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『ビジョンズ・オブ・ライト/光の魔術師たち』に投稿された感想・評価

No.3677

撮影監督たちの話が聞ける貴重なドキュメンタリー!!

ゴードン・ウィリスやストラーロが自分の担当した映画を解説してる贅沢さよw

WOWOWでやってたのをたまたま見たが、配信もDVDもなさそうなのがもったいない・・。

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ただいかんせん30年前のドキュメンタリーなので、当然まだIMAXが映画に取り入れられる前。

この30年、IMAX含め、撮影分野がどう進化していったのか、その続編が見たいです。
世界映画史の授業課題。

字幕ほしい。
WOWOW録画鑑賞
【特集:ハリウッドの舞台裏で輝く映画人たち】映画業界の内側に迫るドキュメンタリー

大変興味深く、また楽しめるドキュメンタリー。
多くの撮影監督自らが映画について語り、資料的価値のある作品でした‼️
2日間で3回以上観てしまった…

NHKとAFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)が共同製作し、アメリカ撮影者協会(ASC)が監修。
NHKでテレビ放映されたものを劇場公開。
ハリウッド映画撮影の歴史と変遷、現役の撮影監督たちが影響を受けた作品や撮影監督を語る、非常に資料価値の高いドキュメンタリー。
興味深く観ることができ、なお一層、映画を楽しく観ることが出来る。

映画は、どのような撮影技術、技法の変化を通して発展してきたのか。
アメリカ映画の歴史を数々の名場面と撮影監督たちの証言を通して振る返る、全映画ファン必見の魅惑作。

1992年米・日作品
監督 アーノルド・グラスマン トッド・マッカーシー スチュワート・サミエルズ
エグゼクティブ・プロデューサー 西村余志木 テリー・ローラー
プロデューサー スチュワート・サミエルス
編集 アーノルド・グラスマン
撮影 ナンシー・シュレイバー
出演 ネストール・アルメンドロス ジョン・A・アロンゾ ウィリアム・A・フレイカー ラズロ・コヴァックス ヴィットリオ・ストラーロ ハスケル・ウェクスラー ゴードン・ウィリス ヴィルモス・ジグモンド 

翻訳者 川崎直子

(WOWOW番組内容より)
アメリカ映画は、どのような撮影技術・技法の変化を通して発展してきたのか。
サイレントからトーキーへ。
モノクロからカラーへ。
スタジオセットから街頭ロケへ。
シネスコなどの登場による画面サイズの変化。
さらには斬新な外国映画の影響や、海外の人材のハリウッドへの流入など、時代の変遷とともに変化してきたアメリカ映画の歴史を、第一線の撮影監督たちの証言と、思わず目を見張る名場面の数々を通してたっぷりと紹介する。

(WOWOW解説より)
ハリウッドを代表する第一線の撮影監督たちが、光と影を自在に操る革新的な映像魔術を通してアメリカ映画の歴史を築き上げてきた偉大な先達や自らの仕事ぶりを、数々の印象的な名場面の抜粋を通して存分に語り尽くす、魅惑のアンソロジー映画。紹介される撮影監督は31人、そして映画作品は86本と、枚挙にいとまがないほど。ハリウッドの歴史と映画の魅力がこの一作の中にぎゅっと凝縮され、すべての映画ファン必見!

サイレント期
当時の撮影技術の完成度の高さが語られる。
トーキー時代
カメラマンの苦労が語られるとともに、「市民ケーン」などのグレッグ・トーランドに焦点が当てられる。
モノクロ時代のカラーフィルム、当時の照明や撮影時の様子が綴られ、フィルムノワールで活躍したジョン・アルトンの仕事も紹介される。
女優の顔を美しく撮るライティング、「ピクニック」での初めての空中撮影など、さまざまなエピソードを経て、ヌーヴェル・ヴァーグの影響、アメリカン・ニューシネマ、ハリウッドとは異なる発展を遂げたニューヨーク派のロケーション撮影と光の使い方が言及される。
ネストール・アルメンドロス、ヴィットリオ・ストラーロら海外から来たカメラマンの仕事がクローズアップされ、ゴードン・ウィリスからアーネスト・ディッカーソンまで、活躍中の撮影監督たちが自作を解説。

ほとんど観たことがなかった1920年代の作品など、映画撮影の変遷は興味深い。

映画黎明期から撮影、撮影監督、撮影技術の変遷を撮影監督たち自らが先達や師匠、尊敬する先輩など多方面に渡り語り尽くす。
これは映像を志す方や、私たち映画ファン(マニア)も勉強になり、観たい作品がいっぱい‼️
また今まで以上に撮影監督の仕事ぶりに興味が湧き、また楽しめる作品。

3回以上、繰り返し観てしまった。
NHKとAFIに感謝、感謝‼️‼️





【忘備録】
個人的メモ

出演した撮影監督、引き合いに出た撮影監督、作品や言葉他。

・ウィリアム・A・フレイカー
”昔は巨匠たちの作品から学び真似をしようとしたものです“

『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)
“The Magnificient Ambersons”
撮影 スタンリー・コルテス

『わが谷は緑なりき』(1941)
“How Green Was My Vally”
撮影 アーサー・ミラー

”マレーネ・ディートリヒは周囲の誰よりも明るい照明を当てて撮影され画面上で目立つように配慮されていた。彼女の魅力は照明のおかげでより引き出されたのです“

『上海特急』(1932)
“Shanghaii Express”
撮影 リー・ガームス

”彼女に強い照明を当てて頬が狭く写るように工夫しました。 実際彼女自身がそう撮ってくれと要求したのです”
『真珠の首飾』(1936)
“Desire”
撮影 チャールズ・ラング

『ミッドナイト』(1939)
”Midnight“
撮影 チャールズ・ラング
“クローデット・コルベールは顔の片側しか撮らせなかったので、セットも彼女のために特注しました”


・アーネスト・ディッキンソン
『オリバーツイスト』(1947)
監督 デビッド・リーン
撮影 ガイ・グリーン
初めて自身が照明に興味があることに気付いた作品。


・アレン ・ダビオー
“直観的に撮ったものをどの様に撮ったか後で説明するのは難しい”

”モノクロ時代の優秀な撮影監督は映像の本質を理解していた。 20年代の映画には学ぶことが多い”
『國民の創生』(1915)
”Birth Of A Nation“
撮影 ビリー・ビッツアー


・カルブ・デシャネル
”優秀な撮影監督は物語の内容を理解し、それを映像によって表現する能力のある人だと思う“


・リサ・リンズラー
“優秀な撮影監督は映画のテーマや監督の表現したいことを理解し、それに合わせて撮影対象を映像化できる人だと思います”


・チャールズ・ラング
“当時は絶対に顔に影をつけてはいけないというのが鉄則で、多くの撮影監督はそれを忠実に守っていました”


・スヴェン・ニクビスト
グレッグ・トーランドはバーンズから撮影技術を学び、やがて独立し素晴らしい作品を撮りつづけた。

“私はトーランドから1番影響を受けた。
コントラストをとても重視していた。撮影監督にとってはたまらないものだった。”

『果てなき航路』(1940)
”The Long Voyage Home“
撮影 グレッグ・トーランド


・ラズロ・コバックス
”多くの撮影監督にとってこの映画がお手本になったことは言うまでも無い“

『市民ケーン』(1941)
“Citizen Kane”
撮影 グレッグ・トーランド
監督 オーソン・ウエルズ

”何故2人が組むようになったのか。
ウェルズがトーランドの型破りな仕事ぶりに敬服していたからだ。“


・ジョン・ベイリー
カラー映画は30年代末から飛躍的に発展。
『ベッキー・シャープ』(1935)
”Becky Sharp“
レイ・レナハン

『ロビン・フッドの冒険』(1938)
“The Adventure Of Robin Hood”
トニー・ガウディオ&ソル・ポリト

『風と共に去りぬ』(1939)
”Gone With The Wind“
アーネスト・ハラー
レイ・レナハン
リー・ガームス


・ハリー・ウルフ
“高感度フイルムが使われたのは『風と共に去りぬ』が最初で、まだ当時はかなりの光量が必要でアーク灯が使われていた”


・スティーヴン・ビュラム
”チャーリー・クラーク
アーサー・ミラー
ジェームズ・ウォン・ホウ
など往年の撮影監督たちは、
あくまでも職人に徹し、
自分の仕事が芸術だとは決して認めませんでしたね”


・ジェームズ・ウォン・ホウ
”映画とはまず何より脚本で決まります。
どのように撮るかとか演じるかは脚本から拾うのです。個性を脚本に優先させるべきではありません。“

『成功の甘き香り』(1957)
“Sweet Smell Of Success”
ジェームズ・ウォン・ホウ

『ハッド』(1963)
”Hud“
ジェームズ・ウォン・ホウ

“ジミー・ホウの『ピクニック』では、(自分は)セカンド・ユニットにいて最後のヘリコプター撮影を担当した。当時映画の空撮は前例がなく、シネスコで撮った空撮映像をラッシュで見た時の感動は今でも忘れない“
〜ハスケル・ウェクスラー

“ジミー・ホウ自身も「よくやった」と言ってくれた。今でも満足のいくショットが撮れた時には、彼のその言葉が私の心の中でこだまするのです”

『ピクニック』(1956)
”Piknic“
ジェームズ・ウォン・ホウ

シネマスコープは非常に横長の画面です。
それまでは真四角に近いフレームだったので増えたスペースをどのように使えば良いのかと戸惑った。

『アラビアのロレンス』(1962)
”Lawrence Of Arabia“
フレディー・ヤング

”50年代から60年代にかけてシネマスコープが普及し「アラビアの…」の時にはその長所が存分に生かされるようになった。“

砂漠の白い砂。横長の画面で左右からラクダに乗った人物がすれ違う名場面は、シネスコの醍醐味‼️


・カルブ・デシャネル
“私はヌーヴェルヴァーグにもっとも影響された。
カメラを自由に動かし登場人物の生き様をストレートに見つめ表現するというドキュメンタリー的な手法は観客を引き込む力があった。固定したカメラでは表現できないことだ”

『突然炎のごとく』(1962)
”Jules & Jim“
ラウル・クタール

橋の上で若者たちが走るシーン。
ジャンヌ・モローの生き生きとした表情‼️

『卒業』(1967)
“The Graduate”
ロバート・サーティース

“批評家は手法が斬新だと賞賛しましたが、撮影したサーティースは当時65歳でした。
撮影監督というものは常に新しい手法を生み出そうとしそのためなら自らの困難も買ってでるのです。”


・ラズロ・コヴァックス
”何をやっても非常に面白い時代だった“

『イージー・ライダー』(1969)
”Easy Rider“
ラズロ・コヴァックス

”とにかく早く作るために即興で作ったんだよ“
“アメリカの国や文化の生の姿を映画として組み立てていく魔法のような経験だった”


・コンラッド・ホール
”C・ホールのもとでは本当に凄い映画を撮りましたよ“
〜ウィリアム・フレーカー

”映像は言葉より多くの情報を伝えることができるのだ“

”本来なら失敗とみなされるようなショットを意表をつく利用法によって生かし映画会社の幹部や観客にその効果を認めてもらおうと苦心したね“
“光が反射したショットも大胆に使った。
本来ならオペレーターが即NGにしていたものだよ”

『暴力脱獄』(1967)
”Cool Hand Luke“
コンラッド・ホール

”コンラッドはごく少量の照明でも撮影をしましたね“
“安全で確実な状況では決して仕事をしませんでした”
〜チャールズ・ロシャー

『ゴングなき戦い』(1972)
”Fat City“
コンラッド・ホール

“当時は暗すぎて何も見えないような悪環境でも首になるのを覚悟で撮っていました“

『イナゴの日』(1975)
“Day Of The Locust”
コンラッド・ホール

『プロフェッショナル』(1966)
“The Professionals”
コンラッド・ホール

”私がカメラ・オペレーター、J・クローネンワースは撮影補助でセカンド・ユニットはC・ロッシャー・Jr.とR・バーンでした”
〜ウィリアム・フレーカー

”昼間に夜のシーンを撮るのは至難の技だったね“
〜ホール

『冷血』(1967)
“In Cold Blood”
コンラッド・ホール

”当時、モノクロで撮るかカラーで撮るかよりもワイドスクリーンにするか否かが問題だったね“
〜ホール

“ロバート・ブレイクが絞首刑になる前に牧師に告白するシーンは、セットで撮影された。雨といを作りステージのそでで扇風機を回したんだ。
雨を直接吹き付けるのではなくしぶきになるように吹き付けた”

”すると光の具合で彼の顔にゆっくり流れる雨が写った。視覚的には彼が泣いているように見えたわけだ”

あれは意図したのではなく全く偶然の仕業だったんだ
〜ホール

凄い‼️‼️
このシーンは必見‼️


・ハスケル・ウェクスラー

『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966)
”Who’s Afraid of Virginia Woolf?“
ハスケル・ウェクスラー

“カメラは手持ちで回し照明は自然に見えるようにしていました。
ドキュメンタリー作りで得た編集やカメラ回しの知識は役に立ちました。”

”バートンの自伝でウェクスラーの撮影に反対していたことを知る。ドキュメンタリー出身の私に撮らせると自分の欠点まで写し取ってしまうのではないかと思ったらしい。エリザベス・テイラーの後押しで結果的にバートンも私の映像に満足してくれました“

“いくつかのシーンの現像が出来上がった時、色調が暗すぎると批判されました。私を首にする話もあったと後で知る。

私は明暗の度合いをうまく加減して時間の推移を出したいのだと主張しましたが、あの映像には批判的な人が大勢いましたね”

いつの時代にも抵抗勢力はいる‼️


・ヴィルモス・ジグモンド
“映画は台詞劇になってはいかないと思う
もちろん脚本は大切だが映像に語らせなくてはだめだ“

『ギャンブラー』(1971)
“Mc Cabe and Mrs. Miller”
ヴィルモス・ジグモンド

”監督との共同作業という意味では最良のお手本だよね“


・ウィリアム・フレーカー
”ロマン・ポランスキー監督は人間の感情をとてもよく理解していました“

『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)
“Rosemary’s Baby”
ウィリアム・フレーカー

寝室で電話をかけるシーン
”見た目ショットでルスを撮りたい“

“映画館で観客はこのシーンになると見えない寝室見たさに思わず体を横に動かしていました。ポランスキーの力量ですね“


・テッド・マッコード
『情熱の狂想曲』(1950)
“Young Man With A Horn”
テッド・マッコード

”NYの映画をストリート・スタイルと呼んでいました。ハリウッドのように機材も現像所もありませんでしたから、独特のスタイルを作っていったのです。ハリウッド的な人工美を潔しとしなかったのです”
〜マイケル・チャップマン


・ウィリアム・ダニエルズ

『裸の町』(1948)
”Nakid City“
ウィリアム・ダニエルズ

“スタイルだけでなく金銭や時間的な問題からNYの映画人は、街に出て生の人間に混じって撮るようになった”
〜マイケル・チャップマン


・ボリス・カウフマン
”波止場もこのスタイルの傑作です。
観客はただ見るだけでなく映画の出来事に巻き込まれます。あの凍てつくような世界の一部となっていたのです”

”そして黒色の使い方が秀逸でした“
〜ウィリアム・フレーカー

『波止場』(1954)
”On The Waterfront“
ボリス・カウフマン


・ビクター・ケンパー
“NYでは即興的に撮っていたので常に町中を徘徊しなければならず苦労しました”

『真夜中のカウボーイ』(1969)
”Midnight Cowboy“
アダム・ホレンダー

『狼たちの午後』(1975)
“Dog Day Afternoon”
ビクター・ケンパー

”エネルギーに溢れた作品だ。
俳優もスタッフも全力投球していました。
撮影はドキュメンタリー風にやることに決めていました。
出来るだけリアルに描きたいと思いました。
観客の目の前で事件が起こっている気分にさせたかったのです。
成功したと思っています。“


・マイケル・チャップマン
“私は絶対NYで撮りたかった”

『タクシードライバー』(1976)
”Taxi Driver“
マイケル・チャップマン

”当時ゴダールやヨーロッパの映画に心酔していた私たちは、飽くことなくどういう映画にするのか話し合ったものだ“

“無駄な撮影はしなかった。
単純でも極めてパワフルな映像に語らせることができたのだ”

”シュレーダーの脚本は非常に視覚的だった。彼の本を読むと何に目を据えればいいのか一目瞭然だった“

“最後の俯瞰ショットも基本的には脚本に書かれていた通りだ”

デ・ニーロが仕事を終え、座り込む。
カメラは俯瞰のまま、下へ移動。
倒れて血を流す人
そして、銃を構える警官たち。

脚本の凄さを物語るシーン‼️

”あの映画では、私たちがそれぞれ胸に秘めたNYに対する思いを吐露できたと思う“


・オーウェン・ロイズマン
『フレンチ・コネクション』(1971)
“The French Connection”
オーウェン・ロイズマン

”フリードマン監督と組んだ時、「君は明るくてしゃれたCM風の映像を撮るがNYの薄汚れたストリート映画を撮れるかい?」と聞かれ「撮影のプロだから監督の望む映像は何でも撮る」と答えた。
以来、NYのストリート作家と呼ばれているわけなんだ“

高架橋の下を爆走するポパイの映像はど迫力‼️


・ゴードン・ウィリス
“私の映像スタイルは東海岸で培われたものであってハリウッドにいたら同じセンスは身に付かなかっただろう“

『アニー・ホール』(1977)
“Annie Hall”
ゴードン・ウィリス

“米映画界はゴードン・ウィリスを得て幸運だったよ。米映画の作法の多くは彼の生み出したものなのだから“
〜マイケル・チャップマン

“私の描くイメージというのはかなり変わっていたようで、「そんなことは誰もやったことがないから無理だ」とよく言われた。僕はそんなことは気にせず自分がいいと思うように撮った“

『ゴッドファーザー』(1972)
”Godfather“
ゴードン・ウィリス

“ゴッドファーザーの映像は忘れられない。あれこそが映画の真髄だ”
〜マイケル・チャップマン

“私がマーロン・ブランドの頭上から照明を当てたのは彼のメイクを考えるとどうしても必要だったからだ。
役者を引き立たせるためには照明を工夫しなくてはならない。
「ブランドの目がよく見えない」とよく批判されたものだ。でも私はシーンによってはわざとそうしていたのだ。
ブランドの目が見えない方が神秘的だと思った。
何を考えているのか分からない謎の人物を表現したかったのだ。

“ゴードンは陰影の神様だった”

”私自身は低露出は抵抗があるしうまく出来ない。ところがゴードンときたら、それを芸術に仕上げてしまうのだ”
〜コンラッド・ホール

あのホールでさえ、脱帽のコメント‼️

『ゴッドファーザー Part II』(1974)
”Godfather II “
ゴードン・ウィリス

“Part IIのアル・パチーノと母親のシーンは暗すぎと思っている。レンブラントもやりすぎたことがあったがね”

”暗すぎたということ自体よりもドライブインシアターでの鑑賞に耐えるか否かが、当時の映画会社の関心事だった。
私たちはそんなことは気にしなかったけどね“
〜ウィリアム・フレーカー

“ゴッドファーザーでは黄色を多用した。
赤に近い黄色で目障りになりかねない色だが、直感的にいいと思ったんだ。
その後は時代物といえば黄色が使われるようになった。
映像を作り上げるには一つの要素だけが完璧でもだめだ。美術・衣装・構図など全てがマッチしないといけないし、照明はそれら全てを調和させなければだめだ。”

”ゴードンの仕事に間違いはありませんでした。彼は何年ものブランクを跳ね除け見事に復帰したのです。
まさしく映画を作るために生まれてきたと言えるでしょう”
〜ウィリアム・フレーカー


・ジョン・アロンゾ
”撮影のスタイルや技術は、
コンラッド・ホールや
ハスケル・ウェクスラー
ラズロ・コヴァックスや
私自身を含めた時代に転換期を迎えたが、
それは映画会社の支配を嫌う新しい監督たちのおかげだったね。
彼らはロケで撮影をしたがったんだ”

“カメラマンにリスクはつきものだ
私の世代のカメラマンには機材が発達した分リスクも大きかった。
レンズはシャープになったし、カメラは機動的になったからね”

『チャイナタウン』(1974)
”Chinatown“
ジョン・アロンゾ

”セットでなくバスルームにパナフレックスを持ち込んで手持ちで撮影した。
お陰で俳優に接近して自然な演技を撮ることができた。“

“照明の仕事もリスクが多かった。
メジャー会社の大作をドキュメンタリーの照明で撮るのは賭けだ。“

” 「チャイナタウン」はパナビジョンで撮ることになった。ポランスキーは過去の物語を現代的視点と技術を持って描こうとしていたのだ。“


・ビル・バトラー
”出来るだけ水面に近づけて撮ったら、水面下に鮫が潜んでいるのではと思わせる映像になっていた“

『ジョーズ』(1975)
“Jaws”
ビル・バトラー


・ネストール・アルメンドロス
“どの国でも撮影監督は外国人のことが多い。それは異国的なものに惹かれるからだ”

『天国の日々』(1978)
”Days Of Heaven“
ネストール・アルメンドロス

“監督は映像でストーリーを語ることにこだわっていた。”

”撮影に最適な時間というのは極端に限られていた。日暮れの時の20分位 日の光がなんとも言えず優しくなる時だ。
毎日この魔法の20分間にしか撮影できなかった。
カラーでしかできない美しくロマンティックな映像が撮れた。“

マジックアワー‼️

“「天国の日々」ではネストールがトリュフォーの仕事に移ったため途中から私が撮影を担当しました”
〜ハスケル・ウェクスラー

毎日20分しか撮影できなかったら、中々完成しませんね〜⁈

・マイケル・チャップマン
“40年代のライフ誌の写真をイメージしました”

『レイジング・ブル』(1980)
”Raging Bull“
マイケル・チャップマン


・ヴィットリオ・ストラーロ
“撮影監督と監督はあたかも磁石が引き合うようにお互いを選択するものです。”

『暗殺の森』(1969)
”The Conformist“
ヴィットリオ・ストラーロ
監督 ベルナルド・ベルトルッチ

“映画表現の総集編のような映画です”

”写真は絵画や小説や音楽と同じで一人でできる芸術です。ところが映画は共同作業の芸術で個人的表現とはいえません。
その共同作業の中心に監督がいて皆の取りまとめをするのです。”

『地獄の黙示録』(1979)
”Apocalypse, Now“
ビットリオ・ストラーロ

”脚本や音楽、美術、撮影、編集などあらゆる分野の総合的な責任を監督が持つのです“

“「地獄の黙示録」は本当に私にとっての黙示録的な作品でした。”

『ラスト・エンペラー』(1987)
”The Last Emperor“
ビットリオ・ストラーロ

“私は照明に意味を持たせて人生を描こうとしました。(主人公の)溥儀(ふぎ)の人生の各場面を違う照明と色で表現したのです。”

”イタリア的感性と異質な感性が混在するこの映画を通じて映画に国籍は無いと痛感しました“


・マイケル・バルハウス
”数多い監督の中でスコセッシとは本当にうまくいきました。彼こそ私の知る中で最も映像を重視する監督ですね“

『最後の誘惑』(1988)
“The Last Temptation Of Christ”
マイケル・バルハウス

“撮影開始前には彼の頭の中で映画が出来上がっているのです。”

”スコセッシは各場面のリズムを考えたショットリストをくれます。
クローズアップとかドリーとか言葉で説明しきれなければ簡単な絵が描いてあったり、似たショットのある映画を持ってきて、「こんな風に撮れないかな」と言うんですよ“

“「グッドフェローズ」ではちょっとした実験をしました。
デ・ニーロとリオッタがカフェで話してるシーン“

『グッドフェローズ』(1990)
“Goodfellas”
マイケル・バルハウス

“その中でリオッタはデ・ニーロの裏切りに気づくのです。
その緊張感を出すためにドリーバックしながらズームインしたのです。
フレームは固定されたままだが二人の背景がどんどん動くのです。
「いったい何が起こっているんだ?」と観客は思わずにはいられません。
この映像は僕も楽しんだし、監督も大変気に入っていました。“

ヒッチコックの
“めまいショット‼️”
撮影監督なら試してみたいショット‼️


・フレデリック・エルムズ
”映画は試行錯誤の連続さ“

『イレイザーヘッド』(1976)
“Eraserhead”
フレデリック・エルムズ

“(作品は)監督の頭の中で出来上がっていたから僕の仕事といえば彼の頭の中にある絵を引き出し具体化することだった。
カメラの動きとか照明の具合とかを決めていったわけだ”

『ブルー・ベルベット』(1986)
”Blue Velvet“
フレデリック・エルムズ

“時間的余裕があったため、登場する町の様子や人物のイメージを徐々に作っていった。主人公のアパートはどんな感じかとかね。色々奇妙な事件がそこで起こる設定だからね。そんなことを数年かけて考えた。
滅多にない貴重な経験だったね。”


・アーネスト・ディッキンソン
"まず監督が要求したのは、真夏の暑さを観客に肌で感じてもらうという事だった。”

『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)
”Do The Right Thing“
アーネスト・ディッキンソン

”現実をありのままに撮ってもだめだった。
そこでセットや衣装の色を現実より強烈にして暑さを感じさせた“

“監督がストーリーの演出家なら撮影監督は光の演出家だ”


・カルブ・デシャネル
”映像とは現実の一つの解釈で二つは同じものではない。映像に映し出された現実はえてして感情的だ”


・サンディ・シシェル
”他の映画の真似をしてくれと頼まれると戸惑うけれども優れた撮影監督の作品はとても刺激になり奮起させられる。
毎回違うことをする人は本当に素晴らしいと思う。”


・ジョン・ベイリー
”映画は今、新たな未知の世界に突入しようとしています。
50年代にシネマスコープやシネラマが登場し映画に革命をもたらしたのと同じような新しいチャンスがあるのです“


・アレン・ダビオー
“照明や映像が台詞よりも雄弁に語ることがある。台詞のない「間」の映像に感動することもある。映像は言葉と同じように観客の心に訴え、そしていつまでも残るのだ”

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