秋田県釈迦内村、小作農と小さなそば屋で生計を立てる貧しい家の娘にセキは生まれた。当時の小作人は、 地主に50%もの地代を払わねばならなかった。貧しい農家の娘たちは身売りするより仕方がない。セキの 幼なじみの少女も売られていった。学校へ行きたくても、学校は男の行くところだと相手にされない。 15歳で小林の家に嫁いだセキは三男三女を生み育てたが、長男は病死。次男が多喜二である。セキは 優しい母親であった。 自分は字も書けなかったが、多喜二は叔父の世話で小樽高商(現小樽商科大学)まで卒業させてもらい、 銀行に勤める。 当時の銀行は大変な高給で、一生涯楽に暮らせる程であった。しかし多喜二は貧しい人の味方となって 小説を書き、武器を作るお金で皆に白い米のご飯を!と反戦を訴え続けた。そんな彼の小説は危険思想と みなされ、遂に多喜二は国家権力によって殺されてしまう。 セキは自分の息子が悪い事なぞする訳がないと多喜二を信じ続けていた。 そんな折、娘のチマに教会へと誘われる。そこでイエスの死について話を聞かされたセキは、何も悪い 事をしていないのに殺されたイエスと多喜二の姿を重ね合わせ、思いを巡らす・・・。
大正末期、関東大震災直後の日本には、不穏な空気が漂っていた。 軍部が権力を強めるなか、これまでの自由で華やかな雰囲気は徐々に失われ、人々は貧困と出口の見えない閉塞感にあえいでいた。 …
>>続きを読む四度のガンの手術から生還した夫が、アルツハイマー病を発症した妻に寄り添って介護を続ける12年間を描いた、夫婦の純愛と家族の愛情にあふれた物語。
フィリピンの首都マニラから 300キロ南にあるパナイ島の田舎町パンダン。海水混じりの井戸水しかないパンダンでは、多くの村人が腎臓病などに悩まされていた。友人に誘われ軽い気持ちで、パンダン水…
>>続きを読む戦争に7人の息子たちを兵隊にとられ、そのたびに桐の木を植えて、子供たちの無事を祈った母・ミツ。一人、二人と戦死の報せが届き、長い戦争が終わっても、子供たちはついに誰一人戦地から帰ってくるこ…
>>続きを読む小林多喜二は、一九〇三年(明治36年)秋田の貧しい農家に生まれた。彼が四歳の時、一家は伯父のいる北海道小樽に移住した。伯父のパン工場で働きながら勉学に励み、高商(商大)卒業後、北海道拓殖銀…
>>続きを読む昭和15年の東京。野上佳代は家族と共につつましくも幸せに暮らしていた。だがドイツ文学者の夫・滋が反戦思想を持つという理由で検挙され、その暮らしは一変する。佳代は不安と悲しみを募らせていたが…
>>続きを読む江戸末期、ペリー来航に震撼した日本の片隅で、新しい時代の到来を敏感に察知した若き二人の青年武士が全速力で駆け抜ける―。五代才助(後の友厚、三浦春馬)と坂本龍馬(三浦翔平)。二人はなぜか、大…
>>続きを読む81歳になった芦村朋子は、不慣れな手つきでパソコンにむかい、亡くなった夫・吾郎との思い出を手記として記録していた。しかし、朋子は突然病に倒れてしまう。そんな朋子の代わりに、孫の理が『何日君…
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