オデュッセイアを配信している動画配信サービス

『オデュッセイア』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

オデュッセイア

オデュッセイアが配信されているサービス一覧

『オデュッセイア』が配信されているサービスは見つかりませんでした。
代わりに『オデュッセイア』を上映している映画館が見つかりました。
上映館
 - 360館
U-NEXTに入会して対象映画館のチケットをお得に入手する方法

U-NEXTに入会すると上映作品を映画館でお得に観れます。
TOHOシネマズ、イオンシネマ、109シネマズなど多くの映画館が対象になっています。

  • 無料トライアル登録特典
    31日間無料の初回登録で500ポイントがもらえます。
  • 映画チケット引き換えクーポン
    1枚1,500ポイントで映画チケットを発行できます。無料登録後に1,000ポイントを追加すれば、実質1,000円で映画を観ることができます。
  • 月額プラン会員特典
    次月以降は毎月1,200ポイントがもらえ、300ポイント追加で毎月1本映画を観ることができます。

オデュッセイアが配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
Hulu
Netflix
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM
TSUTAYA DISCAS
music.jp

オデュッセイアの作品紹介

オデュッセイアのあらすじ

トロイア戦争の終結後、イタケの王、オデュッセウスは、家族の待つ故郷へ帰還を目指す。しかし彼の前には、神々の介入、怪物、そして荒れ狂う海など容赦ない試練が立ちはだかる──。

オデュッセイアの監督

クリストファー・ノーラン

原題
The Odyssey
公式サイト
https://odyssey-film.jp/
製作年
2026年
製作国・地域
アメリカ、イギリス
上映時間
172分
ジャンル
アクション、アドベンチャー・冒険、歴史
配給会社
ビターズ・エンド、ユニバーサル映画

『オデュッセイア』に投稿された感想・評価

健一
4.6
オデュッセ嫌! 😅


ほーーーらみろ!😤

2015年。
リドリー・スコット監督マット・デイモン主演の火星を舞台にした大作
「オデッセイ Odyssey」
でもこの作品。ホントのタイトル(原題)は
『The Martian』
どっかのおバカさんが「オデッセイ Odyssey」なんて邦題を付けちゃうから!

2026年(今年)。
まさかの当人マット・デイモン主演でホントに『The Odyssey』というタイトルの作品が作られちゃった!😲

どーすんの? 一体?

苦肉の策で付けたタイトルが
「オデュッセイア」だって!😤
あ〜〜やだやだ! もー嫌!😅

というワケで!

話題の大作を嬉しいIMAX先行上映にて。
映画史上初の全編IMAXフィルムカメラでの撮影‼️
このカメラ、総重量がなんと134kg。
撮影場所を変える度に4〜5人の男たちが持ち上げて移動させなくてはならないという。
なんとも 途方もない作業工程‼️
しかもデジタルではなくフィルム‼️
ノーラン監督の妥協なきこだわりを感じる。
全米で驚異のヒットを続けている本作!
来年のアカデミー賞ノミネート発表が今から楽しみだ!


さて本作 ⚠️ネタバレあり⚠️


クリストファーの乱(ノーラン😅)
IMAXの大画面に広がる圧巻の映像美、そしてサウンド!
まさに『革命』をノーラン監督は起こし見事に成功した。

神を怒らせてしまった男の
映画史上最も危険で過酷な帰り道。

回想録な展開が逆に見やすかったのかも?
正直、本作を観る前は『映像は凄そうだがストーリーは大丈夫か?』と少し心配だったのだが。
かなり見やすく頭にスッと入ってくる印象。

主要キャストもスゴイ面々だが、
脇役&チョイ脇役までスゴイ面子‼️
ここでピックアップしたい人は
シノンを演じたエリオット・ペイジ!
(海辺でトロイの木馬の外にいた少年兵士)
2007年に「JUNO/ジュノ」で妊娠した16歳の少女を演じてアカデミー主演女優賞に20歳の若さでノミネートされたカナダ🇨🇦の女優さん。
2020年にトランスジェンダーであるとカミングアウトしエレン・ペイジからエリオットに改名。
カナダ🇨🇦の作品には何本か出ていたがアメリカ作品にはエリオットとしてはこれが初めてでは?
2010年のノーラン監督作「インセプション」にも出てましたね!

長く波乱に富んだ旅。

『Odyssey』にはそんな意味があるらしい。

ひとつ目の巨人、大柄の銀の兵士
キルケーの魔女。

これは、悪夢 か 幻か

「タイタニック」「アバター」
に匹敵する
大スクリーンで堪能するべき
今、一番新しい『名作』。

この作品から洋画に興味を持ってくれる若者たちが急増してくれることを

切に願う。


2026年 9月7日 15:35〜 IMAX先行上映
グランドシネマサンシャイン池袋screen 12
IMAXレーザーGT
💺538席 ♿4席
客入り 満席👏👏👏

この作品観るなら絶対に
このシネコンのIMAXでしょう‼️
そー考える方々は大勢いるのでしょう!
平日の真っ昼間、深夜からの大雨にもかかわらず満席🈵
IMAX先行上映企画!大成功😁
映画『オデュッセイア』レビュー|「生きて還る。」人は、何を信じれば20年を耐えられるのか。全編IMAXで描くノーラン史上最大の“帰還”

「生きて還る。」

たった、それだけです。

戦争へ行った男が、故郷へ帰る。

妻のもとへ。息子のもとへ。自分が王だった場所へ。

物語だけなら、一行で終わります。

ところが、クリストファー・ノーランは、その「帰る」という一言を、172分かけて、とてつもなく遠いものにしてみせました。

トロイアの城壁は炎に包まれる。荒れ狂う海は船を砕く。キュクロプスが人間を喰らい、魔女が男たちの姿を変え、死者たちが過去を突きつけ、神々は人間の都合など知ったことかというように運命を揺さぶる。

仲間は、一人、また一人といなくなっていく。

それでも、オデュッセウスは帰ろうとする。

10年の戦争。

そして、10年の帰路。

20年です。

故郷では、妻ペネロペが待っている。

息子テレマコスは、父の顔さえほとんど知らないまま大人になっていく。

王のいない宮殿には求婚者たちが入り込み、食べ、飲み、居座り、ついには妻だけでなく息子の命まで脅かしていく。

そして、観ている私たちまで待たされる。

まだか。

まだ帰れないのか。

帰れ。

今度こそ帰れ。

間に合え。

もう十分だろ。

早く。

最後の最後まで、ノーランは簡単に帰らせてくれません。

だからこそ、ついに溜め込んだものが爆発した瞬間、私は震えました。

そして最後には、涙が出ました。

映画を観終えたというより、

巨大な海へ放り込まれ、172分の旅をして、自分までようやく生きて還ってきた。

そんな感覚でした。

冒険映画。

戦争映画。

神話。

怪物映画。

家族の物語。

愛の物語。

いろいろな呼び方ができる作品です。

でも、私が最後に受け取ったものは、もっとシンプルでした。

これは、信念の物語です。

帰ると決めた男。

帰ってくると信じた妻。

父を知らないまま、それでも信じようとした息子。

そして、20年という時間。

人間は、いったい何を信じれば、20年を耐えられるのか。

私はそんなことまで考えながら、映画館を出ました。

傑作でした。

『オッペンハイマー』の次に、なぜ2800年前の『オデュッセイア』なのか
いま、クリストファー・ノーランほど「新作が出る」というだけで映画ファンを劇場へ向かわせる監督は、そう多くありません。

『ダークナイト』でヒーロー映画の地平を変え、『インセプション』では夢の中へ、『インターステラー』では宇宙の果てへ、『ダンケルク』では戦場の時間そのものへ、『TENET テネット』では時間を逆行させた。

そして『オッペンハイマー』。

3時間に迫る、物理学者と原子爆弾の映画です。

それが世界で巨大な成功を収め、アカデミー賞では作品賞、監督賞を含む7部門を受賞した。

つまりノーランは、その次に、ほとんど何でも撮れる場所へ立ったわけです。

そこで選んだのが、最新のSFでも未来世界でもない。

約2800年前から語り継がれてきた『オデュッセイア』でした。

これが、もう面白い。

原作は、ホメロスに帰される古代ギリシャの英雄叙事詩。

10年間のトロイア戦争を終えたイタケの王オデュッセウスが、妻ペネロペと息子テレマコスが待つ故郷へ帰ろうとする。

ところが帰れない。

そこからさらに10年。

キュクロプス。

ライストリュゴネス人。

魔女キルケ。

女神カリュプソ。

セイレーン。

死者の国。

怒れる神々。

次から次へと、人間の理解を超えるものが帰路を塞いでいく。

私は正直、これまでギリシャ神話や英雄叙事詩に特別詳しかったわけではありません。

今年イタリアへ行き、来年は妻とエジプトへ行こうと考え、その先にはいつかギリシャにも行ってみたい。以前より地中海周辺の歴史への興味は強くなりました。

それでも、自分から『オデュッセイア』を読みたいと思ったことはなかった。

今回も映画の前に原典について解説する動画を一本見ました。

予習はした。

でも、まだ遠い。

神々。

英雄。

怪物。

古代の王。

自分に本当に届く物語なのだろうか。

ところが映画が終わる頃、私は真逆のことを考えていました。

2800年前の物語が、どうしてこんなにも今を生きる自分に近いんだろう。

古いどころか、あまりにも人間だったんです。

ノーラン自身、『オデュッセイア』を掘り下げていくうちに、この物語がほとんどすべての映画の根底に流れていることに気づいたと語っています。

確かにそうです。

故郷へ帰る。

家族に会いたい。

誘惑に負けそうになる。

自分の過去と向き合う。

信じたい。

でも疑う。

それでも進む。

映画が何百回、何千回と描いてきた物語の原型が、ここにある。

ノーランは、自分が映画人生を通して追い続けてきたものの源流へ、とうとう帰ってきたのだと思いました。

全編IMAXは「画面が大きい」という話ではない
そして、この映画を語るうえで避けて通れないのがIMAXです。

『オデュッセイア』は、劇映画として史上初めて、全編をIMAXフィルムカメラで撮影した作品です。

使われたフィルムは約210万フィート。

撮影は世界6カ国に及び、トロイアの戦いには大量のエキストラを投入し、巨大なセットや実物の船を使いながら、この神話世界を物理的に作り上げています。

ここで大事なのは、

「大きな画面で観ると迫力があります」

というだけの話ではありません。

これまでIMAXフィルムカメラは、その巨大さや作動音ゆえに、静かな会話場面まで撮り通すことが難しかった。

今回は新しいカメラと防音技術まで開発して、それを突破した。

つまりノーランは、

海。

怪物。

戦争。

だけをIMAXで撮りたかったのではない。

人間の顔まで、同じフォーマットで撮りたかったんです。

これが、この映画では決定的に効いています。

果ての見えない海を映した次の瞬間に、マット・デイモンの傷だらけの顔が来る。

何千人が動く戦場の次に、アン・ハサウェイの目のわずかな揺れが来る。

巨大な世界と、一人の人間。

その両方へ同じだけの画面を与える。

だからIMAXが、ただのスペクタクルではなく、この映画の思想そのものになっている。

人間は、こんなにも小さい。

それなのに。

その小さな人間の中には、海より大きい何かがある。

私は何度も、そのことを感じました。

私は物語で映画を観る人間です。それでも、この一枚の画には勝てない
私は、かなり「物語」で映画を観る人間です。

ビリー・ワイルダーが好きです。

ウディ・アレンも好きです。

人と人が会話する。

一つの台詞で関係が変わる。

言葉によって人物が立ち上がり、ストーリーが観客を運んでいく。

そういう映画が大好きです。

だから映画には、かなりストーリーテリングを求めます。

それなのに。

ノーランを観ていると、時々、その好みさえどうでもよくされる瞬間がある。

一枚の画が、あまりにも強いからです。

海。

一艘の船。

そこに立つ人間。

それだけなのに、目を離せない。

美しい。

でも怖い。

静か。

でも画面のどこかに、ずっと危機が潜んでいる。

キュクロプスの洞窟では、次に誰が喰われるのか分からない。

死者の国では、地面と死体と霧の境界そのものが崩れていく。

キルケの場面では、人間の身体が人間でなくなっていく恐怖を見せる。

そして荒れ狂う海。

波が来るたび、物語より先に身体が縮む。

理屈で「迫力がある」と判断する前に、身体が反応してしまう。

映画というものは本来、まず光と音だった。

そんな当たり前のことを、ノーランは力ずくで思い出させてきます。

マット・デイモン。「英雄」から全部が剥がれたあと、何が残るのか
今回、私はマット・デイモンに驚きました。

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の頃から観ています。

『ボーン』シリーズも何本も観ました。

素晴らしい俳優だと思ってきました。

でも今回ほど、

この人は、こんな顔をする俳優だったのか。

と思ったことはありませんでした。

オデュッセウスは戦う。

走る。

登る。

泳ぐ。

耐える。

身体的にも過酷です。

でも、私が一番見ていたのは身体ではありません。

顔です。

疲れている。

傷ついている。

歳を取っている。

何人もの仲間を失ってきた。

自分の判断によって、誰かを犠牲にした。

勝ったはずの戦争が、自分の中では終わっていない。

それが、台詞ではなく顔の奥に残っている。

そして旅が続けば続くほど、オデュッセウスから肩書きが剥がれていきます。

王。

英雄。

指揮官。

船。

仲間。

誇り。

最後には、ほとんど何もなくなる。

それでも、目の奥から一つだけ消えない。

帰る。

妻のもとへ。

息子のもとへ。

故郷へ。

若い頃のマット・デイモンでは、この顔にはならなかったと思います。

俳優として重ねてきた時間も、一人の人間として重ねてきた時間も含めて、オデュッセウスの20年へ乗っている。

今回、私はこれまで観たマット・デイモンの中でも、最も円熟した仕事の一つだと感じました。

父を知らない息子。20年待つ妻。それでも信じ続けられるのか
この映画が、オデュッセウス一人の冒険譚で終わらない理由。

それは、故郷に待っている人間がいるからです。

トム・ホランド演じるテレマコス。

父は、自分が物心つく前に戦争へ出た。

だから、父について知っていることの多くは、自分の記憶ではありません。

人から聞いた話です。

英雄だった。

勇敢だった。

偉大な王だった。

でも、20年帰ってこない。

会った記憶さえほとんどない人を、どうやって父として信じ続ければいいのか。

しかも父の宮殿には、ロバート・パティンソン演じるアンティノオスを中心に、求婚者たちが居座っている。

父が座るべき場所。

父が守るべき家。

父がいるはずだった人生。

そのすべてを、別の男たちが侵食していく。

テレマコスは信じたい。

でも疑う。

また信じる。

トム・ホランドは、ここではヒーローではありません。

まだ、息子なんです。

そこが、とてもよかった。

そしてアン・ハサウェイ演じるペネロペ。

20年待つ。

簡単に書きましたが、20年です。

一日ではない。

一年でもない。

国には王がいない。

何十人もの求婚者が宮殿へ入り込み、食べ、飲み、騒ぎ、王妃へ再婚を迫り続ける。

ついには息子の命まで危うくなる。

それでも待つ。

私は途中から、「一途な妻」という言葉ではまったく足りないと思いました。

本当に生きているのか。

私は間違っているのではないか。

もう死んだ人を待っているだけなのではないか。

私の人生は、これでいいのか。

20年もあれば、そんな夜が何度あってもおかしくない。

それでも、最後の一本を切らない。

アン・ハサウェイは、その強さを叫びません。

耐えていることを誇示もしない。

ただ、そこにいる。

待っている。

静かです。

なのに、恐ろしいほど強い。

私はこのペネロペに、ものすごく惹かれました。

怪物より怖い。「もう、ここでいい」と言ってくる場所
この映画には恐ろしい怪物が出てきます。

人間を喰らうキュクロプス。

巨大な敵。

魔女キルケ。

死者たち。

神々。

でも観ているうちに、私は思いました。

オデュッセウスを故郷から最も遠ざけるものは、必ずしも「怖いもの」ではない。

むしろ、

もう、ここでいいじゃないか。

と囁くものの方が怖い。

カリュプソのもとにいれば、また海へ出なくてもいい。

嵐に襲われなくてもいい。

仲間を失わなくてもいい。

傷つかなくてもいい。

忘れてしまえば、楽になれる。

ここが、この旅の面白いところです。

怪物なら逃げればいい。

敵なら倒せばいい。

でも「安らぎ」は、敵の顔をしていない。

だから怖い。

怪物だけが、人を帰れなくするわけではない。

優しい場所も。

美しい場所も。

忘れさせてくれる場所も。

時には、帰ることをやめる理由になってしまう。

故郷へ帰るためには、危険に勝つだけでは足りない。「ここでいい」という誘惑からも立ち上がらなければならない。

この映画を観ながら、私は何度もそのことを考えました。

ロバート・パティンソン。「もう諦めろ」という現実の顔
一方、故郷ではアンティノオスが待っています。

いやあ。

嫌な男でした(笑)。

でも、ただの悪党では終わらないところが面白い。

王は20年帰らない。

国をどうする。

王妃をどうする。

いつまで、いない人間を待つ。

その問いだけを抜き出せば、実はものすごく「現実的」です。

だからこそ怖い。

ペネロペやテレマコスが戦っているのは、夢の中の怪物ではない。

毎日目の前へ来て、

もう諦めろ。

現実を見ろ。

と言ってくる人間なんです。

オデュッセウスが海で「帰ること」を試される一方で、家族は故郷で「待つこと」を試されている。

映画が二つの場所を行き来するたび、距離は縮まっているはずなのに、観客の焦りは増していく。

帰れ。

間に合え。

頼むから。

この構造が、後半へ向けてものすごく効いてきます。

この映画は「忍耐」を描くだけではない。観客にまで忍耐させる
私はここが、映画として一番うまいと思いました。

オデュッセウスは、帰るために耐える。

ペネロペは、待つために耐える。

テレマコスは、父を信じるために耐える。

そして。

観客も耐える。

172分。

ようやく進んだと思えば、また遠ざかる。

やっと故郷が見えたと思えば、まだ終わらない。

普通なら、

長い。

早く進め。

となりそうです。

でも、この映画ではその「待たされている時間」まで、作品の意味になっている。

しかも贅沢なんです。

海。

船。

島。

炎。

空。

光。

影。

人間の顔。

ひとつのエピソードが終わるたびに、また巨大な絵画の中へ入れられる。

つまりノーランは、

「20年待つ」という物語を説明するのではなく、

観客自身へ、

待つという感覚を少しだけ体験させる。

忍耐を描きながら、その忍耐そのものを映画の快楽へ変えてしまう。

172分あることが、単なる長尺ではなく、演出になっています。

恐ろしい監督です。

信じるとは、揺れないことではない
ここまで観て、ようやく気づきました。

オデュッセウス。

ペネロペ。

テレマコス。

三人とも、ずっと強いわけではありません。

迷う。

疑う。

弱くなる。

それでも、何か一つを完全には手放さない。

私は「信念」という言葉について、この映画を観ながら考えました。

信じるというのは、最初から正しいと分かっていることではない。

むしろ、

分からないから、信じる。

帰れることが確定しているなら、信念はいらない。

夫が生きているという証拠が毎日届くなら、20年待つ意味も変わる。

父が帰る日付が分かっているなら、息子の苦しみも違う。

分からない。

保証もない。

だから揺れる。

それでも、最後の一本を手放さない。

信念の強い人とは、一度も迷わない人ではない。

迷ったあとに、

何を最後まで捨てなかったか。

私は、この映画からそんなふうに受け取りました。

ここから結末に触れます
まだ観ていない方は、ぜひ鑑賞後に戻ってきてください。

ノーランが一番大胆に変えたのは、オデュッセウスを「罪のない英雄」にしなかったこと
ここから、私はこの映画が一段深くなったと思います。

ノーラン版には、シノンという男が出てきます。

演じるのはエリオット・ペイジ。

そして、このシノンとアンティノオスの関係は、ノーランが映画のために大胆に作り替えた部分です。

戦争へ行く者を決めるくじで、富裕層の息子アンティノオスが選ばれる。

しかし実際に戦争へ行くのは、彼の代わりを引き受けたシノン。

オデュッセウスは、その入れ替わりを知っている。

そしてトロイアでは、さらにシノンを「木馬」の計略へ使う。

シノンは、作戦のすべてを知らないまま、戦争を終わらせるための駒になる。

ここが痛い。

トロイアの木馬は、伝説の名策です。

歴史に名を残す知恵。

戦争を終わらせた英雄オデュッセウスの象徴。

でもノーランは、その「名策」の足元へ、一人の人間を置いた。

シノンです。

戦争を終わらせた。

でも、一人の人間を使った。

勝利した。

でも、その勝利の中に、自分がついた嘘と犠牲がある。

冥府でシノンと再会する場面が重いのは、そのためです。

私はここで、オデュッセウスとアンティノオスが、ほんの一瞬、鏡のように見えました。

もちろん二人は同じではありません。

一人は戦場へ行った王。

一人は戦場へ行く責任から逃れた男。

けれど二人とも、立場の弱いシノンの人生を、自分たちの都合の中へ組み込んだ。

その事実だけは消えない。

だから、オデュッセウスは単純な「正義の英雄」として故郷へ帰れない。

戦争を終わらせた人間であると同時に、その戦争で誰かを駒にした人間として帰る。

ここで私は、前作『オッペンハイマー』まで思い出しました。

もちろん、原子爆弾とトロイアの木馬を同じものとして語るつもりはありません。

でも映画の構造には、どこか響き合うものがある。

圧倒的な知性によって、戦争を終わらせるための「答え」を生み出した男。

その答えが多くの命を奪い、文明そのものへ傷を残し、その後も本人から離れない。

勝った。

終わった。

だから全部終わり。

ノーランは、そんなふうには描かない。

戦争が終わったあとから始まるものがある。

オデュッセウスにとって、本当のオデュッセイアは、そこだったのかもしれません。

故郷に着いた。それでも、まだ「帰れない」
ようやくオデュッセウスはイタケへ戻ります。

長かった。

本当に長かった。

私は心の中で、

帰ってきた。

と思いました。

でも、まだ帰れない。

彼は王として宮殿へ入らない。

物乞いの姿へ身を落とし、自分がオデュッセウスであることを隠す。

これが、ものすごく面白い。

かつてトロイアの城壁を、木馬という「内部へ入り込む仕掛け」で破った男が、今度は自分自身の家へ、別人の姿で潜り込む。

しかも自分の宮殿は、すでに内側から食い荒らされている。

求婚者たちが食べる。

飲む。

財産を使う。

妻を奪おうとする。

息子を殺そうとする。

トロイアでは、オデュッセウスたちが敵の街の内部へ入った。

今度は、自分の家の内部に敵がいる。

この反転がうまい。

そして物乞いになったことで、王としては見えなかったものまで見える。

自分が弱い立場になった時、

誰が人として扱ってくれるのか。

誰が見下すのか。

誰がまだ、この家の「秩序」を守っているのか。

ただの変装ではない。

20年ぶりに帰った男が、自分の国が何になってしまったのかを確かめる時間でもある。

ここまで来ても、まだ妻に名乗らない。

まだ息子に全部を渡さない。

早く言えよ。

父だ、と。

私は本当にそう思っていました(笑)。

でも今は分かります。

20年かけて帰ってきた男を、最後だけ簡単に帰らせない。

それでよかった。

あの爆発は、「強いから」震えるのではない
そしてクライマックス。

ここで、それまで映画が溜め続けてきた時間が一気に解放されます。

息子が危ない。

妻が追い詰められる。

王国まで奪われようとしている。

そして、オデュッセウスが立つ。

ここからのマット・デイモンは、凄まじい。

戦争。

海。

死んだ仲間。

罪悪感。

怒り。

帰れなかった時間。

待たせてしまった時間。

その全部を身体へ入れて戦っているように見える。

でも。

私が震えたのは、

オデュッセウスが強かったからではありません。

帰ってきたからです。

ここまで観てきたから。

あの海を知っているから。

何人失ったか知っているから。

何度諦めかけたか知っているから。

ペネロペが何年待ったか知っているから。

テレマコスが父のいない人生をどれだけ生きたか知っているから。

一発の攻撃に、

20年が乗る。

だから、ただのアクションでは終わらない。

ノーランは約3時間かけて、アクションへ「時間」を溜めていたんです。

私はここで、完全に持っていかれました。

「還る」とは、失った時間を取り戻すことではない
そして再会。

私は、ここで初めて泣きました。

それまでの私は、

凄い。

圧倒的。

怖い。

美しい。

と、身体を揺さぶられていました。

でも涙は出なかった。

最後に来ました。

帰ってきた男。

待っていた妻。

父を知らずに育った息子。

その間にあるのは、20年です。

「ただいま」と言えば、20年が消えるわけではありません。

死んだ人は戻らない。

失った仲間も戻らない。

息子が幼かった時間も戻らない。

夫婦が離れて生きた20年間も、なかったことにはならない。

ここが大切だと思うんです。

この映画は、帰還を「元通りになること」にはしなかった。

20年後の人間が、

20年前の場所へ戻って、

全部をやり直すことなんてできない。

そんな奇跡は起こらない。

それでも。

傷ついた今の自分で。

失ったものを抱えたまま。

大切な人の前へ、もう一度立つことはできる。

そして、

そこからまた生き始めることはできる。

私はここで、初めて、

「生きて還る。」

という言葉の本当の重さが分かった気がしました。

「還る」とは、昔の自分へ戻ることではない。

もう昔には戻れない自分が、それでも大切な場所へもう一度立つこと。

そう思った瞬間、静かに涙が出ました。

2800年前の物語が残り、文明の方が消えた
そして、もう一つ。

この映画を観たあとで、どうしても考えてしまうことがあります。

『オデュッセイア』の背後には、青銅器時代の文明が崩れていった記憶があります。

ノーラン自身も、トロイア戦争の時代とホメロスの時代とのあいだに起きた文明の崩壊へ強い関心を持ったと語っています。

かつて栄えた文明。

巨大な城壁。

交易。

王国。

文字。

それらが壊れ、失われていく。

それでも物語は消えなかった。

長い口承の中で、人から人へ渡された。

誰かが歌った。

誰かが覚えた。

また次の誰かへ渡した。

文明は壊れる。

王国はなくなる。

街は焼ける。

英雄も死ぬ。

でも、

「人は何を恐れたのか」

「誰を待ったのか」

「何を悔いたのか」

「それでも、どこへ帰ろうとしたのか」

という物語は残る。

2026年。

ノーランは、その2800年前の物語を、映画史の最先端にあるIMAXフィルムで撮った。

これほど新しい技術を使って、撮っているものは最古級の物語です。

この組み合わせが、たまらなく面白い。

しかも約3時間の果てに残るのは、技術自慢ではありません。

IMAXでもない。

巨大セットでもない。

怪物でもない。

人間です。

人間は、迷う。

間違える。

疑う。

傷つける。

後悔する。

逃げたくなる。

それでも、

誰かを大切にしたい。

帰りたい場所がある。

だから2800年、残ったのだと思います。

最後に。「生きて還る。」
映画館を出たあとも、海が自分の中に残っていました。

荒れ狂う波。

燃えるトロイア。

キュクロプス。

死者の国。

マット・デイモンの疲れ切った顔。

トム・ホランドの、父を信じたい目。

アン・ハサウェイの、声を張らなくても折れない強さ。

でも最後に一番残ったものは、派手な映像ではありませんでした。

最後の最後まで、大切なものを完全には手放さなかった人間たちです。

オデュッセウスは迷った。

ペネロペは苦しんだ。

テレマコスは疑った。

誰一人、ずっと強かったわけではない。

だからこそ、私は好きなんです。

信念とは、

揺れないことではない。

迷わないことでもない。

傷つかないことでもない。

全部揺らいだあとに、それでも何を手放さなかったか。

オデュッセウスから、

王という肩書きが消えても。

英雄という誇りが剥がれても。

船がなくなっても。

仲間を失っても。

最後に残ったもの。

帰る。

たった、それだけでした。

映画を観る前、

「生きて還る。」

という言葉は、ずいぶんシンプルに見えました。

でも今は、まったく違います。

あれだけ巨大な海を見たから、人間の小ささが分かった。

そして、人間がどれほど小さいか分かったからこそ。

その小さな人間が、20年も一つの場所を手放さなかったことが、とてつもなく大きく見えた。

私はこの映画を、身体で観ました。

物語として受け取りました。

そして最後には、魂を揺さぶられました。

172分。

長いです。

でも、この長さでなければ駄目だった。

あれだけ待ったから。

あれだけ遠回りしたから。

あれだけ失ったから。

「帰った」という事実だけで、あれほど胸が震える。

クリストファー・ノーランが、2800年前の英雄叙事詩を、映画史上最大級のスケールで現代へ連れてきて、最後に見せたもの。

それは、

怪物を倒す英雄の強さではありませんでした。

傷つき。

間違え。

自分の過去からも逃げ切れず。

それでも、もう一度、大切な人のいる場所へ帰ろうとする。

そんな、人間の強さでした。

『オデュッセイア』。

傑作です。

映画館へ入る前とは、もうまったく違う重さで。

私は、この言葉をしばらく忘れないと思います。

「生きて還る。」

天豆(てんまめ)
https://note.com/tenmame0720
ぶみ
3.5
すべての物語の原点を、人類未到の映像で体験せよ!

古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』を、クリストファー・ノーラン監督、脚本、マット・デイモン主演により映像化したファンタジー・アドベンチャー。
古代ギリシアのイタケの王・オデュッセウスが、故郷へ帰る旅路を描く。
原作となる叙事詩については知識ゼロの状態、かつ先行上映となるIMAXレーザーで鑑賞。

主人公となるイタケ島の王・オデュッセウスをデイモン、妻で王妃のペネロペをアン・ハサウェイ、息子のテレマコスをトム・ホランドが演じているほか、ロバート・パティンソン、ジョン・レグイザモ、ジョーン・バーンサル、ルピタ・ニョンゴ、エリオット・ペイジ、サマンサ・モートン、シャーリーズ・セロン、ミア・ゴス、ゼンデイヤ、ヒメーシュ・パテル、ベニー・サフディ等が登場。

物語は、一見魔法のような時代である旨が表示された後、何やら宴会が催されている会場で、手にしている杖のような棒を床に突きながら一人の兵士が喋るシーンでスタートするのだが、その音がクリアかつ腹に響くような低音であり、ここだけで本作品が只者ではないことを感じることに。

次には、場面が一転、海岸沿いの砂丘に馬の形をした巨大な物体(鑑賞後に調べたところ、トロイの木馬)の下で、白い騎兵隊に襲撃される兵士が映し出されたので、神話に詳しくない私には何が何やら。

その後、物語が進行していくと、20年間消息を絶っているオデュッセウスと、彼の帰還を待ち侘びる妻や息子が軸になることがわかり、以降、オデュッセウスを探しにいく息子のテレコマスや、オデュッセウスに何が起きたかを中心として展開、ノーラン監督が得意とする頻繁な時系列の入れ替えは影を潜め、主には、テレコマスの今、オデュッセウスの回想と現在といった三つの時間軸が平行して描かれていくこととなる。

何より、実写映像に拘る監督が、映画史上初となる全編IMAXで撮影し、足元から天井にまで広がる大スクリーンに映し出される映像は、隅から隅まで完璧であり、圧巻の一言。

そして、それ以上に凄さを感じたのは音響で、冒頭の床の音はもとより、風が吹き荒び、波が船にあたり、戦闘シーンで人が倒れた際等に響き渡る音が凄まじく、シートにウーファーが仕込まれているのでは、と思わせるほどの震えがあるので、思わず、体感型のシートか、と勘違いしたほど。

反面、ギリシア文学に全くもって疎い私は、人物名が覚えにくくて、時折物語を見失ったり、謎の怪物が登場した際には、こんなの無理ゲーやんと思ったり、はたまた「どこかへ到着→何かに襲われる→逃げる」の繰り返しで飽きが来てしまったり、そもそも兵士の格好がコスプレに見えてしまったりとしたため、やはりこの手の時代設定や、ファンタジー寄りのお話は苦手だなと痛感した次第。

乗り物好きの視点からすると、前述のトロイの木馬を移動させる際、丸太を並べてコロとして使っていたのは車輪の原点ともいえるもので、興味深かったポイント。

音響も含めた映像表現は、世界トップレベルどころか、一つ頭を抜けており、監督の意図どおり、IMAXのスクリーンで観なければ、その価値は半減するものの、嵐の中、船で突き進むシーンでは、その臨場感が故に船酔いしそうになってしまったとともに、先日観たクリストファー・ボルグリ監督『ドラマなふたり』と同様、ここでもパティンソンがパティンソンしてたのは彼の正しい使い方だった反面、レグイザモがいつ出るのだろうと思っていたらとっくに出ていたのにはビックリしたのに加え、前述のように神話やファンタジーが苦手な私には、面白かったかと言われると微妙なところで、大作であることには間違いないが、私にとっては傑作とはならず、物語そのものは3点だったので、そこにIMAX加算を0.5として3.5点としたい一作。

北へ向かい、たそがれの中へ。

※入場特典:IMAX入場者特典A3ポスター

『オデュッセイア』に似ている作品

関連記事

【各種グッズプレゼント】『オデュッセイア』オリジナルグッズをプレゼント!
【発表】初日満足度ランキング!1位は映画『オアシス:ドント・ルック・バック・イン・アンガー』
【発表】映画『オデュッセイア』9月公開の映画期待度ランキング1位獲得