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ヒンド・ラジャブの声の作品紹介

ヒンド・ラジャブの声のあらすじ

2024年1月29日。人道支援組織「赤新月社」のボランティアスタッフたちは1本の緊急電話を受ける。パレスチナ・ガザ地区から、6歳の少女が助けを求めていた。少女の名前はヒンド・ラジャブ。赤新月社のボランティアチームは電話をつないだまま、救出するためにあらゆる手段を尽くすが、彼女を救出したいという思いとは裏腹に状況は刻一刻と悪化し、次第にいらだちや激しい動揺に襲われていく……。

ヒンド・ラジャブの声の監督

カウテール・ベン・ハニア

原題
Sawt al-Hind Rajab/The Voice of Hind Rajab
公式サイト
https://hindrajabjp.com/
製作年
2025年
製作国・地域
チュニジアフランス
上映時間
89分
ジャンル
ドラマ
配給会社
スターキャットアルバトロス・フィルム

『ヒンド・ラジャブの声』に投稿された感想・評価

3.7
タイトルのまんまではある。

パレスチナの緊急コールセンターへ、6歳の少女ヒンド・ラジャブからの助けを求める電話。
場所はガザ地区の制限区域内の車の中。進撃のイスラエル軍から避難する途上。周りからは銃声。途切れがちな音声。6歳ゆえの要領を得ない返答。

「必ず救い出す」
ここから使命感に駆られた大人たちの連携プレーと決死の覚悟で、戦地で孤立した少女を救う奇跡と感動の物語!



なんてヒロイックで勇ましい物語を観たいならやめといた方がいいかも、、、

少女の声は実際にコールセンターにかかって来た音声を使用。要するに実話。
演技うまい、とかそんなレベルじゃない生々しさに胸が苦しくなる。

現実世界にはイーサン・ホークもスパイダーマンも存在しない。
遅々として進まない救急隊派遣を待ちながら、電話で励まし続けるしかできないもどかしさも含めて徹底的にリアル。


アフタートークで中東ジャーナリストの川上泰徳さんの解説があり、だいぶ理解が補足されて助かる。

パレスチナの紛争が始まって2年10ヶ月。これまで7万人の死者のうち、2万人が子供だそう。
映画なんで「面白いか」とか「演出がー」とかいろいろあるけど、統計の数字じゃなく、そこにひとつひとつの名前と命があることを感性に訴えかける「映画」という表現手法の意義を感じさせる。

「イスラエルの人はパレスチナで何が起きてるかあまり知らない」っていうのがあまりにも切ない。この映画を観ることも当面ないんだろうけど、世界中にいるイスラエルの支援者さんたちは観れるはず。
と言っても見て見ぬふりするんだろうなー。

じゃあ自分は自国のことちゃんと分かってるのか、常に気をつけながら情報に接したいとも思う。


映画の収益の一部はパレスチナでの被害者遺族や支援団体の寄付金となるそうです。
また監督が来日して、8/18に登壇する上映会があるそうです。ご興味ある方はぜひ!
https://hindrajabjp.com/event.html
本作の構造は、緊急通報とそれを受けた者たちの反応だけで物語を駆動させる『GUILTY/ギルティ』を想起させる。舞台の大半を占めるのは、パレスチナ赤新月社の緊急通報センターだ。ガザで起きている事態を直接映し出すことはせず、電話越しに届く声と、それに耳を傾ける職員たちの表情のみによって、画面の外に広がる惨状を観客の想像へと委ねていく。

暴力を映さないことが、その残酷さを和らげることは決してない。むしろ視覚的な情報をあえて絞り込むことで、ヒンドの置かれた状況を観客自身に補わせ、その恐怖をより切実なものへと変えていく。

救急車であれば数分で到達できる距離に、少女はいる。だが、隊員の安全を確保するための許可や関係機関との調整が救出を阻み、職員たちは居場所を把握しながらも迎えに行けない。物理的には近いはずの距離が、戦争と手続きによって越えがたい深淵へと姿を変えていくのだ。そのもどかしさを、観客もまた彼らと同じ場所で耐え忍ぶほかない。

職員たちを演じた俳優陣の演技もまた圧倒的だ。彼らはリハーサルの段階ではヒンドの音声を聞かされず、撮影本番に至って初めて、イヤホン越しに彼女の肉声を受け取ったという。カウテール・ベン・ハニア監督もいたずらにテイクを重ねることをせず、手持ちカメラを用いて、ドキュメンタリーに肉薄する生々しさのままその反応を捉えている。

なかでも忘れがたいのは、女性職員ラナを演じたサジャ・キラニだ。ヒンドを安心させようと穏やかに語りかけながらも、その境遇に思いを巡らせるほど、こみ上げる感情を抑えきれなくなっていく。彼女の流す涙は、観客の情動を誘導するために用意されたものではなく、助けを求める声を聞きながら何ひとつできない人間の心が決壊した、その結果として画面に刻まれる。あまりに切実なその涙に、こちらの涙腺までもが否応なく引き寄せられてしまった。

本作を何よりも現実たらしめているのは、タイトルのとおり“ヒンド・ラジャブの声”にほかならない。ベン・ハニア監督は、パレスチナ赤新月社が保管していた通話記録を入手し、ヒンドの母親の同意を得たうえで映画化に踏み切った。子役にその声を再現させるのではなく、ヒンドが実際に発した言葉、呼吸、そして沈黙そのものを、作品の中心に据えたのである。

それゆえ本作においては、フィクションとドキュメンタリーの境界が曖昧になるというより、両者が見事な形で出会う。俳優たちの手で再構築された空間へヒンドの肉声が流れ込むたびに、目の前の劇映画は現実の記録によって内側から突き破られていく。音声データの波形や、実在する職員たちの声を挿入する演出も相まって、作品は繰り返し「これは作られた恐怖ではない」と観客へ突きつけてくる。

その試みを象徴するのが、終盤に配されたスマートフォンを用いた演出だ。具体的な内容には立ち入らないが、スマホの画面を介して、映画として再構築された時間と、現実に記録された時間とが、そっと接続される。スマートフォンが、ここでは忘却への抵抗となり、現実を証言する装置として機能してみせるのである。

「これは本当に起きた、起きていることなのだ。どうか知ってほしい」——。そうした切実な思いが、ヒンドの声のみならず、演出や俳優たちの反応、画面に刻まれた沈黙のすべてから滲み出てくる。映画を観ているはずなのに、いつしか一つの記録に立ち会っているかのような感覚へと引き込まれていく。その逃げ場のない現実感に、胸を締めつけられずにはいられない。

ヒンドが助けを求めたのは、2024年1月29日のことだ。しかし、この映画を「かつて戦地で命を落とした一人の少女の悲劇」として閉じてしまうことはできない。2026年8月に入ってもなお、ガザではイスラエル軍による空爆や砲撃が続き、パレスチナ人の死者が報告され続けている。8月1日だけでも少なくとも18人が死亡し、2025年10月の停戦合意発表以降に亡くなったパレスチナ人は、1,200人を超えた。

ゆえに本作は、すでに完結した事件を振り返る追悼映画ではない。救助を求めながらその声を届けられず、名前さえ広く知られないまま命を落としていく人々が、今なお存在している——そのことを知らせる、現在進行形の映画なのだ。ヒンドを「かわいそうな一人の少女」として悼むだけでは、到底足りない。彼女の声を手がかりに、その背後にいる無数の子どもや大人の存在へと想像を広げること。本作が観客に求めているのは、まさにそれである。

戦争による死者は、その数が膨れ上がるほどに一人ひとりの顔を失い、統計の一部として受け流されやすくなっていく。本作はその巨大な数字のなかから、ヒンドという名前と声を取り戻す。彼女が何を怖がり、何を待ち、どのように助けを求めていたのか——それを知ることで、観客は一つの命が奪われることの重さを、改めて突きつけられる。

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観た回数:1回
[あの日、ヒンド・ラジャブは]

2025年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。2026年アカデミー国際長編映画賞チュニジア代表。カウテール・ベン・ハニア長編七作目。個人的にカウテール・ベン・ハニアはモハメド・ディアブと同じカテゴリの危険人物として認識しているが、前作『Four Daughters』は例外的に題材と演出手法が嚙み合っていたと思う。残念ながら今回は噛み合ってない。2024年1月29日、ガザから52マイルのところにあるパレスチナ赤新月社に一本の電話が掛かってきた。ガザ北部から出ようとした車の中からのものだった。しかし、電話はイスラエル軍の襲撃によってすぐに切れてしまった。打ちひしがれた担当者オマルは、電話を仲介した海外在住の人物から、車にはまだ5歳の少女ヒンド・ラジャブが独り生き延び、取り残されていることを知る。オマルは再び電話を取り、ヒンドをどうにか助けようと奔走する云々。パレスチナ赤新月社が公開した実際の通話記録を使用するという、前作にも似た現実とフィクションの境界に置かれた作品である。映画は、怯えるヒンドを一人にさせないように会話を繋ぎ続けるオマルとその同僚ラナの会話、そして現場に向かう救急隊員の安全を確保したいマネージャーと早急にヒンドを救出したいオマルの戦いの二つに分けられる。ヒンドのか細い声を聴いて感情が昂ったオマルが、早く動けよ!とマネージャーにキレて、ひとしきり言い争いをしてまた電話に戻る…というのをひたすら繰り返す。手持ちカメラでの撮影も相まって、もどかしさを煽ってくるわけだが、本来のオペレーターが感じるはずのもどかしさと観客が感じるもどかしさを重ねちゃっていいんだろうか?目と鼻の先に現場があるのにイスラエル軍の許可がないと救急車が送れない…という状況を"果たして間に合うか?"みたいなサスペンスに組み替えちゃっていいのか?などという疑問はずっと頭を掠め続ける。これじゃあヒンドの痛みと恐怖を利用した、単なる感情のジェットコースターじゃないか。感覚としては『皮膚を売った男』を観た際の残念な気持ちに近い。感動演出のための味付けに悪気なくテロ組織を出しちゃう暴力的なまでの無邪気さだ。あまりにもグロテスクすぎる。

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