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『インフェルノ』に投稿された感想・評価

kuu
3.5
『インフェルノ』
原題 Inferno
製作年 1980年。上映時間107分。
“3人の母”という謎に満ちた本を読んだ人が次々に殺されるという事件を発端に、その秘密に捲き込まれた人々の恐怖を描く。
製作はクラウディオ・アルジェント、監督・脚本は『サスペリア2』のダリオ・アルジェント、撮影はロマノ・アルバニ、音楽はキース・エマーソン、編集はフランコ・フラティチェリ、美術はジュゼッペ・バッサン、衣裳はマッシモ・レンティーニ、特殊効果はマリオ・バーバとピノ・レオニが各々担当。
出演ハレイ・マクロスキー、アイリーン・ミラクル、サッシャ・ピトエフ、ダリア・ニコローディ、エレオノラ・ジョルジ、ベロニカ・ラザール、アリダ・ヴァリ、フィオドル・シャリアピンなど。

ニューヨークに住むローズは、近所の骨董屋で『三母神』(THE THREE MOTHERS、三人の母)という本を見つける。そこに綴られていた建物に関する記述が、彼女が今暮らしているアパートのことであることがわかり、大いに興味を抱くようになる。
『三母神』の著者はバレリ。
幾世紀前の建築家らしいその彼は3人の魔女のために家を建てたという。
場所はフライブルク、ローマ、そしてニューヨーク。ローズはまさにその魔女『暗黒の母(マーテル・テネブラルム)』のために建てられた館に住んでいたのだ。
彼女は、弟マークにそのことを知らせる手紙を投函した後、好奇心から自宅の地下室を調べ始めるが、そこには死体が。。。

今作品は、夢のような重厚な雰囲気、印象的な撮影と照明、巧みなセットデザインと視覚効果、そして、いくつかの死亡シーンは非常によくできている。
また、水中の舞踏会のシーンのような他のシークエンスも非常に印象的です。
カラーパレットは相変わらず比較的鮮やかで、セットデザインや音楽とともにムード作りに貢献してた。
『サスペリア』のように舞台を単色で表現するのではなく(廊下は赤、屋根裏部屋は青、魔女のエリアは黄色)、今回は赤と青が混ざっている。
ムードもより繊細で(まあ、大げさなフィナーレまではそうなのだが)、鮮やかな色彩とゴブリンの爆音サウンドトラックが印象的な『サスペリア』よりは、落ち着いた美学を感じさせてくれます。
音楽について書くなら、今回はロックのキーボーディスト、キース・エマーソンが担当している。彼の曲のほとんどは良く、特にメインテーマ、より落ち着いた演奏、そしてラスト近くのロック演奏は良かった。
彼の音楽はゴブリンのものより繊細で、ほとんどピアノを使用している。
しかし、これは裏目に出ることもあり、より緊張感のあるスコアが要求されるシーンでは、彼はまだピアノを使い、微妙とは云えない結果になっていたのは残念かな。
ストーリーは残念ながら、『サスペリア』よりは複雑だが、特別なものではない。
最終的に殺されてしまう多くの登場人物を追いかけ、最終的に最も弱いキャラであるマークと一緒にいる。 
最後には半端なくまともな対決があるけど、映画は急ぎ足で終わり、唐突に終わる。
また、ラストのオチがもっとうまく演出されていれば、個人的なことだけどもっと評価できたと思う。
また、他の主役の誰かが生き残っていれば、もっと筋が通ったものになったんじゃないかな。
今回は死のシーンにも重点が置かれてて、合計7~8人の登場人物が死んでおり、これは『サスペリア』の倍以上の量。
(パットの大家を入れると4人)。
演出は悪くないんやけど、それでも必要以上にプロットを邪魔しているし、針が過剰に見えることもある。
特に主役の演技は、ところどころインチキくさい。
また、いくつかのエフェクトは、数少ないとはいえ、あまり古びていない。
完璧な映画ではないし、本当に価値のある続編でもないけれど、私はこの映画が必要以上に評価されていないと思う。
今観ても平均以上の作品やとは思うし十分に楽しめた。
Funazo
3.0
猫やネズミに襲われて、刃物で刺されて殺されたりと大量に普通じゃない死に方を見せてくれるのはよかったが、内容がカルトじみていて、よくわからない場面が多くて、ストーリーよりかは視覚で楽しむような作品だった。
ニューヨークの古いアパートに暮らす詩人ローズが、骨董店で手に入れた一冊の古書から、自身の住む建物に潜む異様な秘密へと近づいていく。物語はそのような不穏な幕開けを迎えます。本に記された「三人の邪悪な母」の存在を知ったローズは、自分の周囲の空間がただの住居ではないことに気づき始めます。

『サスペリア』に続く「魔女三部作」の第2作として位置づけられる本作ですが、前作のような鮮烈で分かりやすい恐怖をそのまま反復してはいません。むしろ物語の輪郭はより曖昧で、展開も断片的です。謎が論理的に解明されるというよりは、不吉な出来事や奇妙な空間が次々と提示され、観る者を少しずつ悪夢の底へと沈めていくような構成を持っています。

そのため、筋立ての明快さを求めて鑑賞すると、かなり歪な作品に映るかもしれません。人物の行動原理や事件の繋がりは不透明で、唐突に感じられる場面も多々あります。しかし、その物語の欠落を埋めて余りあるのが、圧倒的な映像の強度です。赤、青、紫、マゼンタの極彩色に彩られた画面、現実離れしたアパートの内装、そして地下へ深く沈み込んでいくような独特の空間感覚は、物語そのもの以上に強烈な印象を残します。

なかでも序盤の「水没した地下室」は、本作の魅力を象徴する名場面です。普通のアパートの床下に、なぜか水に沈んだ豪奢な部屋が存在する。その理屈の通らなさが、かえって抗いがたい求心力を生んでいます。言葉で説明される恐怖ではなく、「見てはいけないものを見てしまった」という感覚が網膜に焼き付くような恐ろしさ。本作には、そうした純粋なイメージの力が宿っています。

キース・エマーソンが手掛けた音楽も、特異な世界観を際立たせています。『サスペリア』におけるゴブリンの呪術的で攻撃的なサウンドとは打って変わり、本作にはクラシックの荘厳さとプログレッシブ・ロックの不穏さが絶妙に同居しています。これにより、単なる猟奇ホラーの枠を超えた、どこか儀式めいた格調高さが作品全体に付与されています。

もちろん、万人向けの映画とは言えません。難解な物語や希薄な人物描写、あるいは動物を用いた一部の残酷な描写など、鑑賞時に引っかかりを覚える要素は確かに存在します。それでもなお、本作にはそうした弱点を超越して記憶に刻まれる映像体験があります。整然とした物語を消費するのではなく、闇を裂く青い光、迷宮のような水底の部屋、そして空間を侵食していく鮮烈な色彩の奔流に、ただ身を委ねる映画なのです。

『サスペリア』ほど直線的で強烈な体験ではないかもしれませんが、本作にはより奇妙で、深く沈み込むような美しさがあります。怖い物語を語る映画というより、「怖い建物の中で悪夢を見る映画」。その悪夢に没入できるかどうかで、評価が大きく分かれる傑作だと言えるでしょう。



※以下、ネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。




































本作の中心にあるのは、「魔女が住む館」という設定でありながら、実際には「館そのものが魔女の身体のように機能している」という特異な構造です。終盤に登場する建築家ヴァレッリは、三人の母のためにそれぞれの館を設計した人物として語られ、その建物は彼女たちの目や耳となり、同時に彼自身の身体とも一体化していることが示唆されます。この設定により、本作の恐怖の対象は特定の怪物や殺人鬼から、「建築物そのもの」へと移行していきます。

つまり、本作におけるアパートは単なる舞台装置ではありません。廊下は登場人物を奥へ奥へと誘い込む罠であり、地下室は建物の下に隠された無意識の領域として機能します。窓や壁、階段や扉も人間の移動を助けるものではなく、むしろ人間を閉じ込め、迷わせ、死へと引きずり込む器官のようです。ローズやマークたちは自らの意志で空間を調査しているつもりでも、実際には建物の内側へと静かに取り込まれているのです。

この構造が最も鮮明に表れているのが、やはり序盤の水没した地下室の場面です。ローズが鍵を探して水中へ潜ると、そこには近代的な生活空間の下に隠された、古い神話や死の気配を帯びた異界が広がっています。物語上の理屈で考えれば不自然極まりない空間ですが、重要なのは「日常の床下にまったく別の世界が沈んでいた」という感覚そのものです。ローズがそこへ降りていく行為は、単なる探索を超えた、建物の無意識へのダイブのようにも見えます。そして、彼女がその深淵を覗き込んでしまった瞬間、建物はもはや彼女を逃がさなくなります。

本作で描かれる死は、一般的なミステリーやスリラーのように、明確な動機や犯人の計画に基づいてはいません。サラもローズもエリスも、物語上の役割を十分に果たす前に、唐突に死の連鎖へと吸い込まれていきます。この唐突さは脚本の粗として批判されがちであり、その指摘自体は妥当でしょう。しかし一方で、この不自然さこそが悪夢の質感と直結しているのも事実です。夢の中では、誰がなぜ襲ってくるのか分からないまま、ただ危険だけが理不尽に迫ってきます。本作の殺戮シーンも、まさにそのような夢特有の理不尽さをまとっています。

その意味で、本作は謎を解き明かす映画ではなく、「謎そのものの中に閉じ込められる映画」です。ローズが本を読み、マークが手紙を受け取り、ヴァレッリの正体へと近づいていく展開はありますが、それによって世界が明快に説明されることはありません。むしろ「知ろうとすること」自体がトリガーとなり、三人の母の秘密に触れた者たちは次々と消し去られます。ここでは知識は救済ではなく、死へ至る直通の扉なのです。

また、本作には「水(水没した地下室)」「風(室内に吹き込む不自然な突風)」「火(ラストの炎上)」といった自然のエレメントが強く刻まれています。これらは単なる演出の枠を超え、魔女的な力が物理現象として顕現したもののように見えます。人間の言葉や理屈では捉えきれない超常の力が、自然現象の形を借りて噴出しているのです。特に終盤の火災は、事件の解決というより、建物そのものが内側から崩壊していく一種の浄化の儀式のように映ります。

これらの要素が、『サスペリア』との決定的な違いを生み出しています。『サスペリア』が、異端のバレエ学校を舞台に魔女の存在へと肉薄していく比較的まっすぐな「童話的恐怖」を持っていたのに対し、本作はより散文的で断片的です。ローマとニューヨークの距離感は曖昧に溶け合い、登場人物たちは物語を牽引する存在というより、巨大な悪夢を構成する一つの断片として配置されています。本作が『サスペリア』を単になぞることを拒み、「魔女の身体となった建物」という都市的かつ建築的な悪夢へと世界観を拡張したことには、非常に大きな意味があると考えます。

もちろん、終盤の展開に物足りなさが残るのも事実です。マーテル・テネブラルム(暗闇の母)の視覚効果は現在の目で見るとややチープに映りかねませんし、ヴァレッリの口から語られる説明もいささか唐突です。曖昧さと不穏さで牽引してきた物語が、最後に説明的な台詞に頼ってしまう点で興ざめしてしまう人がいるのも理解できます。さらに、猫やネズミをめぐる描写は、悪夢性を強める効果がある一方で、単なる不快なショック表現として受け取られる側面も強く、作品の美学とは切り離して批判の対象となり得る部分です。

しかし、そうした物語上の破綻や弱点を加味しても、本作には他では得がたい独自の魔力があります。アルジェント監督はここで、整然とした脚本や感情移入のしやすさよりも、「画面そのものの強度」を最優先に選び取りました。

出来事が明確な因果関係で整理されていないからこそ、観る側は夢の中を彷徨うような不安定な状態に置かれます。本作は、観る側に世界の仕組みを理解させるのではなく、理解の及ばない空間の中で意図的に迷わせる映画です。物語の整合性よりも、青い光の廊下、赤く染まる室内、水の底に沈んだ部屋、そして燃え上がる館といったイメージ群が、理屈よりも先に感覚へと直接訴えかけてきます。完成された物語としてではなく、建物そのものが見ている悪夢の記録として捉えたとき、本作ならではの恐ろしさと美しさが、より一層鮮明に浮かび上がってくるはずです。

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