「日本人側から見た記憶を残して…
>>続きを読む時は明治の中頃。北九州の炭坑に平野ていという女がやってきた。一山当てようと夢見る夫を追ってきたのだが、彼は炭層を掘り当てた直後、事故で死んでしまう。ていは夫の志を継いで炭坑を発展させようと…
>>続きを読む©2018 オフィス熊谷