1976年、アムステルダムの記者ハンス・クノープのもとに、彼の人生を大きく変える一本のタレコミ電話が入る。電話の主が告げた驚きの内容は、億万長者のアート・コレクター、ピーター・メンテンは第二次世界大戦中ナチに肩入れをしており多くのユダヤ人を虐殺した、というものだった。はじめは半信半疑のハンスだったが、当時の証人たちを探し出して取材を進めるにつれ確信を抱き、次第にメンテンを追い詰めていく。戦後約30年、巨大な富と名声を手に入れ、「自分は多くのユダヤ人たちを救った」と語るメンテン。温厚そうなこの白髪の男がはたして、残忍な大虐殺を行ったその人物なのかー。
1933年から45年にかけて、ナチス・ドイツがヨーロッパ各地で略奪した芸術品の総数は約60万点にのぼり、戦後70年以上経った今でも10万点が行方不明と言われる。なぜ、ナチス・ドイツは、いや…
>>続きを読む1950年代後半のドイツ・フランクフルト。検事長フリッツ・バウアーはナチスによる戦争犯罪の告発に執念を燃やしていたが、未だ大勢の元ナチス党員が政治の中枢に残りあらゆる捜査は遅々として進まな…
>>続きを読む第2次世界大戦下、ドイツ同盟国のハンガリーが連合国との講和を模索し始めたことから、ドイツがブダペストに侵攻を開始。労働収容所に収監された青年・エレクはナチスの狙いを察し、ナチスになりすまし…
>>続きを読む第二次大戦終戦後のオランダ。オランダ系ユダヤ人のジョセフ・ピラー大尉は、戦争中に盗まれた美術品を捜査する任務に就く。彼は貴重なフェルメールの絵画を史上最高額でナチスに売りつけた罪を犯した美…
>>続きを読むアメリカで暮らす82歳のマリア・アルトマンが駆け出し弁護士ランディと共に起こした裁判に、世界が仰天した。 訴えた相手は、オーストリア政府。“オーストリアのモナリザ”と呼ばれる、クリムトが描…
>>続きを読む1944年4月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。遺体の記録係をしているスロバキア人のアルフレートとヴァルターは、日々多くの人々が殺される過酷な収容所の実態を外部に伝えるため脱走を実行し…
>>続きを読む1958年、フランクフルト。戦後十数年が経ち、ドイツは経済復興の波にのり、人々は戦争の記憶を忘れつつあった―。大きな野心を持つ若き検事ヨハン・ラドマン(アレクサンダー・フェーリング)だが、…
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