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『Eno』に投稿された感想・評価

実験的で衝撃的な、「アンビエント・ミュージック」のパイオニア、ブライアン・イーノのドキュメンタリー。

もともと観る気はなかったのだが、ニューヨークにて地元民に人気のカフェ「ユニオン・スクエア」で、知り合いとハンバーガーを頬張ってるときに、現在ニューヨーク在住の古い友人からメッセージが入った。

友人「むらむらくん、いまニューヨークにいるんでしょ? だったら『ENO』って映画、面白かったよ」

俺 「イーノって、あのブライアン・イーノ? ロキシー・ミュージック出身で、デビッド・ボウイの『HEROES』とかトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』とかプロデュースしてる?」

友人「他にもU2の『ヨシュア・トゥリー』とか、コールドプレイの
『Viva La Vida』とか」

俺 「確かにそのへんもやってるよね」

友人「しかも、この映画すごいのが

『生成シネマ』

って銘打ってて、毎回、上映してる内容が違うんだって」

俺 「なにそれ」

友人「特殊な上映機材使って、毎回内容を変えてるらしい。ニューヨーク・タイムズに書いてあったけど、

『54京通り』

の組み合わせがあるんだって」

俺 「えええ?どゆこと?」

友人「兆で言うと52万兆。とにかく、二度と同じものが観られない映画らしいよ。ぜひ観てみて」

調べてみると、上映している「Film Forum」では、夜の回は売り切れてるものの、ギリギリ夕方の回が受け付けてた。

俺 「なんとか夕方の回が取れそうなので観てみる。ところで、お前、ニューヨークにいるの?」

友人「今日、飛行機でニューヨーク戻るハズだったんだけど、PCのブルースクリーン障害で空港が大混乱してて戻れるか分かんない。でもまぁ5年ぶりだし、戻れたらメシでも食おう」

というわけでオンラインでチケットを即座に購入。地下鉄を乗り継いで、上映時間ギリギリに、グリニッジビレッジにあるFilm Forumへと飛び込んだ。

内容は、現在の禿げ上がった楽しげなお爺ちゃんといった風貌のイーノのインタビューを中心に、過去の映像が挟まれる形式。

思い出せる部分を箇条書きで挙げておく。

■ こんな感じの内容

・「一般の人は作曲というのは楽器に向かって頭を使って作ると思ってるかもしれないけど、自分の見てきた多くのアーティストは、まず感情ありきで、そこから音楽を作ってた」と語るイーノ

・U2「焔」のレコーディングシーン。感情のままに歌うボノと、激しくドラムを叩き鳴らすラリー。それを少しづつ修正して、「プライド」という完成した曲に仕上げていくイーノと、共同プロデューサーのダニエル・ラノワ

・デビッド・ボウイ「HEROES」のレコーディングでは、ボウイと一緒に小さなカードにいくつもアイデアを書き出し、それをランダムに取捨選択して、曲の解釈を広げていったという話

・アフロビートの創始者であるフェラ・クティの音楽に出会って衝撃を受け、すぐさまトーキング・ヘッズのデビッド・バーンに紹介。「リメイン・イン・ライト」につながる

・ライブ音楽の持つ身体性、社会性に関する洞察。コンサート会場では「個」は消え去り、一つの集団の中の自分という特異な体験が出来るという話

・デスクトップ上でリトル・リチャードなどの古いR&Bを流して、ノリノリで歌うお茶目なイーノ

・「曲を作るのではなく、種を植えたら花が咲くように、曲を作る過程を作っていきたい」と考えて、アンビエント・ミュージック(環境音楽)という概念に至った

・クラシックは脳、ロックは身体の音楽だと捉えていて、自分はその2つの境目のようなところを探索し続けている

・クラシックを解体するために、あえて楽器の出来ない人たちを集めて「ツァラトゥストラはかく語りき」を演奏する「ポーツマス・シンフォニア」の話。ちなみにアルバムでは、イーノ本人も吹けないクラリネットで参加。演奏がグダグダで会場が爆笑してた

・「川が流れて海に注ぎ込まれるように、音楽も、いつかはどこかに結実する」という概念

・宇宙で聴く音楽をコンセプトに作曲を依頼され、まずは宇宙飛行士がカセットテープで何を聴いてるか調べたら、実は「カントリーミュージック」だったことが判明し、カントリーミュージックから宇宙向けの音楽を作り上げた「アポロ」

・ニューヨークの街角で瞑想しながら何時間もツィター(楽器)を演奏するミュージシャンを発見。それがLARAAJIとの出会いで「アンビエント3」の制作につながる

■ 特に印象的だったエピソード

・アンビエントが批評家にボロクソに叩かれ、めちゃくちゃヘコんだと涙目で語るイーノ

・そんな折に、敬愛するジョニ・ミッチェルから「あなたのアンビエント・ミュージックに感銘を受けたから、一緒に作品を作ろう」と言われたけど、自信喪失してたので断ってしまったイーノ。イーノ本人、このときに断ってしまったことを大変後悔してるらしく、カメラに向かって「ジョニ・ミッチェルさん、これ観てたら、まだ僕は待ってるよ」と語りかけるの最高にお茶目で面白い

・マイクロソフト「ウインドウズ95」の起動音を依頼されたときの話。「いまでも、マイクロソフトから届いた依頼のメールは取ってあるよ。メールに

『人々を勇気づけ、感情を揺さぶり、それでいて斬新で、誰もが好きになる……』

とか、延々と指示が書いてあって、最後に

『……こんな曲を、3.5秒にまとめてください』

って書かれてあったよ(ここで会場は爆笑)

■ 友人との答え合わせ

ラストはイーノが公園に佇み、自分はずっと感情を大事にしており、感情こそが人々の心を揺さぶるのだ、ということをつぶやいて終了。それまでの膨大な仕事を見せられたあとだったので、とても説得力があり、素直に感動した。

観終わって劇場を出たら、前述の友人からメッセージ。どうやら、遅くなるけど飛行機が飛んだので合流できそう。夜遅めの時間なので、俺の泊まってる安宿の近くのカフェを予約してくれているとのこと。

友人に再開したのは夜9時ちょっと前。しばし懐かしい会話をしたのち、「ENO」の感想になった。

俺 「いやー、面白かったね。中盤、U2『焔』のレコーディング風景がかなり長めに取ってあって、俺得映画だったわ」

友人「え?」

俺 「U2のレコーディング風景」

友人「そんなんなかったよ」

俺 「え?」

友人「それより、ラスト、トーキング・ヘッズのデビッド・バーンが詩を朗読するとこ、すごかったよね」

俺 「……いやいや、そんなシーンないから」

友人「うそ!? ってことは、ロキシー・ミュージックの初期の映像とかもなかった?」

俺 「全然ない。もしかして『ウィンドウズ95の起動音』のエピソードも」

友人「いや、一ミリもそんな話してなかった」

俺 「ジョニ・ミッチェルの話は」

友人「あ、それはあったね。あそこも良かったよなー」

考えてみれば「毎回違う映像を流す」って言われているから、観てる内容に差があるのは当然なのだが、それにしても、ここまで違うとは予想してなかった。

そして、こうやって答え合わせをしている時間がとても楽しく、映画本体だけでなく、この時間も含めた「感情」や「体験」というメタ視点で考えると、とても斬新で得難い体験だったのは間違いない。

川が海に流れ着くように、たどる道は違っても、二人とも「ENO」という映画体験を共有できたのだ。

マジでこれ、フィルマとかでみんなで感想書きあったら面白そう。日本でも上映してほしいけど、おそらく膨大なネタが仕込んであるから、字幕つけるのメッチャ大変そうだよなぁ……。

■おまけ

そんなわけで、延々と二人で答え合わせを楽しみながら、夜が更けていった。

カフェを出て、友人とお別れし、安宿にトボトボと歩いて戻る。

ひとつだけ、彼に言えなかったことがある。

実は、友人が予約してくれたカフェの名前は、「ユニオン・スクエア」。そう、俺が知人と一緒にランチを取った店だったのだ。

同じ店に一日2回も行くなんて、と苦笑いしながらも、よく考えたら、昼と夜の体験は全然違う、と気付く。

どこか、この映画とのシンクロニシティを感じながら、安宿でニューヨークの喧騒を聞きながら眠りにつく俺なのであった。

(おしまい)
3.5
【毎回内容が変わるブライアン・イーノドキュ】
動画版▼
https://www.youtube.com/watch?v=_iVwCm64BH0

第97回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞のショートリストに選出されたブライアン・イーノのドキュメンタリー。本作は上映ごとに作品を生成していく変わったスタイルが採用されていることで話題となっている。本日2025/1/25(土)に国際的なオンラインイベント”24 Hours of Eno”が開催されていて、24時間体制で定期的に新しいバージョンが生成され続けている。今回、Ver.4.121で鑑賞した。正直、ブライアン・イーノに関しては無知で、数日前に予習した際に「U2っぽい曲を作っている人かな」と思っていたレベルなので、イーノ周りというよりかは映画史においてどう本作を位置づけるかについて考えていく。

スマホの登場により、娯楽が膨大に膨れ上がり、「映画」が大衆に選ばれなくなりつつある。2010年代において、映画館ビジネスはサブスクの台頭による「映画館で観る意味」を掘り下げる必要性が出て来た。3D/4D上映、ラグジュアリー席の導入、そして応援上映。映画館で観る体験の一回性を強調しようとしてきた。一方で、配信サービスも「映画」に関しては行き詰まりをみせているようで「映画」そのものの実存が危機に陥っていた。

そんな中、2010年代後半から映画そのものにも一回性の価値を付加しようとする試みが生まれていった。ガイ・マディンは特設サイトにて10~20分の短編映画を自動生成できる『Seances』を作った。Netflixはリモコン操作で映画の展開を決められるゲーム方式の作品『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』を2018年の末に告知なしで配信し話題となった。日本でも2025年は『ヒプノシスマイク Division Rap Battle』で観客投票によりリアルタイムで映画の結末が決まるインタラクティブ上映を企画している。フランシス・フォード・コッポラ『メガロポリス』では、映画に物理的な演劇的要素を付加しており、カンヌ国際映画祭上映時には、銀幕のアダム・ドライバーと劇場内の人が対話を始める演出が行われた。映画は作ったら同じものを繰り返し観ることができる特徴を持つ娯楽であるが、そこから離れることにより新しい映画を模索しているといえる。

『Eno』の場合、反復して聴くことができる、むしろ、何度も聴き直すことで音楽の世界に浸れる音楽において、それが生まれる瞬間の「一回性」に目を向けようとしている作品である。トーキング・ヘッズやマルセル・デュシャン「泉」との関係性など一般的なアーティストドキュメンタリーたるインタビューシーンや情報整理のパートはある。しかし、重要なのは自動生成で配置されるブライアン・イーノの心象世界的画と彼が実際に収録する場面にあるといえる。先日、杉本博司のドキュメンタリー『はじまりの記憶 杉本博司』を観た。その中で、彼は目に見えないものを物質化する技術としての「芸術」について語っており、真実を投影すると思われている写真の形而上的側面が論じられていた。その中で、サヴォア邸やエッフェル塔がぼやけて映し出されている写真群が提示された。大枠は浮かび上がっているが細部は曖昧なクリエーター原初のアイデアの可視化としてこれらの作品は評価できる。この理論を応用すると、『Eno』の軸が見えてくる。自動生成されるけれど、大きなフレームは変わらない。そのフレームの中で一回性の収録が行われ、反復されるメディアとしての「音楽」が誕生する。このような理論を本作で実践したといえよう。