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『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』に投稿された感想・評価

3.7
記録です。

ウルリケオッティンガー監督のベルリン3部作の1本らしい。すんごい真面目な映画かと思いきや、こんなふざけた映画だったなんて!もう有名人のスキャンダルを追うのは時代遅れ。自分たちでスキャンダルを自作自演してボロ儲け。世界中のタブロイド紙を取り仕切る組織のトップであるマブゼ博士がスパイ活動のようにドリアングレイなる人物に色仕掛けして…って内容。序盤で上演されるオペラと現実が連関するような形で、社会的な搾取が個人的搾取としてドリアンのキャラクター像を炙り出す。途中に退官した高官のシーンにおいて超自我への言及があったように、ドリアンに対してもそれが働いている(拘束されている)ことがハリウッドとのやり取りから見受けられる。まさに作中劇のドンルイスと王女のように現実でも彼女に惹かれていくけれど、あの劇で惚れたというよりもドンルイスに自分を重ねたが故の解放への希求なのでしょう。その疎外の形は新たな疎外へと移行し、空虚なオールは虚実の混濁を齎し仮面が付け替えられるのみで何も変わらない。プ国の超自我を恐らく芸術面における某国の超自我とリンクさせ、その下で足掻く「芸術」はオールの如く…でしかない。それ故に検閲の突破を誤認した先に導かれるのは「超自我」により画一化される世界。オペラもまた空虚な仮面が持て囃され、思い出したい・思い出したくないの相剋を経て行き着く先の自覚。セルフスローモーションがサイコー!絶対当たってない角度でぶっ倒れるマブゼさんもサイコー🤣
4.6
 いきなり夕刊フジの部数減の報せが出て来てびっくりしたが、いやはやあまりにもアバンギャルドな映画に心底驚いた。フリッツ・ラングも映画化したマブセ博士は女性になっており、彼女は大規模なメディアグループを支配している。彼女がひとたび声を掛ければ世界中の雑誌・新聞社が集まり、彼女の意のままに動くのだ。現在の世界線で言えばGoogleなどがマブセ博士に近い権力かもしれない。彼女が次に示した販路拡大の計画は、オスカー・ワイルド唯一の長編小説となった『ドリアン・グレイの肖像』のドリアン・グレイのような美しいナルシストで、自身のコマになるような金髪碧眼の美青年を準備するのだ。この中性的なドリアン・グレイを演じるのがあのヴェルーシュカで驚いた。ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』でマウント取られながら撮影された彼女で、ポスターのモデルにもなっている有名なモデルだ。かくしてマブセ博士は手練手管でドリアン・グレイを育て上げ、人気絶頂になったところで低俗なスキャンダルで失脚させようと目論むのだ。ここではマブセ博士のジェンダーと共に、男性であるドリアン・グレイのジェンダーも女性に置き換えられるという二重三重の倒錯が試みられる。籠の中の鳥のようなドリアン・グレイには中国人の使用人であるトヨ・タナカがいるのだが、彼の名前がハリウッドというのも何やら図式的だ。どうやら正確な統計の言葉に捏造される3人の主題がベルリン三部作にはあるようで、現実が良識を持って迫れば迫る程、捻じ曲げられたグロテスクな病巣が可視化される。

 肝心要の映像の方は心底とち狂っている。パソコン時代を想起させる緑色のフォントやマブセ博士の左肩から伸びるラジオのアンテナのような通信装置と謎のピコピコ音。奥行きを極端に削るようなオッティンガーの絵画的なスタイルは今作の紙芝居的な縁取りで具現化される。あの心底とち狂った海辺の岩場のオペラの張りと弛緩する時間にウルリケ・オッティンガーはマジでヤバイと思った(ここで再登場するのが『アル中女の肖像』のタベア・ブルーメンシャインで心底打ち震える)。どことなくアダムとエヴァを彷彿とさせるオペラ・シークエンスにドリアン・グレイにドクトル・マブセを二次創作的にコラージュするオッティンガーのスタイルは唯一無二で、まぁどの歌もクセが強過ぎて1度聴いただけでは覚えられる筈もない。1ショット1ショットの映像の強度も凄まじく目を見張るものがあるのだが、それに輪をかけてウルリケ・オッティンガーの映画は音が我々の生理を凌ぐ勢いでスクリーンの被膜を破り、迫り来る。デヴィッド・ボウイのような奇跡的な美しさを誇るドリアン・グレイは支配者に忠実であろうとする。だが最後に強烈な破壊衝動が立ち現れる。とにかく圧倒的な音を作っているのは誰なのか調べたら、ペール・ラーベンで驚いた。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーに極めて凡庸なテーマ曲を数多く作ったのはペール・ラーベンだが、ウルリケ・オッティンガーとの仕事では心底とち狂ったオペラ曲やインダストリアルな曲の数々を提供する。ファスビンダーとオッティンガーがペール・ラーベンを通して間接的にウマが合ったのもわかる。どうしてこの映画が今の今まで日本で公開されなかったのか?個人的にはキューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』を初めて観た時のような衝撃を受けた正真正銘の傑作。
3.5
今回で「ベルリン三部作」すべてを鑑賞した事となったが、今回の作品が個人的には難解であり、ニュー・ジャーマン・シネマの一派からみれば、ファスビンダーとは一味違う作品であった。

主人公のドリアン・グレイはオスカー・ワイルドの小説からの大胆な登場である。演じたヴェルーシュカ・フォン・レーンドルフは中性的な雰囲気を併せ持ったデカダンスの模範囚。時が経っても映像から映し出された彼の美しさは恒久的であり、皮肉なことに老いていくのは小説の肖像画のような私達である。

ストーリー構成は権力政治の世界にオペラの劇中劇を挟み込んだり、新聞紙のみで作られた衣装やセット、報道機関を鶏の象徴とするブラックユーモア、画角の狭いテレビモニターは時代を感じさせたが、ペンタブレットや現在の端末の進化によるズーム機能を予測させるのは微笑ましい描写である。

音響効果は肌感覚として単一的なKraft work よりも少し抑揚のあるTangerine Dreamに近い印象があった。

オッティンガーの映画は耽美ではあるが、唐突にシーンが交錯して鮮烈であり、現代美術でいうところのフルクサスのパフォーマンスの影響はあるとは思うが、良い意味で自分の世界に浸っているので理解し難いところに好き嫌いが明確にあらわれるが、ハリウッドに対するアンチテーゼとしては必要不可欠な存在である。

〈ウルリケ・オッティンガー ベルリン三部作〉
[ユーロスペース 18:25〜]

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