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夜の子供達
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目次

夜の子供達の作品紹介

夜の子供達のあらすじ

裕福な家庭で生まれた10代の男の子はエリート学校に入学させられ、そこで少し変わった少年に出会う。2人は極秘に脱走し森にあるナイトクラブを発見した。しかし、そのナイトクラブは学校が仕組んだ実験の1つに過ぎなかった。

夜の子供達の監督

アンドレア・デ・シーカ

原題
I figli della notte/Children of the Night
製作年
2017年
製作国・地域
イタリアベルギー
上映時間
83分
ジャンル
サスペンスドラマ

『夜の子供達』に投稿された感想・評価

アンドレア・デ・シーカ監督は、特権と抑圧が同じ制服をまとった世界に観客を引き込む。幽玄な美しさを湛えるイタリア・アルプスが舞台で、17歳のジュリオが成長と目覚めを経験するスリラーだ。裕福な家庭で育ったジュリオは、将来のリーダーを育てる名目で名門寄宿学校に送られる。でも、校舎の内側で待っていたのは、決して高貴な教育ではない現実だった。
到着した瞬間から空気は息苦しい。時間のすべてが規則で支配され、外界との接触は厳しく制限され、冷たい廊下には無言の監視が漂う。
そんな管理された世界の中で、ジュリオは風変わりで反抗的な同級生エドアルドと出会い、小さな自由の火花を見つける。二人は森へ抜け出し、音楽と混沌、禁じられた快楽が渦巻く地下クラブを発見する。そこで出会った若い女性エレナの存在が、二人の親密さや忠誠、そして「生きる」という感覚を揺さぶり始める。
無邪気な反抗に見えた行動はやがて暗い影を帯びる。ジュリオとエドアルドは、自分たちの逸脱が学校の監視下にあり、制度によって巧妙に促されていたことに気づく。反抗すらもカリキュラムの一部――自由は権力のために作られた幻想に過ぎなかった。
単なるスリラーじゃない。階級、権力、思春期の感情の代償を鋭く描き出す。デ・シーカは鮮烈な精密さでデビュー作を仕上げ、時代を超えつつも現代的な不安を漂わせる物語を作る。心理的緊張感と夢幻的ホラーを融合させ、氷のように冷たい映像と不穏な音楽が、煙のように残る余韻を生む。
ヴィンチェンツォ・クレアとルドヴィコ・スッチオの演技は圧巻。思春期の切迫感とむき出しの脆さを体現していて、二人の絆は繊細で危うく、物語が幻想的な領域に傾く中でも核として光る。
おとぎ話であり、悪夢であり、エリート教育への批評でもある本作は深い影を落とす。特権という名の牢獄がいかに恐ろしいか、「こうあるべき」と押し付けられる中での自分探しが、どれほど暗い場所に人を導くかを突きつける。


『グランド・ブダペスト・ホテル』や『セブンティーン・アゲイン』のようなヨーロピアンな美意識が光る作品だ。アルプスの雪景色や冷たい校舎の映像は、観る者に一種のサスペンスフルなアンビエンスを与えるし、音楽もダークでドリーミーなムードを演出している点は評価できる。特にジュリオとエドアルドの友情シーンには、思春期の脆さやエモーションがリアルに表れていて、演技面はかなりクオリティが高い。
ただし、ストーリー構成はややコンフュージングで、キャラクターのモチベーションが浅い点は残念。地下クラブや学校の陰謀というプロットは『エリートスクールの秘密』系サスペンスを彷彿とさせるが、伏線の回収が不十分で、ドラマとしてのインパクトは弱い。自由や反抗のテーマは魅力的だが、メッセージ性が表面的で、観客に深く刺さるところまではいかない印象だ。
総合的に言えば、ヴィジュアルとサウンドのセンスは秀逸だが、ナラティブとキャラクター描写が追いついていない作品。雰囲気映画としては楽しめるが、ストーリー重視の観客にはややフラストレーションを感じさせる。

長文失礼しました!
2.0
〖サスペンス:劇場未公開:イタリア・ベルギー合作〗
イタリア・アルプスの厳格な全寮制エリート校を舞台に、17歳の少年ジュリオが日常から極秘に脱走し、森の中で見つけた秘密のナイトクラブで成長と目覚めを描いたサスペンス映画らしい⁉️

2026年1,007本目
4.2
・ジャンル
ドラマ/スリラー

・あらすじ
シングルマザーの母が仕事の為にトルコへ発ち、寄宿学校へ入学したジュリオ
12月まで成績が良かったら旅行に行こう
その約束だけが彼の心の拠り所だった
そして彼は母に依存する自分と対極にある問題児、エドアルドと出会う
2人は共に規則を破り、ジュリオは厳格な管理の中で自由を謳歌
暴力的な上級生から守られた事もあり絆は日々、強さを増していった
寄宿舎を抜け出した彼らを尾けて辿り着いたストリップクラブ
そこでジュリオは「男から逃げている」という若き娼婦、エレナへの愛にのめり込んでいく
しかし彼女との逢瀬はエドアルドとのすれ違いを生み、やがて最悪の事態へと発展し…

・感想
寄宿学校で出会った愛に飢えた少年と自由に飢えた少年の友情が引き起こす悲劇を描いたイタリア・ベルギー合作のドラマ/スリラー作品
アマプラで配信期限が迫っていたので鑑賞

支配階級の養成の為、寄宿学校に築かれた管理社会
少年美とブロマンス、性愛への目覚め、思春期と反抗心
若さ故の不安定さと異なる形で歪んだ心は共依存を生み、些細な誤解から最悪の決別に帰結する
親の心子知らずと言うが良かれと思っての行動が願った結果に繋がるとは限らない
子供が未熟である様に大人もまた大人として未熟であり、寄り添う為の助言は時として断絶を深めてしまう
枠組みを作ったのは大人でも子供達はそこに独自の社会を構築する
軌道修正の為の介入は困難を極め、付け入る隙は無い
モラトリアムの中で増長した因習とヒエラルキーは自由と快楽を見誤らせていく
愉悦であったはずの逸脱はやがて妄執へと姿を変える
運命の悪戯と偶然の巡り合わせ
美しい出会いと陰惨な別れ
若さ故の過ちが惨劇に成り果てた時、自らの手で束の間の孤独は永遠の物となってしまった
どこまでが自由でどこからが暴走か
どこまでが教育でどこからが管理か
どこまでが自己でどこからが他者か
曖昧になった境界は衝突と破滅の要因となり、無垢さは絶望に染まる
純真な自分は死に絶え、箱庭で味わった恐怖を遥かに超える怪物へと己を作り変えた…

劇中の詩的な言い回しに倣い、物語をなぞるとこんな所だろうか
本作が描くのは少年期の流されやすく染まりやすい不安定さや他者と向き合う事の難しさである
ホモソーシャルの暴力性と弱さ故の攻撃性
自我が定まり切っていないからこそ、少年は何者にもなり得る
大人の責任は彼らを正しく導く事
寄宿学校は規則と管理にその活路を見出した
担任のマティアスにはかつて自分が生徒だった頃に仲間達が命を絶ったという苦い思い出がある
その為、厳格な環境の中でも自分だけは人として少年達と真摯に向き合おうと彼らを見つめ見守った
だが学校の窮屈さと上級生達による手荒い洗礼、事勿れ主義の上層部という要素が絡み合い彼の善意からの行動がエドアルドの目には抑圧に映ってしまった
ジュリオはそれに感化された
だがエドアルドの強さに見えた反抗は境界性パーソナリティ障害や寄り添う事をしなかった両親との決別が刻んだ劣等感や人間不信の表れでもあった
母に大事に育てられてきたジュリオはその背景の重みを理解せぬままに反抗を知り、信頼を裏切った罪悪感と自己嫌悪を捻れさせた
想いを寄せた娼婦、エレナに取った行動はかつての自分への復讐でもあったのではないかと思う

何故この様な結果になってしまったのか?
それを理解するには登場人物達の背景を紐解き、対比する事が必要だろう
ジュリオはシングルマザーの息子である
母曰く父は海へ行ったまま帰って来なかったと言う
だがジュリオは面談で父は死んだと語っていた
母との暮らしだけが彼の世界だった
対してエドアルドは前述の様に機能不全家庭という複雑な環境で育った
愛を受けられず支配されるか家を出るか以外の選択肢が無かった
その末に厄介払いされるかの様に寄宿学校に入れられたのだから、マティアスも含めた学校の大人達に支配しか見出せなかったのは仕方の無い話でもある
問題はそんな彼をジュリオがどう見ていたか
これに関しては父の不在というのが肝で、恐らくだがジュリオはエドアルドとマティアスを父性の代替として受け止めていたのではないかと思う
エドアルドには学びや刺激を求め、マティアスの愛ゆえの助言や指導には受け売りの不信感を抱いてしまった
分裂した父性の内、信頼や敬愛の対象であった方を失ったが為に学校と同一視していたマティアスを親殺しの様な心理で突き放したんじゃなかろうか
老婆心から掛けられた言葉や向けられた視線を踏み躙る事で…

ではマティアスの行動や態度が少年達を見守る姿勢として正しかったのか?と問われればそうとも言い切れない
彼は行き過ぎたルールや監視から生徒達を守る防波堤の役割を果たそうとしていた様に見える
だがそれが生徒達の心に沼の様な混沌を孕ませてしまった
しかしこれはマティアスだけのせいではない
むしろ彼は“守護天使”と表現された担任としての役目に付け込んでワンオペ状態に追い込んでいた学校側の失政の被害者とも言える
彼に罪があるとすれば管理や教育も本能は奪えないという事と忠告や罰則で在るべき道へ引き戻す事は出来ないという事を見落としていた
その一点のみだろう

そして一連の悲劇の不運は森に隔てられただけの学校とストリップクラブの立地
これに尽きる
エレナは「男から逃げている」とジュリオを誘惑し引き込んだ
エドアルドはその早熟さから彼女を愛し信じる事の危険性を告げた
裏切られる可能性や娼婦という職業柄の色恋営業を指摘するという形で
それはジュリオを思っての事だったが、無闇に人を信用する事のもたらす傷を知らない彼には通じなかった
自分を貫くという態度だけを学び取っていたジュリオの暴走を却って後押ししてしまった
確かに性風俗には寄宿学校と同様に管理社会や搾取の側面がある
だがエレナの見せた体の傷は同情を引く道具に過ぎず、入れ込んでも見返りの得られない”叶わぬ恋“を食う為に真実の如く偽装していただけだった
皮肉なのはそこに自身の身を滅ぼすリスクがあるという事を軽視し、ジュリオの歪んだ復讐に都合良く取り込まれてしまった事だ
彼女にとっては仕事でも客もそう割り切ってくれるとは限らない
この埋められない溝はエドアルドやマティアスの真意がジュリオに通じなかった事とも重なる
人には個性があり、同じ場所にいて同じ言語を話していても見えている世界は違う
相互理解のどうしようもない困難さ
あらゆる人間が持つ根源的な孤独
結局、誰もが本当の意味では分かり合えない
こと売春は愛よりも依存を強烈に誘い込む生業であり、自己防衛として上手く身をかわす事が求められる
その点においてエレナもまた“未熟”であった訳だ

学校とは社会性を学ぶ場所
荒波に揉まれる練習をする環境
自己と向き合い、他者との違いを理解し、処世術を身に付ける
そう考えると寄宿学校というのは最悪の選択肢なのかもしれない
家という逃げ場が無く、人間関係は制限される
指導の範囲に収まらぬ所で自由を求めて行き着く先は虐めや非行、あるいは永遠の逃避としての自殺
縛られる内に規則と倫理を同じ物の様に捉え、後戻り出来ない袋小路に迷い込ませてしまう
劣等感や絶望か全能感や欲望か
両極端な自己認識や価値観を植え付ける
そんな”地獄“たり得てしまう
教育者は先を見て様々な物を課すが、生徒達にしてみれば今を生き抜かずして先など無い
教師にとっての数年は生徒達には永遠の様に感じられる
こうした問題点はあらゆる学校に当て嵌まる事ではあるが、寄宿学校の持つ閉鎖性が桁違いなのは言うまでもない
エリートを育てる場所なら尚更で富裕層の子供達は期待という重圧と何でも金で買えると考える傲慢さを兼ね備えやすい
親への反抗は幾許かの罪悪感があるだろうが教師に対してはその様な義理も無い

本作のキーワードとして経済学の授業で登場する”戦略的相互依存“という物がある
エドアルドはそれを「収入が減るから値下げをしない」と説明していた
この”収入“とは物語の文脈においては自己の可能性や値打ちを指して聞こえる
エレナへの深入りを咎めた流れでこの言葉は出て来たが結果的にエドアルドの憂慮は彼の予想を超える惨劇に繋がり、決して杞憂ではなかった
教師たち大人が持つ威圧性に起因する被害妄想とは違って…
それに加え、ジュリオとエドアルドの仲には単なる友情以上の物が見え隠れしていた
友愛以上、同性愛未満とでも言った様な…
その距離感は不自由さへの反抗が持つ共犯関係という倒錯と美しくも歪に絡み合っており、これこそが本作の本質であったと自分は解釈した

少年期の反抗とは得てして刹那的な感情の発露だ
ジュリオとエドアルドは異なる形でそれを固定化させた
一方は最期のひと時の物として
もう一方は自分だけの秘密として
凹凸の様に見える友情の分岐点
それは分かり合えずとも確かにその時は共有していた時間
そう考えるとエレナへの所業はエドアルドへの贖罪として行なった脱走の結びが逃避行として完成させられなかった事に対する怒りでもあったのかもしれない
ストリップクラブは彼らの絆が深まった場所であり、そこでエレナと出会った事もエドアルドとの思い出の一部
その思い出を汚された、という自閉的な妄想を行動に移してしまったという…
最後には己の罪を”死人に口なし“とばかりに彼へと着せた
親友の喪失の区切りまでも身勝手で残酷な行動で付けてしまったのだ

設定や物語は全く違うが本作には「システム・クラッシャー」や「ザ・トライブ」と似たテーマ性を感じる
苦悩する子供に大人はどう振る舞うべきか
自己と他者の境界はどう線引きすれば良いのか
人と交わる時、込めた思いがそのまま伝わるのは奇跡的でそうならない事の方が多い
そのやるせなさだけは誰もが抱いているというのが切なく虚しい
そんな風に対人関係の難しさについて色々と考えさせられる作品だった

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