1972年、内戦の激化するカンボジア。銃撃の飛び交う中、ニコンを携えてシャッターを押しつづける男。男は25歳のフリー・ジャーナリスト・一ノ瀬泰造。キャパや沢田教一に憧れて戦場カメラマンを志…
>>続きを読む2021年3月、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(33)が名古屋入管で死亡した。彼女の死は長年ベールに包まれてきた入管の闇を明らかにするとともに、公権力による外国人差別の歴史を象…
>>続きを読む1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止を図った「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後過激化する学生運動の端緒となる事件だった。はじめてヘルメット…
>>続きを読む1952年に北朝鮮から8人の若者がモスクワ国立映画大学に留学した。だが、彼らは北朝鮮に帰らず、当時の金日成首相を批判して、エリートとしての約束された将来を捨てて、1958年にソ連に亡命し、…
>>続きを読むサブカルチャーの先駆者であり劇作家の寺山修司が構成を担当し、街ゆく人々に「日の丸の赤は何を意味していますか?」「あなたに外国人の友達はいますか?」「もし戦争になったらその人と戦えますか?」…
>>続きを読むギンズバーグのビート・ジェネレーションとブラックパンサー、カウンター・カルチャー・ポップが交差する1968年のスウィンギング・ロンドンを舞台に、傷ついたベトナム人の子供の写真に慄いた3人の…
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