
1981年、祖国の内乱や殺戮から日本に逃れてきたカンボジア難民の子どもを受け入れ育て、その関わりから始まったカンボジアでの学校作りは、広がった支援の輪により、19校にのぼる。 その集成と…
>>続きを読む緑豊かなジャングルに覆われた西表島に暮らしている橋間良子、90歳。人生のほとんどを島で過ごし、子どもたちはみな島を離れ、家の一室は島に流れ着いたアメリカ人の青年に貸し与えている。彼女は不器…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読むなぜ、対馬丸は狙われ、そして見捨てられたのか―。 一夜で784人の子どもたちが命を落とした、戦時下史上最大の学童死亡事件「対馬丸事件」。当時、この悲劇は箝口令により徹底的に秘匿とされ、その…
>>続きを読む男は、ガジュマルをこよなく愛した。「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、その男が好んで使った言葉がある。それは「不屈」。 1945…
>>続きを読む家族をホロコーストで失った少女時代、終戦後はパレスチナでスナイパーとして活動し、女性が学ぶことが難しかった時代に大学で心理学を専攻。 アメリカに渡り、シングルマザーとなり娘を育てた。そし…
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