1969~1979年。ドイツでヴィム・ヴェンダースやライナー・ヴェルナー・ファスビンダーらニュー・ジャーマン・シネマの監督たちが傑作を次々に発表。イタリアのピエル・パオロ・パゾリーニやベルナルド・ベルトルッチはファシズムや自己同一性を扱った。そして、日本で強烈な記録映画を撮った原一男がその撮影時の様子を語る。
1910年代末~1920年代、ハリウッドは世界を魅了する工場へと成長。“喜劇映画の三大巨匠”バスター・キートン、チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドが活躍し、多くのスターが誕生する。…
>>続きを読むサブカルチャーの先駆者であり劇作家の寺山修司が構成を担当し、街ゆく人々に「日の丸の赤は何を意味していますか?」「あなたに外国人の友達はいますか?」「もし戦争になったらその人と戦えますか?」…
>>続きを読む1970年代以降、香港のブルース・リーが世界に衝撃を与え、インドでは『炎』が大ヒット。武術師ユエン・ウーピンが香港アクションについて、アミターブ・バッチャンが当時のボリウッドについて語る。…
>>続きを読むテレビやビデオの台頭などにより、もはや映画芸術は滅びゆくのではないか。そんな疑問を抱いたニュージャーマンシネマの旗手、ヴィム・ヴェンダースは、カンヌのホテルの一室にカメラを設置。この部屋で…
>>続きを読むショーマンとして大成功を収めたバッファロー・ビルには悩みがある。それは、彼を売り出したと吹聴する作家・ネッドと、スター性はあるが無理難題を突きつけてくるスー族の酋長・ブルの存在。そして大統…
>>続きを読む1953~1957年。ジェームズ・ディーンが“若者の反抗”のイメージを決定づけ、エジプトやインド、中国、ブラジル、メキシコ、イギリスといった国々からも、いら立ちを抱える若者たちの感情の爆発…
>>続きを読む1965~1969年。映画製作が世界中で活気づき、ポーランドのアンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキー、日本の大島渚や今村昌平、ソ連のアンドレイ・タルコフスキー、さらにインドやブラジル、イ…
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