大阪・泉南地域の石綿(アスベスト)工場の元労働者とその親族が、損害賠償を求め、国を訴えた“泉南・アスベスト国賠訴訟”。その8年にわたる闘いの全てを記録したドキュメンタリー。
1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスは、今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。そんな時、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ…
>>続きを読む2004年10月15日、最高裁判所、関西訴訟。「国・熊本県の責任を認める」判決が下った。この勝利をきっかけに、原告団と支援者たちの裁判闘争はふたたび、熱を帯びる。「末端神経ではない。有機水…
>>続きを読む1989年から沖縄戦に連行された朝鮮人「慰安婦」と軍属の実相を追い、『アリランのうたーオキナワからの証言』(91年)で「慰安婦」問題を提起した在日朝鮮人2世の朴壽南は、90年代、立ち上がっ…
>>続きを読む第ニ次世界大戦末期、医師・肥田舜太郎は広島に赴任していた際に被爆した。そして人々が原因不明の死を遂げていくのを目の当たりにする。後年、日本とアメリカが原爆投下後の調査データや影響を隠匿して…
>>続きを読むアルプスの山間で持ち上がった放射性廃棄物処理場の建設計画。土地と自分たちのルーツを守ろうとする反対派と賛成派の住民たちを追ったドキュメンタリー。ムーラーはこの作品を「子どもたちと子どもたち…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む男は、ガジュマルをこよなく愛した。「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、その男が好んで使った言葉がある。それは「不屈」。 1945…
>>続きを読む