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春樹/春の木
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春樹/春の木の作品紹介

春樹/春の木のあらすじ

挫折の先で、それでも時間は流れていく—— 女優としての夢が行き場を失い、恋愛にも行き詰まる春樹(チュンシュー)、37歳。20年離れていたかつての故郷・成都に戻った春樹は、かつての演技指導者・張梅(ジャン・メイ)を訪ねる。しかし張梅は認知症で言葉を失いつつあった。故郷に居場所を見つけられない春樹に、張梅の息子で、母の世話をするため上海から戻ってきた冬冬(トントン)が静かに寄り添う。過去の栄光も、教えも、学びも、時代の流れの中でいつのまにか忘れ去られ、朽ちたまま残る国立映画撮影所のように、停滞する人々の傍らで日々はささやかに過ぎてゆく。

春樹/春の木の監督

チャン・リュル

原題
春树/Mother Tongue
公式サイト
https://zhanglu-japan.com/
製作年
2025年
製作国・地域
中国
上映時間
122分
ジャンル
ドラマ
配給会社
サニーフィルム

『春樹/春の木』に投稿された感想・評価

Omizu
2.9
【第38回東京国際映画祭 コンペティション部門出品】
『白塔の光』チャン・リュル監督の新作。東京国際映画祭コンペに出品された。

日本でも一定の知名度を誇るチャン・リュルだが、過去作は観たことがない。正直ホン・サンスの劣化版のようであまり好きではなかった。

人間たちの何気ない会話を映していく作品で、良くも悪くも捉えどころのない会話劇。このセンスは刺さる人には刺さるのだろう。

しかし自分としてはいかにホン・サンスが軽やかに同じことをやっているかを逆説的に証明してしまっているように感じた。

決して悪い作品ではない。ハマる人は一定数いるとは思うが、自分としてはノット・フォー・ミーな映画だったと言わざるを得ない。
3.2
成功することができなかった女優が四川省の故郷に戻り、その挫折から立ち直ろうとする
(東京国際映画祭より)

方言使った事のない自分からしたら共感得る事が難しい作品。

映像良い。取り壊しが決まったスタジオを撮影場所として起用したのも感慨深い。
4.7
【私にとっての方言を探しに故郷へ戻る】【東京国際映画祭】
■あらすじ
『キムチを売る女』(05)、『柳川』(21)などで知られ、中国と韓国で活躍するチャン・リュル(中国語読みではチャン・リュー)が中国で撮影した最新作。
成功することができなかった女優が四川省の故郷に戻り、その挫折から立ち直ろうとする姿が描かれる。主人公が故郷を離れているうちに地元の方言を話せなくなってしまっていることが、ドラマ上の重要な要素となっている。かつて多くの映画を製作してきた四川峨眉撮影所の古いスタジオが取り壊される前の、最後の姿がカメラに収められている。主演は『モンスター・ハント(原題:捉妖記)』シリーズで知られるバイ・バイホー。中国第5世代を代表する監督で、現在はプロデューサーとして活躍しているホアン・ジェンシンも出演している。

■みどころ
大傑作!
夢敗れた人の暮らしで徐々に溶け込むお話だが、方言を話せなくて翻訳する過程や詩・歌を語る中で世界を描く意欲が増す活力が湧く姿がとてもしんみりした一作でした。
今年の東京国際映画祭は豊作が多かったけど、春の木・ボタニストの中国映画が強いなと言える。


物語は四川省 成都出身の人物が主人公の映画にオーディションとして参加して、そのまま起用される女優を映す。
監督・脚本家・プロデューサーと食事を囲もうとするが、脚本家からの質問で主人公が成都の方言を話す事が出来ない事を知り、そのまま計画は頓挫してしまう。
20年以上やってきた女優業が向いていない事を悟った主人公は地元である四川省 成都へ戻る。
その中で新しい男を作って交際している母、俳優を教えてくれたアルツハイマー認知症を患う師匠、師匠の息子で上海で溶接業を営む男性と知り合い、飼っている猫と共に成都の中で生活をしていくが…。


本作は俳優業に挫折した女優が成都でセカンドライフを送ろうとするのが主軸であるが、主人公の境遇と成都の中国国内立ち位置と共鳴するような作風になっている。
成都は「伝統+ゆったり+食」のイメージが強く、同時に“内陸都市として次の段階へ”という動きを伴っている。
映画の中で「ある種のキャリアの停滞と方言が喋れないことの回顧」や「故郷に戻って模索するという変化の兆し」が間接的に描かれていて、そこが成都という場所がまさにそのグラデーションを体現していると言える。
一方で成都は「進化・転換の途上にあり、一定の成功を収めつつも課題を抱えている」都市という存在ではあるが、本作では大学内で埃まみれのフィルム、止まった映写機、古い本が保管されている図書館、壁が大きく空いた半ば廃墟化した建物を象徴的に映す。
それだけでなく、映画の途中ではパルムドール跡地という広場に足を運ぶがこれは実際には存在しない場所らしい。

つまり成都という都市に帰郷して生活する主人公の成都生活は
①主人公のキャリア停滞とセカンドライフを過ごそうと模索する変化の兆しと成都の"内陸都市として次の段階へ移行する"が共鳴する 
②実在しない場所に足を運ぶ、過去の時制に足を運ぶ主人公は俳優業としてカンヌ国際映画祭に立ちたかった憧れが残留し、憧れの過去・実在しない世界・虚構の磁場として引っ張っている。
の両義性を表しているのだなと。

いわばゆっくり動く都市に身を置きつつも、過去の世界や止まった世界を捨てきれない、実現できなかった未来の憧れを捨てきれない、というコンプレックスを感じながら過ごすのが人間味あって良かったです。
そうゆう意味でいくとリュウ・ジャイン『来し方 行く末』と雰囲気は近いかも。 夢敗れた人がパルムドールの磁場に惹かれたり止まった映写機や埃が被ったフィルムのある場を歩き回る姿は凄く刺さった。


また、この映画では猫目線で主人公を追いかけたりドライアイで定期的に目薬を差す・アルツハイマーで認知したり認知せずに放浪する師匠の姿も描く。
それらは主人公が身を置く成都での営みには一定のリズムが存在することを暗示し、そのリズムに慣れていく事で生活に順応する現れなのかなと思う。その姿は成都の方言を話せる、という姿とは大きく異なるが同時に成都で暮らす人というアイデンティティを確立しているとも言える。

つまり主人公が帰郷する成都は、夢の残滓と現実の息づきが交錯する都市だ。
方言を話せないという断絶が、かえって“ここで生きる”という新しいリズムを生み出し、成都のゆるやかな時間が彼女の内面のテンポを取り戻していく。

言い換えると方言を話せないコンプレックスから話せなくても良いんだと認める姿でもある。
ふとしたアクシデントで猫が行方不明になった経緯を含めて、これは主人公のキャリア停滞に対して成都の都市でのリズムに順応したり、過去や未来の虚構の磁場が弱くなることで成都同様に"次の段階へ向かう"という前向きな姿勢とも言えて感動しました。


まるで止まった映写機の中で再び光を見出すように、彼女は成都という都市の時間と呼吸を合わせ、自分の方言を取り戻していく。
『春の木』は、そんな静かで夢敗れた人が時間と呼吸を合わせる再生の映画だった。

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