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目次

『私は男でも女でもありません』に投稿された感想・評価

【「0」の概念】

一般的に物の数を数えるとき、「0」からカウントすることはまずない。
目の前に「もの」が存在している時点でそれは「1」から始まるという共通認識で世界は回っているから。
そこに「0」という数字を持ち込んでも「何もない」という結論になる。

でも実はこの「0」、『無が存在している』として数学や科学、宗教とあらゆる分野で当たり前に使われている数字でもあります。
ひとつの事象に対して「何もない」という捉え方と「無いという存在」という捉え方が存在する不思議な「0の概念」。


数年前に歌手の宇多田ヒカルが「ノンバイナリー」でるということをカミングアウトして話題となった。
この「ノンバイナリー」、日本語にすると「自分の性自認が男性でも女性でもどちらでもない」ということらしい。
これはLGBTQにおける「Q(クエスチョニング)」や、「Xジェンダー」にもどこか似ている概念ではあるんだけれども、厳密に言うと違いもあるらしい。

Xジェンダーとは「両性(男性でもあり女性でもある)」や「不定性(流動的に変わる)」「中性(男性と女性の中間)」「無性(男性でも女性でもない)」という概念の総称であるため、「無性」以外は『男性、あるいは女性』という性自認があるところからの肯定や否定が始まるので、厳密には違うものになります。

また、Q(クエスチョニング)に関しては、「性自認や、性的指向が定まっていない」という状態を指すため広い意味では同義とも言えますが、クエスチョニングが「性的指向(好きになる性別)」を含むのに対してノンバイナリーは「性表現(自分自身のファッションなどの振る舞い)」などを含むため、微妙に方向性の違うカテゴリーとも言えます。

・・・結果的に何が言いたいのかというと。
人間なんて10人いたら10通りの、100人いたら100通りのタイプがあるということ。
それは今も昔も。
でも「民主主義」「多数決」という枠組みを作っていく中で、徐々にマイノリティの声や権利は多数決によってもたらされた「多数の声のひとつ」に埋没していく(されてしまう)。
個人の尊厳の比率が大きくなると、国単位としての成長や前進が停滞してしまう。
だから「マイノリティ」という存在すらも「マジョリティの一部」として看過されてきた。
しかし、メディアが発達し人々は徐々に小さな声があちこちで隠されているということに気付く。
そして小さな波紋はやがて大きなうねりとなって発言力を増していった。

『ノンバイナリーに限らず、多様なセクシャリティは昔から存在した。ただ、それを表す言葉が存在しなかっただけ』

生物学的な特徴で言えば、人間は「男性」と「女性」に区分されるのかもしれない。
でもそれはもしかしたら「多数決による大雑把な区分」が通説となり、やがて誰も疑わない常識だと思い込むようになっただけなのではないだろうか?

人間が「性自認」をしていく過程で、そういった疑問を持つ前に「常識」という環境が整えられてしまい、流されるがままに「当たり前」として自分の性をただ受け入れているだけなのではないだろうか?
僕が「自分は男」と認識したのは、この世に生まれ出た瞬間から僕の意思とは関係なくこの世界が僕を「男」としてきたから。そしてそこに僕も疑問を持たなかったから。
ただそれだけのことなのかもしれない。

もし性別のカテゴリライズが単なる「多数決」の理論で決められたのだとしたら、少数派は「何もない」ことにされてしまうのだろうか・・・。

「男性」でも「女性」でもないという概念が「なにもない」ではなく「どちらでもないという存在」として認知されるにはまだ時間がかかるのかもしれない。
でも、確実に今もいる。

『「違う」ということは明らかだけど、でも「違う」ということに「明らかさ」が必要なわけではない。単純に受け入れるだけで十分だから・・・』

簡単な単語で綴られたオリビアの言葉はとても深い意味を持っていると思う。

「LGBTQ」という価値観が浸透してきている現代にあって、もはやジェンダーバイナリー(男女二元論)という考え方は遥か彼方へと消え去っていったような気がした。
そしてそこから生まれてくる「多様性」という概念は、自分の価値観以外を認めない(=なにもない)というスタンスからは何も生まれず、自分の既存の価値観にはなかったものの存在を受け入れているところから始まっているのかもしれない。


難しいな・・・って最初は思ってた。
最初は。

でも、そもそも頭で考えることではなかったんだなって気付いた。
「どうしてdmは男なの?」って聞かれているのと同じ。
見た目(肉体的特徴等)では説明できても、心(精神)の部分での説明って意外と難しい。
「女の子が好きだから・・・?」
「仮面ライダーが好きだから・・・?」
「家系ラーメンが好きだから・・・・?」
・・・いかん、破綻している。
ひとつも「男」を説明できるものではなかった。

きっと考えても答えなんか出ないんです。
だからこそ、他者にも自分自身にも寛容であることが必要なんだと思います。

「なにもない」「ありえない」ではなく「存在する」「存在したっていい」へ。
hisauk

hisaukの感想・評価

3.5
「私は男でも女でもありません」というノンバイナリーを追ったドキュメンタリー。

生物学的には女性として産まれてきた4人の子供達。

トランスジェンダーなのだが男、女の枠に囚われない、どっちでもない自分は自分だという考え。

それでも4人は思春期に訪れる体の変化などに耐えられず薬物投与、乳房切除、男性ホルモン注射など男性としての人生を歩んでいる

これらの選択により4人はとても生きやすくなったようだ。

体の変化に耐えられず自殺を考えたりした事もあるという。

今まで観てきたLGBTの映画、ドキュメンタリーとは少し違うのかと思って観てみた。
私は知らなかった「ノンバイナリー」という考え方があるという事が分かった。
枠に縛られないと考える事で気持ちが楽になったという4人。

とてもとても難しい事だが、4人は男性として生きる事を選んでいる。

もっと大人になったら「ノンバイナリー」として生きて行くのにどの様な変化が起こるのだろうか…。
D介

D介の感想・評価

3.9
男でも女でもない。って悩むよ…

自分は小さい時、「かわいいかわいい」
って言われて育って、小学校の頃は、
40人中1人だけ男児のブラスバンド部で、
それも「かわいいかわいい」扱いで。
それがある時、違和感になって。

たぶん、それの比じゃないくらいの
「自分とは?」の勇気なんだろうな。

2023-041

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