「キノコ雲は 我らが誇り」 原爆を作るために生まれた町・リッチランド 平和で美しい郊外(サバービア)で、その歴史を誇る人々、 逡巡する人々が交差する『オッペンハイマー』のその後、アメリカの“核” を担い続けてきた町の知られざる歴史と現在― 平和で美しいアメリカの典型的な郊外の町、 ワシントン州南部にあるリッチランド。住民たちが応援する地元高校のフットボールチームのトレードマークは「 キノコ雲」と「B29爆撃機」、チーム名は「リッチランド・ ボマーズ」。そう、リッチランドは 1942年からのマンハッタン計画における核燃料生産拠点「 ハンフォード・サイト」 で働く人々とその家族が生活するために作られた町なのだ。 1945年8月9日、長崎に落とされた「ファットマン」 のプルトニウムはハンフォード・サイトで精製されたものだった。 広島、長崎への原爆投下から79年。 その罪と痛みを背負うのは誰か?人類の“業”が重層的に浮かび上がる叙事詩的ドキュメンタリー リッチランド高校の「キノコ雲」は町のいたるところで掲げられ、 「原爆は戦争の早期終結を促した」と誇りを口にする人々。 一方で「川の魚は食べない」と語る者たちは、 核廃棄物による放射能汚染への不安を今も抱えながら暮らしている 。町の歴史を誇りに思う者がいる一方で、多くの人々を殺戮した“ 原爆”に関与したことに逡巡する者もいる。そしてまた「 ハンフォード・サイト」自体、ネイティブアメリカンから“ 奪った”土地だったのだ。 多くの犠牲のもとで、多くの命を奪い、 存在そのものが人類の脅威となってしまった“原爆”。『 オッペンハイマー』のその後、アメリカは“原爆” とどう向き合ってきたのか? その罪と痛みを背負うのは誰なのか? 近代アメリカの精神性、そして科学の進歩がもたらした、人類の“ 業”が重層的に浮かび上がる叙事詩的ドキュメンタリー。
大量虐殺の次に起きたのは歴史の抹殺だ 1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻したナチス・ドイツ軍。占領下のウクライナ各地に傀儡政権をつくりながら支配地域を拡大し、9月19日につ…
>>続きを読む東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故で、遠く離れた場所へ避難した福島県双葉町の人々に密着したドキュメンタリー。原発事故により、福島県双葉町の住民1423人が、約250キロ離れた埼玉…
>>続きを読むイギリスのドキュメンタリー監督ルーク・ホランドは、アドルフ・ヒトラーの第三帝国に参加したドイツ人高齢者たちにインタビューを実施した。ホロコーストを直接目撃した、生存する最後の世代である彼ら…
>>続きを読む2016年6月19日、沖縄県那覇市。米軍属女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会で、稲嶺進名護市長は言った。「我々は、また命を救う“風かたか”になれなかった」。「風(かじ)かたか」とは…
>>続きを読む日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功す…
>>続きを読む米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。北部で展開されたゲリラ戦やスパイ戦などに動員されたのは、まだ10代半…
>>続きを読むベラルーシに生まれ、フランスを拠点とするコズロフ監督は北方領土・国後島を訪れ、その現状を見つめる。日本人が残した生活用具を掘り起こす男をはじめ、国境政策に翻弄された住民たちの生活は決して安…
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