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さよなら、僕の英雄の作品紹介

さよなら、僕の英雄のあらすじ

強盗事件での服役を終えたアンカーは、逮捕前に大金を預けた兄・マンフレルと15年ぶりに再会。しかしマンフレルはその隠し場所を忘れ、自分をジョン・レノンだと思い込んでいた……。生まれ育った実家の森に埋められているはずの大金を掘り起こそうとするも、どうにも見つからない。アンカーは精神科医とともに、マンフレルの記憶を取り戻すためビートルズの再結成を決意。しかし現れたのは珍客ばかりで、事態は混乱の一途をたどっていく。

さよなら、僕の英雄の監督

アナス・トマス・イェンセン

原題
Den sidste viking /The Last Viking
公式サイト
https://cinema.starcat.co.jp/goodbye-myhero/
製作年
2025年
製作国・地域
デンマークスウェーデン
上映時間
116分
ジャンル
ドラマコメディクライム
配給会社
スターキャットアルバトロス・フィルム

『さよなら、僕の英雄』に投稿された感想・評価

kuu
3.8
『さよなら、僕の英雄』
原題または英題 Den sidste viking
製作年 2025年。上映時間 116分。
映倫区分 PG12
製作国 デンマーク・スウェーデン合作

デンマークのアナス・トマス・イェンセン監督が、これまでにも数々の作品でタッグを組んだマッツ・ミケルセンを主演に迎えて描いたヒューマンドラマ。

マッツ・ミケルセンちゅう役者さんの真骨頂は、寡黙な佇まいの裏に、今にも決壊しそうな狂気と切なさを同時に同居させられる点にあるかな。
今作品『さよなら、僕の英雄』でもその泥臭くも神聖な演技論は健在で、北欧の至宝が魅せた、キャリア史上最も哀愁漂うブラック・ユーモアと呼べる。

撮影の舞台裏では、マッツ自身がレノンの楽曲や生前のインタビュー映像を徹底的に研究し、単なるモノマネではない精神のトレースを試みたというトリビアも残されている。
彼を支える共演陣も、ハリウッドのメインストリームとは一線を画す実力派のインディーズ俳優たちが固めており、社会のシステムからこぼれ落ちた愛すべきはみ出し者たちの群像劇として、画面の隅々にまで濃密なリアリティが息づいていました。
 
今作品を観ていた時、脳裏を不意に、あの凄惨なジョン・レノン暗殺事件と犯人マーク・チャップマンの姿がよぎった。
マッツ・ミケルセン演じる主人公マンフレルは、過酷なトラウマから記憶を失い、自分はジョン・レノンやと思い込んで生きている。
彼にとってレノンという人格は、現実の苦痛から心を守るための究極の避難所と云える。
愛と平和の象徴になりきることで、彼は精神の崩壊を食い止めているし、この映画が描く奇妙な防衛心理は、チャップマンが抱いた小説『ライ麦畑でつかまえて』への妄想と、不気味なほどに重なり合う。

チャップマンもまた、孤独と激しい劣等感から逃れるため、主人公ホールデン・コールフィールドに自分を完全に同化させていた。
大人の偽善を嫌う純粋なキャラを、脆い自己を守るための鎧にしていた。
ありのままの自分では現実を生きられない絶望から、誰もが知るポップカルチャーのアイコンを乗っ取る。
二人の根底にある心理メカニズムは、驚くほど共通してて、しかし、その鎧をまとった男たちの結末はあまりにも対照的と云える。 映画のマンフレルが抱く純粋な狂気は、周囲のはみ出し者たちを巻き込み、奇妙で温かい救済の共同体を作っていく。
一方で、現実のチャップマンの妄想は内側へと暴走し、大金を稼ぐ偽善者に見えてしまった本物のレノンを排除すると云う、最悪の凶行へ至った。
ポップアイコンという心の鎧は、傷ついた魂を包む毛布にもなれば、他者をあやめる凶器にもなる。
映画の優しいブラックコメディにクスリと笑いながらも、そこに潜む現実の重圧に耐えかねた孤独な人間のポートレートに、小生はどこか背筋が寒くなるのを禁じ得なかった。
 
この物語が我々に突きつけるのは、本当の自分とは何かと云う、SNS全盛の現代を生きる誰もが直面する哲学的なバグそのもの。
現代社会では、誰もが理想のタイムラインを作り上げ、何者かになりすますアカウントを持って生きている。
マンフレルのレノン化は、云わばその究極のバグであり、同時に生き延びるためのセルフハックでもあった。
我々は日々、リアルな自分とデジタルな理想像の間でアイデンティティを擦り減らしているが、この映画は、たとえ偽りのハリボテであっても、それが他者を救い、自らを癒すアートになるなら、それはもうひとつのリアルではないかと語りかけてくる。
自己を喪失した男が、他人の皮を被ることで逆に本物の人間性を獲得していくアイロニー。 
シニカルな笑いの隙間からこぼれ落ちるその本質は、効率性や有用性といった冷徹な物差しで人間が品定めされる現代において、一筋の救いとして機能している作品じゃないかな。

あらすじ・キャスト
強盗事件で服役していたアンカーは、出所後、事件の際に大金を隠した兄マンフレルと15年ぶりに再会する。しかしマンフレルは隠し場所を忘れているばかりか、自身をジョン・レノンだと思い込むようになっていた。2人は隠した大金の入ったバッグを探す旅に出るが、その道行きはやがて、それぞれが自分自身の在り方を見つめ直す旅へと変わっていく。

記憶を失い自分をジョン・レノンと思い込んでいるマンフレルをミケルセンが演じ、風変わりで独特なキャラクター像を体現する。弟アンカー役には、同じくイェンセン監督と何度もタッグを組んできたニコライ・リー・コスが扮する。2025年のベネチア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミア上映され、本国デンマークでは同国の実写映画の歴代興行収入記録を更新する大ヒットを記録した。
ぶみ
3.5
はみ出し者でも、構わない。

アナス・トマス・イェンセン監督、マッツ・ミケルセン、ニコライ・リー・コス主演によるデンマーク、スウェーデン製作のドラマ。
自身をジョン・レノンだと言う兄と、刑務所から出所し、大金を隠した鞄を見つけようとする弟の姿を描く。
主人公となる兄のマンフレルをミケルセン、弟のアンカーをコス、二人の姉のフレイヤをボディル・ヨルゲンセンが演じているほか、ソフィー・グローベール、ソーレン・マリン、ニコラス・ブロ等が登場。
物語は、影絵のようなスタンダードサイズ画角の御伽噺と思しきアニメでスタートとするのだが、その内容が、皆が片腕を失うという、えげつないもので、一体この後何を見せられるのだろうかと、不安になることに。
すると、場面が一転、大金が入った鞄と銃をロッカーに預けたアンカーが、ジグソーパズルをやっている兄・マンフレルのいる自宅に帰ると、すぐに戻ると告げ、ロッカーの鍵をマンフレルに飲み込ませたうえ、テレビでは強盗事件が報道されているので、まるでクライム・サスペンスかのようなオープニングとなっている。
次には、15年後となり、マンフレルと姉のフレイヤの元に刑務所から出所したアンカーが帰宅、かつての仲間が金をせびりに来る中、大金の在処をマンフレルに聞くも覚えておらず、そのマンフレルは、すぐ犬を盗んでくる、自身をジョン・レノンだと信じ込み、ジョンと呼ぶように強制する、挙句の果てにマンフレルと呼ぶと自殺しようと突拍子もない行動に出ると、一筋縄ではいかない状態なのが本作品の肝。
以降、そんなマンフレルの記憶を取り戻そうと、アンカーが精神科医の協力を得ながらビートルズを再結成しようとする様を中心として展開、しかし、うまくいくはずはなく、訪れる人々も変わり者ばかりと、なかなかなカオス振りを見せてくれた次第。
何より、前述のように、冒頭はアニメ、そしてクライム・サスペンス、中盤はシュールなコメディと、次々と空気感が変わっていき、一体、どこに着地するのか全く見えない奇想天外な脚本に終始魅了されたところ。
クルマ好きの視点からすると、アンカーが出所後に乗っていたのがオレンジ色が印象的な二代目モデルのフィアット・パンダ、兄弟の実家で民泊を営む主人の愛車が、MG・ミジェットというクラシカルなオープンカーであったのは見逃せないポイント。
ミステリ要素も盛り込んだ先の読めない展開と、ジョンだと信じ込んでいるマンフレルを演じた長髪マッツの怪演に魅了され、アンカーを演じたニコライとの凸凹兄弟の行き着く先に見つけたものに、思わずハッとさせられたとともに、エンドロールの一行の動きに、ニヤニヤせざるを得なかった一作。

例えるなら、イケアにしろ。
この映画は、兄と弟の物語。
強盗事件を起こし、15年の服役を終えた弟のアンカーは、
かつて奪った大金を預けた、兄のマンフレルと再会する。
しかし、兄は事件当時のショックのせいか、大金の隠し場所を忘れてしまい、
しかも、自分の事を伝説のミュージシャン「ジョン・レノン」だと思い込んでいた。
(゚Д゚)ハァ?

呆れ​果てながらも、何とかして大金を掘り起こしたいアンカーは、
兄の記憶を取り戻す為、精神科医の協力のもと、ビートルズの再結成を試みる。
風変わりなメンバーが一堂に介し、一筋縄ではいかなそうな埋蔵金探しが始まるのだが、、、というお話。

作品題名と内容が、あまりにギャップがあり過ぎて、話について行けなかった。
(-_-;)

​デンマーク・スウェーデン合作映画で、デンマーク映画の興収記録を新たに塗り替えた作品というフレコミであり、
言わば日本でいう所の「国宝」と同じ位置づけの映画だ。
しかし、内容は極めてグロテスクでバイオレンスな映画だった(笑)
(ノ∀`)アチャー

​なぜこんな内容の映画が、デンマーク興収記録を塗り替えられたのだろう?
​比較的有名な俳優マッツ・ミケルセンが出演していて、まさかこんな過激で歪んだ内容で、
しかもそれが国を代表する大ヒット作になったのは、驚嘆するしかない。
そのカラクリについて考察してみたい。

まず、​イェンセン監督と主演マッツのコンビで、数々の名作やヒット作を生み出してきたゆえ、
国民からの信頼やブランド力があるのだろう。
あのコンビの映画なら、どんなに過激でも最高に面白い人間讃歌が観られる、と認識されているのだと想像できる。

次に、デンマークやスウェーデンという、北欧国家の特徴も大きく影響しているように思われる。

地理博士のソビたん先生、出番ですよ〜!
(^O^)ノ

みんなのアイドル、ソビたんでぇす!
☆(ゝω・)vキャピ

この2国は、世界の上位5傑に入る、幸福度や福祉を誇る国々になる。
裏を返せば「平穏で倫理的に正しい社会」だ。
だからこそ、映画や文学では、その反動として、
人間のドス黒い暴力性や、倫理の崩壊を、エンタメとして楽しむ土壌が非常に強くあるのだろう。
( ゚Д゚)y─┛~~
彼らにとって、バイオレンスは忌避すべきものではなく、
人間の本質を炙り出すための上質な「スパイス」になっているのだ。

​そして今作は、​コメディ→ホラー&スリラー→重めのヒューマンドラマへと、劇中のジャンル変遷が目まぐるしい。
​ジャンルが歪みに歪んで、最終的に「重厚なヒューマンドラマ=人間讃歌」に着地するのは、
イェンセン監督の一貫した特徴でもある。
​ 監督は最初から「さあ、重い家族のトラウマの話をしますよ」とは、決して始めない。
まず、おかしなコメディで観客を笑わせ、バイオレンスで油断を奪い、観客の「倫理的警戒心」を麻痺させる。

キャラクター達の狂気や暴力を通過した後に残る、兄弟の剥き出しの絆。これを見せることで監督は、

「社会のレールから外れた、こんなにも壊れてしまった人間達でも、互いを愛し、救い合う事ができるのか?」

という究極の人間愛を問いかけていく。
( ´ー`)y-~~
ジャンルの変遷は、観客の心を最も無防備な状態にして、
ラストの感動を深く突き刺すための緻密な計算なのだろう。

それから、鑑賞者が必ず疑問を抱くであろうポイント、​
兄が「ジョン・レノン」だと思い込んでいる理由について。
私が連想したのは、​韓国映画「22年目の記憶」だ。
(゚Д゚)ハァ?
あの作品の主人公は、紆余曲折あって、自分を金日成だと思い込んでいる設定だった。
「22年目の記憶」が「歴史・政治的狂気に呑まれた人間の悲劇」だとすれば、
今作の兄・マンフレルは「過酷な現実からの究極の現実逃避(自己防衛)」として、ジョン・レノンになりきっている。
​マンフレルが抱える過去のトラウマ、そして弟に大金を託されたプレッシャーは、
彼の繊細な精神を破壊するには十分だった。

マンフレルが「愛と平和の象徴」であり、世界中から愛されたジョン・レノンになりきるのは、
「無力で傷つきやすかった本当の自分」を消し去り、
精神の均衡バランスを保つための本能的な防衛策なのだ。
(-ω☆)キラリ

​他にも気になったのは、周囲の登場人物のクセが強ぎる点だろう。
どいつもこいつも倫理観がおかしいし、狂気を持つ変人が多すぎる。
​なぜ脚本は「悪趣味な脇役」を配置したのだろうか?
(゚Д゚)ハァ?

今作の登場人物達は、誰もが何かしらの依存症、歪んだ性癖、あるいは倫理観の欠如を抱えている。
​この悪趣味とも言える配置の理由は、
「まともな人間(健常者、善人)」を1人も出さないことで、世界の縮図を作る為だ。
もしここに1人でも常識人がいれば、彼らはただの「排除すべき狂人」になってしまう。
しかし全員が狂っている世界の中では、彼らの狂気は「ただの個人の不器用さ」に反転する。

「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」の法則発動なのである(笑)
(ノ∀`)アチャー

悪趣味な脇役達は、主人公兄弟の歪さを中和し、同時に「人間は誰しもどこか狂っている」という、
冷徹で優しい視点を担保する為に必要不可欠な配置なのだ。

それから、​北欧のブラックユーモアの歴史的背景にも触れておきたいのだが、地理博士の私が思うに、
「ヴァイキングの死生観」と「厳しい自然環境」があると類推される。
(゚Д゚)ハァ?

彼らにとって、死や暴力、障がい、精神疾患といった「人生の最悪な不条理」は、
避けるものではなく「笑い飛ばして克服するもの」であるに違いない。
過酷な現実に対して「神も仏もないが、笑うしかない」という、
タフな精神性や、反骨精神的な姿勢が、北欧ブラックユーモアのベースにあるのだろう。
( ´ー`)y-~~

また、笑いの質について考えると、日本の伝統的な笑いは「和」や「共感」、あるいは「あるある」を重んじ、
死や不謹慎なネタなどの「タブー」を避ける傾向が強い。
一方で、北欧の笑いは「不謹慎の限界に踏み込み、気まずさのピークで笑わせる」というスタイル。
日本人が「え、ここで笑っていいの?」と戦慄する瞬間こそが、
彼らにとっての極上のユーモアになっている。

邦題​「さよなら、僕の英雄」と原題とのギャップについて。
​​原題は、Den sidste viking(直訳:最後のヴァイキング)。
これをそのまま出すと、日本では「マッツが斧を持って戦う歴史スペクタクル映画」と誤解される可能性が高いので(笑)、
配給会社はドラマ性を重視した邦題をつけたと類推する。
​しかし、一見するとお涙頂戴の感動ドラマに見えるこの邦題には、
映画を観終わったあとに効いてくる「皮肉と批評性」が込められているとも解釈できる。

​ギャップがありすぎるのは、日本の映画配給におけるマーケティング上の戦略だが、
結果として、今作の持つ「騙し絵」のような構造、コメディと思ったら重厚なドラマだった、という構造を、
邦題の時点から補強する形になっていた。

しかし!
(ΦωΦ)フフフ…

私は北欧人じゃないので、あんましブラックユーモアが理解できなかった!というか、気づいたら寝落ちしてた!(笑)
工エエェェ(´д`)ェェエエ工

結局、隠してたお金って見つかったの?分からないんだけど。
オチが気になって逆に寝られなくなった、ソビエト氏なのだった。
┐(´д`)┌

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