1934年、満州。外交官の杉原千畝は、堪能なロシア語と独自の諜報網を駆使し、ソ連北満州鉄道譲渡の交渉を成立させる。しかしその裏で共に闘った仲間を失い、在モスクワ大使館への赴任を希望していた…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む元大学教授の考古学者・鷹野冬吉がアルツハイマー性老人痴呆症にかかった。軽いめまい、手足の痺れから始まって、極度の物忘れに家族の顔や名前さえも判らなくなり、一気に症状が悪化する。痴呆老人を抱…
>>続きを読む1945年デンマーク。市⺠⼤学の学⻑ヤコブは、ドイツによる占領末期に500⼈以上のドイツ⼈難⺠を受け⼊れるよう命じられ、妻のリスとともに耐え難いジレンマに直⾯する。もし⼀家が難⺠を助ければ…
>>続きを読むビルマ(現ミャンマー)独立に尽くしたアウンサン将軍の娘、アウンサンスーチー。1988年、母の看病のためイギリスから祖国へ戻った彼女は、民主化を求める人々に後押しされて選挙への出馬を決意。こ…
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