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サラバンド
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『サラバンド』に投稿された感想・評価

leyla
4.5
『ある結婚の風景』から約30年後を描くベルイマン監督の遺作。いろんな思いが押し寄せて、まとまりません。ベルイマンらしい素晴らしい遺作だった。

80代のヨハンと60代のマリアンが再会する。『ある結婚の風景』はベースにあるけれど、別の作品といってもいいと思います。音楽と共にある作品でした。

タイトルの『サラバンド』とはバッハの無伴奏チェロ組曲第5番の中の曲で『叫びとささやき』でも使われている。今作でも赤い壁が1シーンで象徴的に登場します。

三世代、2組の親子の息の詰まるような愛憎が描かれます。ヨハンと息子ヘンドリックの憎しみと確執。似たもの同士の親子はここまで憎み合うものなのか…

ヘンドリックは、妻アンナに先立たれた哀しみを娘カリーナをチェロ奏者として育てる期待にすり替え、束縛し、娘の重荷となっていく…若いカリーナの存在を“生”の希望として捉えたい。

今作は監督が結婚生活24年を送った妻イングリットに捧げた作品と言われています。イングリット=アンナなのだと思います。亡くなったアンナがキーパーソン。

老いた裸体をさらし、ヨハンとマリアンは30年前と同じように1度だけベッドで眠る。そこにはセックスも触れ合いもない。人生の終焉を感じさせるシーンだった。寂しくもあり、達観したようにも見える冷徹でいて人間味のある描写でした。

ラストに精神疾患で療養所に入っているマリアンと娘とのシーンが余韻を残す。ベルイマンらしく、素晴らしいセリフで締めくくられています。

晩年、ベルイマンは大好きなフォーレ島からほとんど出なかったという。海を見ながら好きな音楽を聴いたり本を読んで過ごしていたんだろうなと、ふと老いた監督の姿を目にして思った。素晴らしい作品の数々をありがとうございました。


📌MEMO 特典映像ウルマンへの電話取材より

もう撮らないつもりだったのに、リヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソンが即興でコメディを演じているビデオを見て、監督はこの脚本を書くことを思いついたのだそう。

「ベルイマン監督の出演を断る女優なんかいないわ」リヴ・ウルマンは脚本も読まずに出演をOKしたとのこと。

ベルイマン初のデジタル撮影。まだ当時はデジタル上映できる映画館が少なく、この作品をきっかけに上映可能な劇場が増えたのだそう。


📌MEMO 使用された主な楽曲

・バッハ 無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調(BWV1011)
・ブラームス 弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.51-1 〜第2楽章
・バッハ トリオ・ソナタ 第1番 変ホ長調(BWV525)第1楽章
・ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調 スケルツォ
・バッハ ノイマイスター・コラール集
「人はみな、死すべきさだめ(BWV1117)
pika
5.0
マジハンパねぇ、超超超傑作。
映画監督引退宣言から20年後、85歳でこんな見事な傑作を撮ってしまうとは凄すぎて頭沸騰した。
30年前の「ある結婚の風景」のキャラクターを同キャストで制作した、ベルイマン最後の作品。
「続編ではない」というのは、「ある結婚の風景」の2人のその後を描いた単なるキャラクターや展開を楽しむドラマではなく、観念的な「人間」や「愛」を表現したものだからということか。

20年ぶりの映画作品だから当然なんだけどベルイマン作品として見るには多少違和感があり、デジタルカメラの質感や冒頭二箇所ほど引っかかる編集点など、カメラも単調なもので、こだわりぬいた照明もデジタル化には敵わないと言った具合に技術的にはこれまでの作品と比較にはならないんだけど、そんなことどうでもいいってぐらい作品そのものがめちゃくちゃ素晴らしく、当初感じていた違和感なんぞ即刻吹っ飛んだ。

リヴ・ウルマンはお年を召してもリヴ・ウルマン!で、思えばベルイマンの真骨頂とも言える観客へ語りかける演出を、ナレーションの如き効果を生む自然な演技で魅せてしまうことからして見事だし、元夫の前では少女に戻ったかのように見えたりと往年の美貌が全く色褪せない美しさもさることながら、表情の変化で本音と建前も内面も外面も語り切ってしまう繊細な演技が極上。
ヨセフソンの熟成された演技も素晴らしいし、さすがベルイマンの選んだ役者陣だけあって全員隅々素晴らしい。

80年余の人間観察の結晶かの如き濃厚な脚本が筆舌に尽くしたいほど見事で、私的な哲学や人生経験から生み出してきた数々のドラマを総括したような、人生への解答なのかもしれないと身勝手にも思えるほど鮮烈なドラマだった。
「私は病的なほど人間の顔に夢中だ」と語っていたように、映画製作の自由が効くようになってきた後年は会話劇を中心としたドラマを役者へのクローズアップをメインに演出をしていたが、今作も類にもれず「人間の顔」で語る至上のドラマだった。

山あり谷あり幸も不幸も経てきた人生のまとめに入るような老齢期に、昔の配偶者と数十年ぶりの再会を果たす。
「呼ばれたような気がしたから」と訪れた元妻は、隠居した元夫の孤独な生活に入り込み、彼の息子との確執と孫娘の未来を目の当たりにする。
家族の中心に在るのは2年前に亡くなった息子の妻であるアンナの存在で、リヴ・ウルマン演じるマリアンは最後まで傍観者であり続ける。

愛の反意語は憎悪ではなく無関心なのではないか、自立や反抗心から憎しみへと変わる愛、自己嫌悪から自分に似た肉親を憎む愛、死すら望む憎しみは全て愛するがゆえの憎悪であるということか。
傍観者であり続けたマリアンが愛と憎悪の狂気に埋もれた孤独な家族を見て何を思ったのか、全てを総括した「ベルイマンの解答」らしきラストシーンがとても感動的。
RW
4.0
 ベルイマン最後のあいさつは、やっぱり家族地獄映画で、やっぱりクサレ縁女優リヴ・ウルマンに託された。あの『ある結婚の風景』の続編であり、ウルマン演じる主人公があのあと案の定離婚していた元夫を久方ぶりに訪ねていくところから映画は始まる。

 そこから繰り広げられるのは、元夫の家族を交えた会話劇だ。元夫婦、元妻と元夫の娘、父と娘、父と息子、祖父と孫…など歪な1on1が各章に割り当てられて進んでいく。元夫の第二の家庭もいろいろボロボロなのだけれど、その中心にはぽっかりと空いた「喪失」がある。その不在を誰もが乗り越えられておらず、そのために依存しあい傷つけあっている。というか、不在そのものに依存している。各画面に配されたボルドーは徐々に血の深紅に見えてくる。そこへふと外からやってきた主人公は、もちろんその穴埋めなどできるわけもないながらも、少しだけ場を動かす役目を果たすことになるのだ。

 『サラバンド』とはもともと男女ペアなど複数人で踊るための舞曲を指すが、今作で使われるバッハのそれはチェロ無伴奏曲。孤独や孤立が強調されるようでもあるし、たとえ結婚や家族という「踊り」を共に演じているようでも、自らの振りに必死な瞬間瞬間は常に独りなのかもしれない、という感覚を呼び起こす。

 ベルイマンさんの映画を観ていると、たとえ自分が親や子供や配偶者や…に十分な愛情を持てていないと感じていたりしても「まあそれでも別にええか」って思えてくるから好きである。彼の映画の中の人々は(もちろん今作も)そんなモヤモヤを遥か上回るドロ臭さで怒ったり呪ったりしてくれるからだ。

 特に今作における父から息子への通告(「おまえは無だ」)はほんとに酷くてもはや笑ってしまう。ベルイマンが従来取り上げてきたテーマ的には、これを造物主たる神とヒトの間にある不信の喩えとして解釈しても良いのだろうけれど、ある意味では呪縛を解き放つようなメッセージにきこえなくもない。じゃあもうお互い勝手にしようぜ、的な。

 ラストの着地もまた、一時の優しさに触れつつ結局は孤独である。でもそのぶん優しさの想い出は際立ち、主人公もまた少しの解放を得る。近づいてはまた離れ、次は他の誰かの手を取ったりもしつつ、またいつかは近づくかもしれない。そんな終わらない引力に振り回されながら、誰もが不恰好に踊り続けている。

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