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ハッピー・バースデイ
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『ハッピー・バースデイ』に投稿された感想・評価

[] 70点

サラ・ゴーヘル長編一作目。エンドクレジットでモハメド・ディアブの名前を見つけて納得するくらい辛い話。知らなかったんだが、監督はディアブの奥さんで、これまでのディアブ作品でプロデューサーを務めていた。物語の主人公はカイロの裕福な家庭で住み込みメイドとして働く8歳の少女トハである。もうこの時点で何度か聞き返したくなるが、今後の展開はもっとハードモード。雇い主一家の娘ネリーは同い年で親友という間柄なのだが、その母親と祖母は二人が仲良くするのを好ましく思っていない。ネリーの両親の離婚によって一家は豪邸から引っ越すことになっており、母親が父親に未練タラタラで金もないので、常に家の中はピリピリしている。そんな状況下で、我儘娘ネリーが誕生日パーティを開きたいと当日に言ったので、トハは彼女のために奔走する。しかし、どれだけ貢献しても顧みられることなく、彼女が信じて渡し続けた無邪気な親切心は利用されていただけに過ぎないと知り、雇い主のメンツのために厄介払いされて川沿いの貧しい実家に送り返されてしまい、今度はなんとかしてパーティに参加しようと奔走する云々。雇い主一家とトハの違いをこれでもかと描いており、住居や店員や警備員からの待遇の違いは勿論のこと、例えばトハはそもそも誕生日を知らないし、文字も読み書きできない、学校にも通っていない。実家に帰っても魚取りの手伝いをさせられている。かつてそれで父親を失っていたとしても、生きるために生きるか死ぬかの冷たい川に身を浸すしかないのだ。8歳の彼女が生きるために大人にならざるを得ない一方で、ネリーの母親は祖母なしでは生きて行けなさそうな子供っぽい人物として描かれている。彼らの幼稚さ、或いは幼稚でいられる世界を、それに気付いてしまった少女の目線で描いているのだ。
para
4.2
富裕層家庭で住み込みメイドとして働く8歳のトハ。
雇い主の家には同い年の女の子がおり、お世話をしながら仲良く暮らしている。
実家にいる時とは別人のように明るくニコニコ働くトハには叶えたい願いがあり、他者からの冷たい視線にも意を介さない。
児童労働は恥ずべき行為と社会で認知されながらも、貧困から已む無く就学せずに働く層も存在する現実。(当然読み書きは出来ない。母親は子どもを愛しているが、生活のために働き詰めゆえ娘が生まれた季節はわかるものの誕生日は覚えていない…過酷な環境)

ラストの、無慈悲な現実…変えることが出来ないことがあり願えば叶うとは限らないという現実を突きつけられ、悟るトハの表情。
途中まるでメルヘン、夢の中のような映像(描写)があるだけに非情な現実との対比が切なく辛い。

映画祭でのワールドプレミア以外の作品選びにはIMDbを利用している。(数年前に思い切り外したため)
そのため、というか今のところ今年は当たりしか引いていないのだが、本作はIMDbで8.1という高評価で、それも納得の作品。

TIFF
4.5
映画祭9日目の夜の上映会。
エジプト映画。

「ハッピーバースディ」というおめでたいタイトルからはかけ離れた、非情な現実を映した作品。
きっと映画としてラストをハッピーエンドにすることも難しくないはずだけど、それではきっと意味がない、それではきっとファンタジー作品にになってしまうのだろう。
映画の時点で創作ではあるのかもしれないけど、きっとこれが現実なんだろう。
だからこそ辛い作品。


特にあらすじ等読まずに見たせいもあるかもしれないが、自分が平和ボケ?しているというか、登場人物たちの関係を理解するまでに少し時間がかかってしまった気がする。
意図的にそうしていないのかもしれないけど、きっとエジプトの格差のことなど多少知識がある人が見ればかなり早い段階でそこは理解できたのかも。


「幼くもメイドとして働く主人公トハ」
しばらく母親のことを「奥様」と呼んでいてかわってるなぁくらいにしか思っていなかったけどそういうことじゃなかった…
思い返せば寝る場所すらも、その家の子供とはちがい、ソファで寝ていたし、一見同じ家に住む家族のようにみえるけど、明確に関係の差がそこにはあった。
もちろんメイドとして雇われている。仕事としている存在だから線引きはされるだろうけど、まだ子供でその家の子と同い歳くらいなのがその差の深さを際立たせる。


「さながらエジプトのシンデレラ」
後半、パーティ会場(雇われていた家)へと向かうトハ、足先までオシャレ決め込んで、トゥクトゥクに乗せてもらい向かうシーンはトゥクトゥクの丸いフォルムも合間ってかぼちゃの馬車でお城へ向かうシンデレラのよう。
この作品で1番好きなのはこのシーンかな。
同時に交通ルールまじでどうなってんだ!?とも思うけど。


「明確に存在する格差」
パーティ会場にはなんとか辿り着き、ハッピーエンドへ向かうのかと思っていたのに…
今の自分の存在価値というや役目を理解してしまい会場のゴミ拾いを黙々としはじめるトハのシーンはしんどかった…
そこからのラストシーンも切なく強烈。
こんな子どもが自分でこんな現実に気が付かなきゃいけないなんて…と思うけど、きっとこれが現実な子どもたちがたくさんいるんだろう…
劇中でもあったけど、こんな子供をメイドとして雇うのは良くないという倫理観もあるにはあるけど、でも雇わなかったらその子が送る生活はそれはそれで過酷なわけで…
そう簡単にこうすれば良いじゃんって話ではない難しさを感じた。