一年で『The Saddest Music in the World』『Cowards Bend the Knee』という二本もの映画を撮った2003年から3年が経って、シアトルの非営利映画製作会社"The Film Company"から、地元ロケ&地元の俳優を使うなら製作費に糸目は付けないという破格のオファーがあり、マディンはこれを引き受けた。そうして完成したのが、ガイ・マディン青年を主人公とする自伝的"私"三部作の二作目である本作品だ。遂にキャリア初のサイレント映画として製作され、トロント映画祭でのプレミア上映ではオーケストラや活弁士を付けたライブ上映となり、その後のアメリカ巡業(?)でも活弁士としてクリスピン・グローバーやジョン・アシュベリーなどの有名人を呼んだらしい。通常上映ではイザベラ・ロッセリーニがナレーションを担当した版が出回っているが、マディン本人はマスターテープを紛失したそうなので、クライテリオンの倉庫から好きなソフトを持って帰る企画で"自分の映画だけど持って帰るわ"と語っている。ちなみに、『脳に烙印を!』という邦題でフィルメックスで上映されている。
"私"三部作の前作『Cowards Bend the Knee』では"父親になる責任"から逃げ出した男を中心に物語が展開されていたが、続く本作品は12歳の少年マディンを中心に、彼の両親が経営する灯台の孤児院を通して"家族の呪縛"について描いている。特に存在感の強烈な母親は、ガイや彼の姉シスの行動を逐一監視しており、灯台の閉塞感も相まって中々肩身の狭い子供時代を送っていたことが示唆される。海ではなく陸を向いていることからも分かる通り"灯台の光"は母親の目であり、忙しなく動いてはガイとその姉シスを灯台に連れ戻し続ける。或いは、科学者である(ほとんど顔すら見せない)父親が開発した蓄音機型携帯電話を使って、二人の子供に呼びかけ続ける。勿論、これが彼の子供時代の完璧な写像とは思えないし、大いに誇張しているのだとは思うが、これまでの作品の多くで息子と母親を含めた近親者同士をくっつけてきたマディンにしては最悪な家族仲を取り持つ人間が不在で、それでも尚互いを見る目線に"愛"と"憎"が入り混じっている様が妙に生々しくて気色が悪い。しかも、家族構成が父母姉で完結し、ガイはそれとも孤児院の子供たちとも別枠で愛されているために、彼は下記の"蜜"搾取や孤児院経営に関わること無く、終始傍観者の目線を貫いている。これもガイから見たら"近付きにくく離れにくい"という母親との距離感に繋がってくる。
母からの監視、抑圧への怒りをあらわにした本作は、怪物のような奇怪な動きをする母が、戦闘機のような灯台から監視する異様な光景を紡ぎ出す。"Big Brother is watching you."と言いたげな灯台の下でガイ・マディンや仲間たちがごっこ遊びをしながら、自由を求めて母と対峙する。バレるかバレないかサスペンスの中、序盤に登場するあるガジェットを使いながら、母を攻略しようとする過程は観ていて楽しい。