
ピサロがいなければ、印象派は存在しなかったー。当時デンマーク領だった西インド諸島で生まれ、画家を志してパリに移ったピサロは、43歳の頃、情熱あふれる画家仲間たちとグループ展を計画し、印象派展を開催する。その後も30年にわたり、その志のもとに活動し、今日の世界における印象派人気の礎を作った。世界初の大学博物館であるイギリス・アシュモリアン博物館が所蔵するピサロが残した大量の手紙、作品とともに、彼の人生を丁寧に描いていく。
1890年に自ら命を絶ったゴッホ。生前は作品が評価される機会も少なく、死後は遺族がほとんどの作品を所有していたため、無名の存在に近かった。そんなゴッホの作品と出会い、個人収集家としては最大…
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>>続きを読む腕はいいが、食うことすらままならない生活を送っていた北斎に、ある日、人気浮世絵版元(プロデューサー)蔦屋重三郎が目を付ける。しかし絵を描くことの本質を捉えられていない北斎はなかなか重三郎か…
>>続きを読む19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムトとエゴン・シーレ。人間の不安や孤独や恐れを、世紀末的官能性のなかで描いたその作風は、今も色褪せることなく輝きを放ち、人々の心をとらえ続けて…
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