
戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む1981年、祖国の内乱や殺戮から日本に逃れてきたカンボジア難民の子どもを受け入れ育て、その関わりから始まったカンボジアでの学校作りは、広がった支援の輪により、19校にのぼる。 その集成と…
>>続きを読む日本統治下で日本語教育を受け、晩年を迎えた台湾の人々が、たくましくひたむきに生きてきた姿を捉える。敗戦により日本が去った後は、言論統制と弾圧の時代が長く続き、彼らの声は封殺された。今、彼ら…
>>続きを読む中国の母なる大河・長江。上海、南京、武漢、重慶、雲南、チベット高原まで、広大な中国大陸を横断する、全長 6300 キロのアジア最大の大河だ。日本人監督の竹内亮は、10 年前に NHK の番…
>>続きを読むアマンダ・リピッツ監督のドキュメンタリー映画「ワタシが"私"を見つけるまで」では、アメリカの家庭でそれぞれ養子として育った3人のティーンの少女が、血のつながった従姉妹であることを発見します…
>>続きを読む家族をホロコーストで失った少女時代、終戦後はパレスチナでスナイパーとして活動し、女性が学ぶことが難しかった時代に大学で心理学を専攻。 アメリカに渡り、シングルマザーとなり娘を育てた。そし…
>>続きを読むカメラを介して向き合う、父そして「3人の母親」との関係 不安定な父と暮らす監督自身が、姉とともに3人の母親に改めて向き合ったドキュメンタリー。家族という逃れられない呪縛。この映画をきっかけ…
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