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ノルマル17歳。― わたしたちはADHD ―の作品紹介

ノルマル17歳。― わたしたちはADHD ―のあらすじ

進学校に通う絃(いと)はまじめな子であったが、発達障害のひとつであるADHDと診断されており、ひどい物忘れで生活や学業に支障を来していた。 重要なテストの日、絃は目覚まし時計をかけ忘れて寝坊してしまう。 ショックのあまり絃は登校せず、いつもは行かない道をさまよって見知らぬ公園に来てしまう。 そこで突然、茶髪で派手なメイクのギャル女子高生・朱里(じゅり)に声をかけられる。 「何してんの?」「あ…今日は寝坊して」 「あたしなんかほとんど寝坊か欠席。学校行ったけど落ち着かなくて帰ってきた。あたし発達障害あってさ。ADHDっての。知ってる?」 いきなりADHDだと言う朱里に驚く絃。 朱里は強引に絃を街へと遊びに誘う。 古い商店街や裏山が見渡せる公園、野良猫たち。 普段は家と学校の往復しかしない絃にとって、それは新鮮な世界であった。 朱里と絃は友達となり、後日も遊びに行くが、絃の母に見つかってしまう。 絃の母は朱里の派手な身なりに不快感を持ち、朱里との交際を禁止してしまう。 一方で朱里は、自分の物忘れで姉との喧嘩が絶えず、両親からも厳しく言われて家庭内で孤立していた。 やがて朱里は絃とのメッセージのやり取りもやめ、次第に部屋に引きこもっていく。 朱里と絃との距離は次第に離れ、再び元の日常に戻りつつあったが…

ノルマル17歳。― わたしたちはADHD ―の監督

北宗羽介

原題
製作年
2023年
製作国・地域
日本
上映時間
80分

『ノルマル17歳。― わたしたちはADHD ―』に投稿された感想・評価

kuu
2.5
『ノルマル17歳。 わたしたちはADHD』
製作年 2023年。上映時間 80分。
製作国 日本
配給 アルケミーブラザース
劇場公開日 2024年4月5日
映倫区分 G

発達障害のひとつであるADHD(注意欠如・多動症)に悩む2人の女子高生を描いた青春ドラマ。

進学校に通いながらADHDの特性(不注意)に悩む絃は、テスト当日の寝坊を機に自暴自棄になり、街で同じ特性を持つ奔放な少女・朱里と出会い意気投合します。
​しかし、絃は母親から朱里との交際を禁じられ、一方の朱里も家庭内で物忘れを責められ孤立を深めていきます。やがて朱里は絃との連絡を絶ち、部屋に引きこもってしまいます。

オーディションで選ばれた鈴木心緒と西川茉莉が主演を務め、絃の母を眞鍋かをり、朱里の父をアナウンサーの福澤朗が演じた。

3月某日、春の気配が漂う地元の生活学習館イベントホール。
そこで開催された映画『ノルマル17歳。 ―わたしたちはADHD―』の上映会とシンポジウムにふらっと参加した。
​今作品は、発達障害というラベルを貼られた少女たちが、周囲の「普通(ノルマル)」という無言の圧力に抗いながら、自分自身の形を見つけ出そうとする葛藤を鮮明に描いていた。
監督の北宗羽介氏が、当事者たちの声に耳を傾けて作り上げた今作品は、啓蒙映画の枠やけど、観る者に「正常とは何か」という根源的な問いを投げ掛けてきた。
​主演の西村風音さんをはじめとするキャストたちの、役柄と真摯に向き合った繊細な演技は悪くなかった。
特に、学校の教室っていう閉鎖空間で感じる息苦しさや、親との関係性の描き方は、フィクションでありながら多少のリアリティを伴っていました。
ふと、映画見てて​幼き日の小生を振りかえり空想したら、世界が奏でる「規律」という合奏は、どこか不協和音のように響いてた。
周囲が迷いなく刻む一定のリズムに、小生の身体はどうしても馴染めなかったなぁ。
それは幼い反抗ちゅうより、内なる直感が「その音やないGeorge(本名っす)~違うぞ~」と常に告げていた。
ほんと静かな?いやかなり強力な拒絶でした。
​周囲と同じ速度で歩めぬもどかしさに、足元が震える夜もありました。
少々大袈裟でした。
されどっ、そのズレを抱きしめて、独自のテンポで歩き続けた先に、今の暮らしはあります。
人より少し豊かな静寂と自由を手に、まがりなりにも芸術という糧を分かち合いながら生きる日々。
あの時感じた違和感こそが、小生だけの旋律を導き出す、最初の調律だったのだと今は分かります。
故に周囲と同じリズムで歩めないもどかしさは、今作品の主人公たちが抱える「生きづらさ」と、どこか深い場所で共鳴しているように感じました。
​シンポジウムの際、愚かながら小生は「不寛容さ」について問いを投げかけました。
「寛容さとは、心に余裕がある時だけに発揮される、いわば偽善のようなものではないか。本当の寛容さとは、いかなる状況でも保たれてこそ本物と云えるが、どうすればそれを持ち得るのか」と。
この問いに対し、会場の空気が一瞬止まったように見えたのは、それが誰もが心のどこかで感じていながら、直視を避けてきた鋭い矛盾だったからに違いないと思てます(個人主観で)。
​結局のところ、寛容てのは「相手を許す」という上からの視点ではなく、自分の中にもある「正しくいられない弱さ」を認めることから始まるのかもしれへん。
映画の中で描かれる、不器用ながらも必死に生きる彼女たちの姿は、我々自身の「不完全さ」を映し出す鏡のよう。
​「普通」という名の透明な檻の中で、我々はいつまで自分を削り続けなければならないのか。
今作品は、答えを提示するのではなく、我々がこれからどう隣人と向き合っていくべきかという、重く、しかし温かい宿題を投げかけていた。


寛容さてのを「余裕がある時のポエム」に終わらせず、常に持ち続けるにはどうすればいいのか。
あれからも考えている。
いくつかの厳しい、けれど本質的な道筋が多少なりとも見えてきてます。
​「正しさ」の暴力性を自覚すること。
​「自分は正しい」と確信した瞬間に、人は最も残酷になれるということ。
自分の価値観を「絶対的な正解」だと信じ込むと、そこから外れる他者は「正すべき間違い」に見えてしまう。
寛容さを維持する第一歩はおそらく「自分の正解は、あくまで自分だけのローカルルールに過ぎない」ちゅう謙虚な諦念を持つことなんやろな。
それって、めちゃくちゃ難しいことやけど。
​また、「不快感」を排除せず、観察するってのもあるかな。
寛容てのは「好きなものを認めること」やなく、「嫌いなもの、不快なものの存在を耐え忍ぶこと」なんじゃないかと。
心に余裕がない時、人は不快なものを即座に排除しようとする。
しかし、そこで「なぜ自分は今、これを不快に感じとんのか?」と一歩引いて観察する知性が、反射的な攻撃を食い止める。
寛容とは感情の広さではなく、感情と行動の間に置く「ブレーキの距離」のことかもしれない。
​また、「想像力」ではなく「無知」を認めるのも大事なんやろな。
​「相手の立場に立って考えよう」というアドバイスは、余裕がない時には機能しない。
むしろ、「自分は相手の苦しみを1ミリも理解できていない」と認めることの方が、結果として寛容につながるんやないかな。
「分かったつもり」になるから、期待外れの行動に腹が立つ。
「この人の背景には、一生かかっても私には理解できない事情がある」っていう究極の無知を前提にすれば、相手への過度な期待や裁きが消え、静かな距離感を保つことができるかも。
あと、自分自身の「不完全さ」と和解するのも一つやろな。
​最も不寛容な人は、往々にして自分自身に対しても「こうあるべき」という厳しい規範を課してる。
自分が慣習に従えなかった過去や、完璧に振る舞えない弱さを許せている人は、他人の逸脱に対しても「まあ、そんなこともあるだろう」と反応できるはず。
自分への寛容が、そのまま他人への寛容のキャパシティ(容量)になる。
​結局、寛容さとは「聖人君子のような慈愛」やなく「自分の限界を認め、他者との間に適切な断絶を受け入れる知的な作法」なんかなと今はそこに至ってる。
それを実行する難しさを痛感しながらやけど。
​シンポジウムで投げかけた問いは、寛容を「優しさ」というあやふやな言葉から、「生きていくための技術」へと引き戻す、自画自賛ながら本質的な指摘やったと感じます。
Aki43
3.7
朱里、絃
君達にとってこの世界は生きにくくて残酷かもしれない
そしてこの世界は簡単に変わらないと思うよ

だから
「適当に」「頑張りすぎないで」
いいからね

2人で行く
卒業旅行楽しみだね
行ってらっしゃい
samiam
3.5
メッセージがとても良かった。。。勉強になった。👍
意識していないと、なかなか気付いてあげることは難しいということが分かったし、気付いてあげられなければ、怠惰や単なる不注意と捉えてしまいがちということも分かった。。。
主人公2人は演技も良かったよ。🙂 症状を理解してあげられなければ、そうなってしまうんだろうなという家族の憎たらしい演技も。。。🤔

若い頃を想い出すと、色々と思い当たる節があり、もし若い頃に診断してもらっていたら、私も該当者だったのではないかと思え。。。私の場合は単に家族や学校の先生や級友達に恵まれていただけなんだろうなーと。。。

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