
豊臣家最期に直面する淀の方と息子秀頼の強い絆 大坂夏の陣、大阪城は徳川家康に攻められ落城寸前であった。大阪方の大将・秀頼の母・淀の方は、秀頼に嫁いだ家康の孫・千姫が城から連れ出されようとするところに出くわし毅然と阻止する。そんな中、いよいよ徳川方の軍勢が間近に迫り、城内は炎に包まれ乱戦となる。糒庫(ほしいぐら)へと避難した淀の方は、千姫が混乱に乗じて城から逃げ出したことを知り、怒りのあまり錯乱してしまう。 正気を失った母の姿を見た秀頼は、母を殺して自害しようとするが、豊臣家のために降伏するよう勧められ、涙ながらに開城を決意するのだった。
朝鮮第21代国王の英祖(ソン・ガンホ)は40才を過ぎてから生まれた息子・思悼(ユ・アイン)を、自分と同じく学問と礼法に秀でた世子(セジャ)(=王位継承者)に育てあげようとする。だが父の望み…
>>続きを読む天正十五年。豊臣秀吉の茶頭千利休(二代目中村鴈治郎)の娘、吟(有馬稲子)は、六年間一筋に慕い続けてきたキリシタン大名高山右近(仲代達矢)をむかえて喜びにもえた。しかし、妻のある右近はキリシ…
>>続きを読む西暦1600年10月21日。長く混迷を極めた戦国時代に終止符を打ち、その後の日本の支配者を決定づけた、戦国史上最大の天下分け目の決戦“関ヶ原の戦い”。その決着に要した時間はたったの6時間だ…
>>続きを読む徳川家が最盛期を迎えた元禄時代、将軍・綱吉の娘が亡くなり、大奥では後継者を巡って正室と側室の派閥争いが勃発。そんな折に大奥に入った右衛門佐が類まれな野心と才覚で総取締に上り詰める中、世継ぎ…
>>続きを読む戦国時代を生き抜いてきた猛将・一文字秀虎は70歳を迎え、3人の息子に家督を譲る決心をする。長男には家督と一の城、次男には二の城、三男には三の城を譲るので、兄弟3人は協力し合うようにと告げる…
>>続きを読む写真:岡本隆史