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ル・ラック
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ル・ラックの作品紹介

ル・ラックのあらすじ

晩年のゴダールの作品の撮影監督を務めた、ファブリス・アラーニョの長編デビュー作。レマン湖を舞台に、長時間のヨットレースに挑む男女を圧倒的な映像で描く。

ル・ラックの監督

ファブリス・アラーニョ

原題
Le Lac
製作年
2025年
製作国・地域
スイス
上映時間
83分
ジャンル
ドラマアドベンチャー・冒険スポーツ

『ル・ラック』に投稿された感想・評価

東京国際映画祭にて鑑賞。
ヨットレース(なのかなんなのかの説明は皆無)に臨む夫婦を風景画の様に捉えていてセリフもあまりないのですが、とにかく何を見せられているのかという疑問しか残らず上映時間の割に非常に長く感じる難しい作品でした。
晩年のゴダールの右腕として助監督を務めたファブリス・アラーニョの長編デビュー作。現在、東京国際映画祭で上映されている。

自分は7月にパリ出張に行った際に、パリでの上映があるということで、招待してもらった。彼とは新宿のゴダール展開催にあたっての親しい繋がりもあり、フラットな目で評価をするのは難しい。

ヨットに励む中年夫婦の姿、スイスのレマン湖を舞台に、ほとんどの台詞が排除されて、ヨットと湖の美しいショットが続く。時折、挿入される回想や妄想のようなシーン。
あー、これは”決別”をテーマにしている作品なんだと気付く。ファブリスにとっての”決別”とは。それを想像するに、とても私的なものであり、実はロマンチストでポエマーなファブリスの側面が出ているように思う。

この作品を語るのに、ゴダール作品や理論を持ち出すのはナンセンスだ。もう少しファブリス自身のパーソナルなものが如実に出ていると思う。また、彼自身のカメラマンとしての美学も持ち出されている。
彼にとっての”別れ”、レマン湖を舞台にしている意味も含めて。
彼がそのテーマを潔くこういう形で撮っていることについては、とても好感をもった。
とても感覚的で詩的な作品、アカデミズムから距離を置くように。

(そりゃ時差ボケの翌日の朝イチで、眠くもなったけれども、、)
4.2
【過去の思い出、他者の存在と自由な道によって刹那に光り出す】【東京国際映画祭】
■あらすじ
晩年のジャン=リュック・ゴダールの作品で撮影監督を務め、2025年に東京で開催された「GODARD TOKYO 2025|ゴダール展」のキュレーションを務めたファブリス・アラーニョの監督デビュー作。
広大な湖を舞台に、数日間におよぶヨットのセーリング・レースに挑戦する中年のカップルを描く。ふたりは激しい嵐に見舞われながらも執念でレースを続行するが、彼らが何者なのか、また、こうまでしてレースを続ける理由は何なのかは明確には説明されない。台詞は最小限に抑えられており、驚異的に美しいカメラワークとサウンドで観客を魅了する作品である。ロカルノ国際映画祭コンペティションで上映され、ジュニア審査員賞とエキュメニカル賞スペシャルメンションを受賞した。

■みどころ
傑作。
ゴダール後期作品の映像監督でもあり、今年の夏に王城ビルで開催された「GODARD TOKYO 2025|ゴダール展」のキュレーション担当なのかゴダール遺作『イメージの本』を連想するようなシーンを彷彿させた。
とはいえ、この映画はゴダール映画とは異なり映像手法によって夫婦の心に宿る過去の思い出、現在の出来事が共鳴し合ったりセーリングによる一種の旅が齎す内的変化に焦点に当てた作品に仕上がっていて面白かったです。

映画は巨大な湖で開催されるセーリングに参加する夫婦に焦点を当てている。
セーリングでの夫婦の活動、船の上から見える景色、空を見上げる夫婦の姿、どこか遠い過去の夫婦の出来事の4つの視点を交えていくのが物語の展開になる。
夫婦の詳しい経歴については具体的に名言はされていないが、過去の時制によって夫婦には何らかの悩みになる問題が示唆される。
共通するのは夫婦の過去の出来事はセーリング中に見える景色、波の反射、天候、明るさ、陸地やクルージング船にいる他者の存在によって想起される。この作劇が個人的に良いなと思いました。

本作が興味深いのは船の上から見える景色と夫婦の眼差しが過去の時制と共鳴し合って過去の何らかの出来事から前へ進もうとする姿そのものであり、セーリングという競技が湖で目的地まで様々な場所に行ける旅路のような存在に昇華している。
見える景色と他者の存在と夫と妻の眼差しの交錯が共鳴する事はセーリングする行為のライフステージのフットワークが軽くなること・自由でいること・ここではないどこかへ行けるんだという希望を発露しているし、同時に他者が出来ていた事が自分たちは出来なかった事(恐らく子供のこと?)を示唆・夫婦としての何らの劣等感を発露している。
その共鳴して発露する内面変化がセーリングの緩急の緩の間で起こり、緩急の急で目の前の試合に向き合わざるを得なくなる姿はまるでどこか旅へする中で、自分が観たことない景色を観た時の感動・経験によって過去に起きたトラウマ・悲しさを想起し、それに対して向き合って前へ進もうと前向きになる旅によって精神性が研ぎ澄まされるような感覚を映画の作劇によって刹那的に現出しているのが素晴らしいと思いました。

同時にレースによる目の前に向き合う事・過去と共鳴する事・どこかここではない場所に自由に行けるんだという高揚感は決して長続きはせず、レースのゴールと共に自由に行く限界点に現実へ戻る虚しさ も現出する。
旅路が与える内面変化と旅路の終わりが見えてきた時の現実に戻らざるを得ない・自由に行ける夢から覚めて現実に向き合う悲しさは心に刺さって内面変化をゴダール作品的な文脈で語っているのは素晴らしかったです。