日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む死にゆく戦友達から預かった遺書を、8年もかけて、全国の遺族へ届け続けた 男(渥美清)の異色のロードムービー。時代遅れのお人好しだと揶揄されながら 重い記憶を一人で背負い続ける姿は、他人…
>>続きを読む昭和18年。沖縄ではまだ戦争の影は薄く、沖縄師範女子部の和子らは運動会を楽しんでいた。しかし、昭和19年になると戦局は悪化。やがて米軍グラマン機による空襲が那覇を連日襲い、和子ら女子学生は…
>>続きを読むノーベル平和賞候補になり、朝日賞や埼玉県民栄誉賞などを受賞した水墨画で風景画家の丸木位里(1901‐1995)と人間画家の丸木俊(1912‐2000)夫妻は、「日本人側から見た記憶を残して…
>>続きを読む沖縄戦末期、本土より派遣された2人の内務官僚がいた。戦中最後の沖縄県知事として沖縄に赴任した島田叡(あきら)と、警察部長の荒井退造。多くの住民の犠牲を目の当たりにした島田は「県民の命を守る…
>>続きを読む1995 年の震災で多くの家屋が焼失し、一面焼け野原となった神戸・長田。かつてそこに暮らしていた在日コリアン家族の下に生まれた灯(富田望生)。在日の自覚は薄く、被災の記憶もない灯は、父(甲…
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