“カウラ事件”はなぜ起きたのか。 「クワイ河に虹をかけた男」で旧日本軍の贖罪と和解に生涯をささげた永瀬隆を20年にわたって取材し続けた満田康弘監督のライフワークともいうべき題材を取り上げた渾身の第2作。 太平洋戦争中の1944年8月、オーストラリア東部の田舎町カウラにあった第十二捕虜収容所で近代戦史上最大1104人に及ぶ集団捕虜脱走事件が起こった。正確に言えばそれは脱走ではなく、「死ぬため」だった。“このまま生きて祖国には帰れない――”当時の日本軍人、そして民間人の精神をも支配していた「戦陣訓」に象徴される「捕虜を恥」とする教義がその背景にはあった。一方、収容所で手厚い保護を受けた生活を送るうち、捕虜たちの間には生への執着が確実に芽生えていた。“生きたい、生きて帰りたい”事件の生存者は当時の正直な心情を吐露する。だが、捕虜たちの生きることへの願いは「貴様らそれでも帝国軍人か!」のひと言でかき消されてしまった。 同じ状況に置かれたとき、私たちは大きな声に、まわりの圧力にあらがうことができるだろうか?生存者たちに今なお残る悔恨、その思いを受け止めようとする若者や演劇人、事件を教訓に和解への道を歩んできたカウラの人々―。“カウラ事件”の深層がコロナの時代を生きる私たちに問いかけるものは何か。知られざる戦争の歴史をひも解くドキュメンタリー。
すでに日本の敗色濃厚だった1945年1月31日、一人の男が沖縄の地を踏んだ。戦中最後の沖縄県知事となった島田叡(しまだ・あきら)である。 沖縄戦を生き延びた住民とその遺族への取材を通じ、こ…
>>続きを読む日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む<ドキュメンタリーパート> 今もご健在で、取材が可能な白梅学徒はもう数人だけ。90代の中山きくさんと、武村豊さん。そして関係者たちが当時の状況を詳しく語る。ウクライナ×ロシアの戦闘が報じら…
>>続きを読む日中戦争下、ソ連と満州の国境近くに勤労動員として送られた新京第一中学校の生徒たち。昭和20 年8 月、ソ 連軍の爆撃が降り注ぐ中、ソ満国境に取り残され、過酷を極める必死の逃避行が始まった…
>>続きを読む2021年3月、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(33)が名古屋入管で死亡した。彼女の死は長年ベールに包まれてきた入管の闇を明らかにするとともに、公権力による外国人差別の歴史を象…
>>続きを読む米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。北部で展開されたゲリラ戦やスパイ戦などに動員されたのは、まだ10代半…
>>続きを読む今までマスコミなどで被爆体験を話したことがない被爆者の方々の新たな証言※1をドキュメンタリー映画化。今までも多くのアーカイブが残され、もう語ることができる体験者はいないだろうと言われて久し…
>>続きを読む©瀬戸内海放送