アジア・太平洋戦争中、日本の委任統治下にあったマーシャル諸島では、約2万人の日本兵が命を落とした。その一人、佐藤冨五郎さんは飢えで亡くなった。亡くなる数時間前まで書き続けていた日記は戦後、戦友によって家族のもとに届けられた。日本から遠く離れた太平洋の島での最後の日々が、克明に綴られている。 2歳で父と別れ、74歳になった息子の勉さんは、日記を手がかりに父の最期の地をめぐる旅に出る。マーシャル諸島に住んだことがある若者たちが案内役となった。 道中目に飛び込んでくるのは、旧日本軍が遺した建物を使った家、 錆びついた砲台で遊ぶ子供たち、地中に埋まった電線を掘り出して作った手工芸品、日本語の恋の歌を歌う人びと…マーシャルの暮らしのいたるところに、戦争の記憶が顔を覗かせていた。 ひとりの日本兵の魂を追いかけつつ、不意にマーシャルの人々の「記憶」に触れ、慌てる。 これは、ただの慰霊の旅なのか?美しい海と陽気なウクレレが心にざわめくドキュメンタリー。
戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む太平洋戦争中、約19万人もの日本の将兵がビルマ戦線で命を失った。その生存者の中にはタイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に帰らなかった6人の日本兵がいた。2005年から3年にわたる彼ら…
>>続きを読む大阪・生野区生まれ、在日コリアンのオモニ(母)。2009年にアボジ(父)が亡くなってからは大阪でずっと一人暮らしだ。ある夏の日、朝から台所に立ったオモニは、高麗人参とたっぷりのニンニクを詰…
>>続きを読む米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。北部で展開されたゲリラ戦やスパイ戦などに動員されたのは、まだ10代半…
>>続きを読む1945年の沖縄。戦禍からは遠く離れた小さな島に渡って独り暮らし始めた16歳の 少女・洋海(織田梨沙)は、洞窟で脱走兵である日本人・隆康(満島真之介)とアメリカ人・ボブ(ブランドン・マクレ…
>>続きを読む大量破壊兵器保有を口実に、2003 年 3 月の米英軍によるバグダッド空爆から始まったイ ラク戦争。2011 年にオバマ米大統領が「イラク戦争終結」を宣言し、米軍はイラクから撤 退したが、…
>>続きを読む1945年8月6日、第二次世界大戦中の広島は、普段と変わらない朝だった。父の福一と共に建物疎開の準備をしていた19歳の美甘(みかも)進示は、自宅の屋根に上って瓦を剥がしていた。その時、目を…
>>続きを読む長田新の『原爆の子』を八木保太郎が脚色し映画化。8万人を超す広島市民がエキストラとして参加し、原爆投下直後の広島を再現した。ベルリン国際映画祭で長編劇映画賞受賞。
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