
『陸軍前橋飛行場~私たちの村も戦場だった』は、「陸軍前橋飛行場と戦時下に生きた青少年の体験記」(鈴木越夫著)をもとに、戦時中に住谷 修さんが克明に記録した「村日記」を清書して今に伝える息子の住谷佳禹さんを始め、当時を知る人々の証言を丹念に収録し、国内外の当時の映像を駆使した貴重な記録である。監督の飯塚俊男は、知られざる地元の歴史を後世に伝えようと本作の製作を決意。飯塚の意図に賛同して、ベテランカメラマンの重枝昭典、構成編集は腕利きの鍋島惇と、一流の技術陣が脇を固めて完成に漕ぎつけた。 戦争終結から70年以上。戦争体験そのものが風化していきそうな今こそ、当時を生きた方々の証言や記録を子どもたちに語り継ぎ、二度と同じ道を歩むことのないように願って製作された力作である。
太平洋戦争中、約19万人もの日本の将兵がビルマ戦線で命を失った。その生存者の中にはタイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に帰らなかった6人の日本兵がいた。2005年から3年にわたる彼ら…
>>続きを読む沖縄戦末期、本土より派遣された2人の内務官僚がいた。戦中最後の沖縄県知事として沖縄に赴任した島田叡(あきら)と、警察部長の荒井退造。多くの住民の犠牲を目の当たりにした島田は「県民の命を守る…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む昭和20年3月。窮地に立たされた日本軍は、勤労奉仕と称して沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の若い女性たちを戦争の最前線へ送る。日本軍のため、必死に働くひめゆり部隊。しかし、米軍の…
>>続きを読むなぜ、対馬丸は狙われ、そして見捨てられたのか―。 一夜で784人の子どもたちが命を落とした、戦時下史上最大の学童死亡事件「対馬丸事件」。当時、この悲劇は箝口令により徹底的に秘匿とされ、その…
>>続きを読む<ドキュメンタリーパート> 今もご健在で、取材が可能な白梅学徒はもう数人だけ。90代の中山きくさんと、武村豊さん。そして関係者たちが当時の状況を詳しく語る。ウクライナ×ロシアの戦闘が報じら…
>>続きを読む今までマスコミなどで被爆体験を話したことがない被爆者の方々の新たな証言※1をドキュメンタリー映画化。今までも多くのアーカイブが残され、もう語ることができる体験者はいないだろうと言われて久し…
>>続きを読む写真提供:アムール