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追憶 4K リマスター版
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追憶 4K リマスター版の作品紹介

追憶 4K リマスター版のあらすじ

1937 年、大学のキャンパス。政治運動に没頭するケイティーにとって、育ちが良くハンサムなハベルはひそかな憧れの対象だった。 卒業から数年を経た第二次世界大戦中のニューヨークで、彼女は海軍大尉となったハベルと偶然にも再会する。二人はいつしか愛し合い、ハベルの除隊後に結婚する。 ケイティーは学生時代から文才のあったハベルに創作をうながし、40 年代に彼らはハリウッドに移住する。やがてハベルは脚本家として徐々に頭角を現し認められるようになる。 ケイティーは妊娠し、夫婦生活は幸福そのものだったが、その平穏な日々は⾧くは続かなかった…。

追憶 4K リマスター版の監督

シドニー・ポラック

原題
The Way We Were
製作年
1973年
製作国・地域
アメリカ
上映時間
118分
ジャンル
ドラマ
配給会社
ソニー・ピクチャーズ

『追憶 4K リマスター版』に投稿された感想・評価

よ
3.5
ロバート・レッドフォード世代の誰かは、彼をこんなふうに追憶するのだろう。だから追悼にこの映画が選ばれたのだろう。

「最良の年は?」
「1944年だ。いや、45年だ。46年かな…」
駆け込み鑑賞。政治思想を始めとした屹立する障壁が平たくなる違和感があるのだけど出会いと別れの甘美さがそれらを打ち消してしまう。案の定二人で過ごせる時間はほんのひと時。付かず離れずの哀感がその僅かな時間を補強する。省略を恐れず断片で紡いでいく作劇が邦題とリンクし、バーブラ·ストライサンドの歌声にとどめをさされる
masat
4.1
額にかかる金色の前髪が、とても愛おしい・・・そんな眼差しを向け、つい触れてしまうバーブラ・ストライサンド。レッドフォード扮する男が可愛くて仕方がないのだ。

俗に言う、全く正反対な男女が織りなす20年のラブストーリーだ。
貧困層で闘志に燃える“アカ”のユダヤ人女。何かへと急ぎ、勤勉この上なく、余裕がない。片や、才色兼備なアメリカ男。裕福でありスポーツに燃え、ゆとりと包容力を揺蕩たせた金髪の美。
ある時、そんな一見ナンパな男の才気に触れ、自分にないものを自覚する女。そんな周りの空気が読めない、自分を客観視できない女を可愛いと思う男。
そう、相反する男女が、お互いに持っていないものを相手に発見し、愛おしく、そして慈しみ、時に触発し合いながら、歩んで行く20年に及ぶラブストーリーと言うよりは、人生のドラマへと変わり、それに気づいた瞬間、観る者が一緒に悲喜を歩んで行ける、自分自身の物語へと変わる映画なのだ。

だからこの映画は、愛おしい。

公開当時、アメリカでは酷評も飛び交った様だ。その中には、“何も描いていない”と言うモノもあった。
それもそうだろう。
途中から舞台がハリウッドに移り、レッドパージ吹き荒れる前夜の物語になり、男はその真っ只中に放り出されながらも、横にはスターリングラードな妻がいて、その流れを受け止めようとする。
この狂騒な絶好の題材を手にしながら、この顛末は、何も解決、いや、決着をつけず、男女の別離で、あっさり時が飛ぶのである。

そう、そう言ったメッセージもイデオロギーもクライマックスではスルーしてしまうのです。

それを未消化と言って眼鯨立てる輩は、それこそ悲劇的だ。

本当の軸は、本作の本心は、そんな時代の悲劇、流れにはない。
あまりにも違ったものを感じる異性に会った時、恋をし(二人は性の相性が堪らなく良いという事が名演によりとても輝く)、それが愛に変わり、受け止め、突き放し、やがて、友情にも似た結び付きに変わっていく・・・そんな些細な誰もが歩いた事のある、何でもない話を描こうとしているところにある。

そんなメインプロットに気が付かないのは、本当に
不幸な人間
だと思う。

“何でもない”・・・
だから、時代を超えて、この映画は、いま観ても、心を打つのである。

あのラストシーン、(なぜ、あそこで偶然会う!?なんて関係ない!)意図せず出会ってしまった2人は、お互いの中に、譲れないものがあった、譲れない部分があったんだ、と初めて悟る。それも良かったかもしれない、と初めて気づく。そこには後悔はなく、沸き上がる愛おしさしかない。
ここでも、額にかかる金の前髪が愛おしい。だから、この(映画的)一瞬にもう一度、抱き合い、一瞬でも身も心も相手を感じたいと思ったのだ。
不朽の涙を観客が感じる瞬間だ。
この、もう戻れない、歩いてきた道を、いつか誇らしく思う時が来るだろう。いや、思っている。だから彼女は最後に大きな声で誰にともなく叫ぶ・・・
「原発反対!署名おねがいします!」と。

色々な訳し方があるが、このタイトル、
“The way we were”
は、私としては、
私たちが歩いてきた、その道
と思っている。

さて、この年、1973年。71年に一度死んだアメリカン・ニューシネマが成熟して、拡がりを見せ始めた年である。しかし、この作品は、何故ニューシネマなのかと悩む。
誰も死なないし、長く続く道へも飛び出さない。
そしてこの2人は“負け”ていない・・・

今回久々に観て気が付いたが、この作品は、初めて“女性”が自身の足ではっきり立った作品なのである。男と対等に女がストーリーの中心に君臨した、自立というには早熟だが、そう言った試みを始めて行ったまさにニューシネマ、明日へ、はっきりと一歩を踏み出した作品なのである。
女性が、語り出した、のだ。
この後、74年には、老人とネコが、シングルマザーが、道へと飛び出すのだが、その先陣を切って、女性が自分自身を主張し、譲らないというキャラクターを登場させていた。そして彼女は、ハイウェイには飛び出さず、“The way”と言う“自分の(譲れない!)道”をはっきりと敷いたのである。

その一瞬ではなく、炸裂も爆死もしない明日、
“人生”を、ニューシネマは語り始めたのだ。

バランス感覚の良い職人、と思い込んでいた自分を恥じる。前年の『大いなる勇者』でアメリカ人をやめた男の視点からアメリカを描き、本作で初めて女性に曲げられない意識を持たせたシドニー・ポラックの痕跡は凄い。

その共犯者と言うべきレッドフォードも、この二作では強烈だ。大いにイケメンスターから脱している。が、その顔を駆使しないと務まらない役でもある。特に本作は、そんな彼必見のショットが満載。冒頭、真っ白な軍服に身を包みながら、賑やかなパーティの片隅で居眠りをする男を真正面から捉えるカメラ。そのかかる金の前髪に惹かれる不細工なユダヤ女。この居眠りショット、この二人の運命の一瞬は、レッドフォードの生まれ持つ、運命付けられたかのような神々しいショットである。 (2021.11.14)


4K、鮮やか、初スクリーン観賞。
朝から冴えた頭で全集中。

やはりあの“エピローグ”で、自然と涙が流れた。
予期せぬ再会の時が、ぎこちなく終わった。
彼女は通りを渡り、我が仲間の元へ。
“闘志”を焼き付けた“ビラ”を手に取る後ろ姿へ、男の声が掛かる、
「“never give up”だね」
愛しくて堪らないと、思わず触れてしまった・・・愛しい金の前髪の君へ、そう、私はこれからもこの道を歩くのよ、と。
抑制されたカットの切り返し、サラッと過ぎる、その少な過ぎる時間、ああ、二度と逢わない永遠の別れの時が来た。
通りを駆けて行く男、そんな男に関係なく彼女の声が、よく通る“声”が、響いた。
ここで奇跡が起こる。ラストカット、その通りに佇み、ビラを高く振り上げた彼女の姿がストップモーションで止まった。ストップモーション、それは観る者が願い、その祈りにも似た感情がスクリーンの中へと届く手法、“この時間よ永遠なれ”と時間を止める、止めてしまう手法である。