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7つの贈り物のkuuのレビュー・感想・評価

7つの贈り物(2008年製作の映画)
4.2
『7つの贈り物』
原題Seven Pounds.
製作年2008年。上映時間123分。

征くは、天地を結んだ行為。
神仏の心に従ってすること。
行くは、天に間のある地の物質的な働きかけ。
征は精神的、 
行は肉体的、
己の行動は『征く』or『行く』?
若しくは両方?
正直答えなんて云えない道。

今作品を音楽で描くならまさしく挿入曲
エンニオ・モリコーネEnnio Morricone作曲の『The Crisis』
ピアノのみのスロウな曲で、途中に不協和音(音を外した)のような旋律が今作品を表現してました。

余談ながら、タイトルは、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ベニスの商人』にちなんだんやと思います。
商人のアントニオは、借金を期限内に支払わなければ、金貸しのシャイロックに自分の肉を1ポンド渡すことに同意するという内容です。
7つというのは、このプロットにおける『借金』の数。
コニーを除いて、すべての『借金』は文字通り肉で支払われる。

主演ウィル・スミスと監督ガブリエレ・ムッチーノが挑んだ感動のアメリカンヒューマン・ドラマ。
過去と折り合いをつけるために究極の贈り物を用意した主人公が、あるものと引き換えに他人の人生を変えようとするプロセスを描く。
共演は、ロザリオ・ドーソンとウディ・ハレルソン。
複雑な人間性と命の尊さを温かく繊細に演じたウィル・スミスに心を揺さぶられるって個人的にはマジ揺さぶられた。

海辺の家にひとり暮らすベン・トーマスは、全くつながりのない7人の名前の載ったリストを持っている。
彼らは、ベンが進める“ある計画”のために選んだ人々だった。
ベンはある意思をもって、彼らの人生を変えるため計画を進めるが。。。

今作品の初めは何かわけがわからうちにストーリーが展開していって、こちらは置いてけぼり喰ったように感じたが、訳わからないなりにも、いつも切ないウィル・スミスが演じるベン・トーマスの表情と仕草惹き付けられて観進めた。
一体彼に何があったんやろと。。。
観てる多くの方が気になったことやと思います。
野次馬根性強い小生はも一つ競りだして観てたら、段々と、彼がやりたい事は明らかになって行ったんやけど、それが何故なんかは、ラスト近くにならないとはっきりとわからない。
このテクが良いのか悪いのか、好き嫌いは二分されるとは思います。
でもまぁ『7つの贈り物』ちゅうのはこういうことなんかと解った時、
いや、ウディ・ハレルソン演じるエズラ・ターナーが街角ピアノで弾く
モーツァルト
幻想曲ニ短調K397
を聴いた辺りから泪は出始め薄々ストーリーが読めてきたけど。
でも、ベタながら泪が溢れでました。
個人的には善き作品でしたよ。




⚠️ネタバレを触れますのですいませんお気をつけお読みください。

今作品は、個人的に哲学的なのを含んでたかと感じます。
ティムは、哲学者のアルベール・カミュやトマス・ネーゲルが述べたように、人生は不条理であることを確認しているかのように感じたし、カミュの考えやと、人間の人生が不条理なんは、人間が意味を必要としているにもかかわらず、宇宙は沈黙し、意味を与えようとしないからやとしています(無知故に理解に誤りがあるやも知れませんが🙇)。
今作品は、ティムが自分の人生に意味を見出せないことから、その点を証明している。
せや、ティムは7人の人々を助けるために死ぬことにのみ意味を見出す。
なぜなら、奥さんと他の6人の人々を殺めた(過失やけど)後、宇宙が彼に何をすべきかを教えてくれないから。
また、ネーゲルの不条理のポイントは、人間は自分の人生をとても真剣に考えているが、本当の意味での意味はないことを常に知っているということで(アホらしさ、かな現代用語なら。多くの人は人生はアホらしい、不条理なものだと感じている。
ネーゲルの念頭にあるのはカミュやサルトル。
ネーゲルはこの直観をうまく表現できる議論探しで、最初に二つ、よくある議論が提示され、否定される。)、このことは、ティムが長い時間をかけて真剣に、そして厳格なアプローチで適切な人を探していることからも証明されてる。
何故なら、以前は成功していて、自分の人生には意味があると思っていたのに、人を殺めてしまったことで、意味が変わってしまったと感じているからです。
結果的にティムは、死ぬことでかつての人生の意味が失われると考えている。
また、今作品には、哲学者のエリック・J・ヴィーレンベルクによる内的・外的な意味が多く含まれてる。
ヴィーレンバーグの内的な意味とは、人が存在しているか、存在していないか、価値のあることをしているかどうかということだと云い、ヴィーレンバーグは、また、自分の人生が世界に善をもたらすならば、それは外的な意味だと云います。
映画の中では、ティムが内的意味を持っているかどうかの議論はない。
とは云え、映画全体の中で、ティムは自分の内的意味は死んで人を助けることだと行動しているからです。
しかし、外的な意味は、映画の別々の部分で異なってます。
彼は、IRS(米国合衆国内国歳入庁)の職員として人々を助け、笑顔を与え、歓迎されることで、人々に幸せと希望を与えます。
ほんで、それらの人々のために彼が死ぬと、彼の外面的な意味は、ティムが人々を生かしたり、彼らが望む臓器を与えたりする手助けをすることに変わります。
後者の方がティムにとって重要なのは、彼は自分が生きることよりも自分の死の方が重要だと感じていたから他ならない。
内的意味と外的意味では、彼の死が彼の実際の人生を損なうことを示してる。
なぜなら、人々は彼が死んだことで幸せになり、もう移植や何かについて心配する必要がなくなったからです。
もうひとつの重要なポイントは、ティムが自分の臓器を受け取る人たちを選んだのは、人類が存続し、彼が命を与える人たちも存続するという事実に基づいていたということです。
これはイズラエル・シェフラーが指摘していることで、私たちの命が未来の世代につながっていくということです。
もしティムが、人間が生きられないことや、自分の臓器を受け取る人が死んでしまうことを知っていたら、臓器を提供しなかった。
なぜなら、ティムは、7人の命を救った善良な人間だと人々に思われたいがために、このような行動を取った。
もし、みんなが死んでしまうのであれば、ティムは別の行動をとったやろうし、死によって自分の人生を損なうこともなかったはず。
でも、もし違う結果になるとわかっていたら、意味を持たせるために別の方法を試したと思う。
また、ティムが死によって人生を損なうような行動をとったことで、その理由は、アリストテレスの人生と一致してるかな。
臓器を提供するために彼が死ぬことは本質的に良いこやから、それは激しく同意する。
ティムは合理的な能力を使って人々を選別し、臓器を提供する人々のために自分の臓器を存続させるために自殺したんです。
最後に、彼の行動はアリストテレスとも一致してる。
最高の善とは最終目的が幸福であることだからです。
ティムにとって自殺は最終目的であり、妻と一緒にいることができ、7人を助けるという決断に満足していたため、彼に幸福をもたらした。
なんか書いてて胸の内で次なるアンチテーゼは生まれてきますが。
まぁ、兎に角、こないなことを含みつつ描いたなら製作陣はスゴいとしか云えないが、深読みの可能性もありますので悪しからず🙇。
ただ、映画の最初の数分で、ティム・トーマス(ウィル・スミス)が "In seven days God created the world, and in seven seconds I shattered mine. "(神は7日で世界を創造し、私は7秒で私の世界を破壊した。)と云っています。
映画の、ティムと奥さんが車で道路を走っているとき、ティムが道路から目を離してから交通事故が起こるまで7秒かかってるのは意図して描いてるんやろなぁ。


エズラ・パウンドの詩集「ヒュー・セルウィン・モーバリー(Hugh Selwyn Mauberley)」から「自らの墓のためのオード(Ode pour l’election de son sepulchre)」(壺齋散人訳)

  三年もの間 時代と折り合いがあわず

  あいつは死んだ芸術を蘇らせようとした

  それは旧い意味合いでの荘重な詩だったが

  どうもスタートから間違っていたようだ

  だが あいつが半ば野蛮な国に 
 時期はずれに

  生まれたことを考えれば そうともいえぬ

  あいつは断固として どんぐりからユリの      花を咲かせようとしたんだ

  カパネウスだよ 
  疑似餌につられたマスのようなもんだ

  「我らはトロイアでの苦しみを知る」

  この言葉が耳に響きわたり

  岩陰に出来た波の通い路に

  あいつは身を潜めることにしたんだ 
  あの年

  あいつのペネローペは 
  本当はフローベールだったんだ

  あいつは頑丈な岩陰で釣り糸を垂れ

  日時計に書かれたことわざなんかより

  キルケの髪の毛の優雅さが気になったんだ

  お祭りの時節だったにもかかわらず

  あいつはわずか30歳の若さで

  人々の記憶から忘れ去られ

  文学史に何の痕跡も残さなかった
kuu

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