冬の光の作品情報・感想・評価

「冬の光」に投稿された感想・評価

牧師が主人公なだけあって、ど正面から信仰の問題を取り上げてる。
静かな場面が多くて眠気を誘う感じもあるのだけど、死体と向き合うシーン、川の流れの音で会話が聞こえないところとか眼がさめるような気持ちになった。あとはもうイングリッド・チューリンがほんと良い。あんなに牧師に酷いこと言われても、そばにい続ける健気さ。最後の教会のシーンの彼女の横顔の神々しさ。「勇気をください」という言葉に震える。神は人を救えないかもしれないけど、人の愛は人を少しは救えるんじゃないか。ラストがお気に入りの一本です。
Miho

Mihoの感想・評価

3.8
ガラガラの教会で数人の信者相手に、神への猜疑心満載の牧師が説法する空間の虚無感と冷ややかさよ。約90分枕元でこんこんと、この世には神もいないし愛もないって囁かれてる気持ちになる。
雪の降る静かな日の昼にもう一度観たいな
「処女の泉」にも増して宗教色が強い。神の沈黙三部作の中でも特に重苦しく苦い後味の残る映画で鑑賞後はノイローゼになること間違いなしである。はっきり言ってこの世界は病んでいます。
すべて台詞だけで完結するような話。でも冬の強い光に包まれた女性の横顔の美しさは目の奥に残った

このレビューはネタバレを含みます

「ベルイマン生誕100年映画祭」にて鑑賞。「神の沈黙」三部作のひとつである本作を含む4作品が特集上映分類の「中期Ⅱ」。

自分的には本作は2通りの解釈があると思うけれど、それを考えるために以下からストーリーについて、ちょっと詳しめに書いてみる(①~⑫までの部分。本作を観ていない人はこれ以降はスルーが吉です)。

①スウェーデンの漁村で牧師をしているトマス。彼の教会へ礼拝に来る人はまばらで、来ている人も惰性な感じで熱心さはなく、この村では信仰心はかなり薄れているようだ。最愛の妻に先立たれてから失意のどん底にいるトマス自身も神の存在に対して懐疑的な模様。

②そんなトマスのもとへ漁師のヨナスとカリン夫婦がやって来る。ヨナスは新聞で中国が核兵器を持つことを知って以来、不安で怯えているという。トマスは気の利いたことが言えないけど、カリンは2人でいったん家に帰った後、ヨナスだけよこすからよろしく、と。

③神を疑っているにもかかわらず、ヨナスに心にもないことを言って悩むトマスのもとに恋人のマルタがやってきて「神の沈黙なんてバカバカしい。神なんていないのに」と。マルタが帰った後、トマスは「あなたを愛してる。あなたが生きる目的であり、私の人生の意味だと分かった。でもその愛の伝え方がわからない」という趣旨のマルタの手紙を読んで苦々しい顔をする。

④再びヨナスがやって来る。トマスはヨナスに自殺願望があることを悟るけれど、牧師として適切な言葉が出てこないから、スペイン内戦でトラウマを負った自分を救ってくれた最愛の妻が亡くなり人生に絶望しているけど生きている、と言って励まそうとする。

⑤しかし、ヨナスはこんなヤツと話しても無駄だとばかりに帰ろうとするけれど、焦るトマスは「神なんていない。人は死んだら何もかもなくなるだけなんだ」と牧師としてあるまじき身も蓋もない自分の本音をぶちまけてしまう。

⑥ヨナスが出て行ったあと「オー、ジーザス」みたいになっているトマスに強い光が射し込んでくる。そこへマルタがやってきて、光を見てガックリと膝をつくトマスにもとに寄り添うとトマスは言う。「解き放たれた、やっと。心のどこかで願っていた。気の迷いだ、夢だと」。

⑦するとヨナスが自殺したという知らせがきて、トマスは車で現場に駆けつける。追ってきたマルタが住んでいる小学校(マルタは小学教師)に送ると、忘れ物を取りに来た生徒とトマスが会話する。その内容は、この村には信仰がなくなっちゃうんだな、ということを感じるもの。

⑧マルタは風邪のトマスに薬を飲ませた後、結婚してくれと懇願する。するとトマスは絶対ヤダ!と、マルタの嫌いな部分を次々にあげ、とても酷く断る。にもかかわらずトマスは、ヨナスが自殺したことを妻のカリンに告げに行くけどお前も行くかとマルタに言い、マルタはマルタで私がどう答えるか知っているでしょ、みたいな感じで彼女が車を運転して一緒に行く。

⑨カリンのもとに着いたトマスはヨナスが自殺したことを告げ、祈りを捧げようかと言うものの、カリンは断る。夫が救われなかったことで、信仰心が完全になくなってしまったのかも。

⑩トマスが教会に戻ると、鐘つきのオジサンが話しかけてくる。聖書を読んだけど、キリストも死を前にして神に疑いを抱いたんじゃね、神の沈黙がつらかったはずだ、というような独自の解釈を開陳する。

⑪酔っ払ったオルガン弾きの男がやってきて、マルタに今日は誰も来ていないから礼拝は中止だなと話しかける。そして、トマスが亡くなった妻に「神は愛、愛は神、愛があるから神はいる」みたいな話をしていたけれど、妻に浮気されたんだよ、とばらす。

⑫鐘が鳴る。マルタが祈る。トマスはため息をついて立ち上がる。トマスは礼拝堂にたった一人しかないないマルタに向かい、神を称える言葉を述べ始める。

ここまでが物語の内容だけど、まず思いついたのが次の解釈。

牧師のトマスは、12使途の1人でイエスの復活を疑った「不信(疑心)のトマス」をモデルにしている。トマスの神に対する懐疑は物語の初めも終わりも変わらない。核兵器が一瞬にして世界を破壊してしまうかもしれないこの時代において信仰することは困難であり、トマスは誰も来ない教会で仕事としての礼拝を機械的にこなしているだけ。神は沈黙しているのではなく、いないんでしょ、と。

こう考えた際に、自分的に引っかかったのが⑥のシーン。ここでトマスは「解き放たれた、やっと。心のどこかで願っていた。気の迷いだ、夢だと」と言っているのだから、彼の内面に何か起きていると考える方が普通だと思う。それは神がいるのか、いないのか、どちらかの確信を持ったのではないか、ということ。先の解釈に従えば、神はいないと確信を持ったと考えるのが普通だろう。

しかし12使途の「不信(疑心)のトマス」は、他の弟子に聞いたイエスの復活について、イエスを自分で見て、処刑の時の傷口を触らないと信じないと言ったものの、イエスがこつ然と現れ「信じないものではなく、信じるものになりなさい」と言って彼に傷を触らせたことで、トマスは「わたしの主、わたしの神よ」とその復活を信じた。

そしてこの話が載っているヨハネの福音書には、イエスが「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」と語ったという話も載っている。

つまり、⑥での強い光は神ではないのか。あのシーンでトマスは神を見て、神はいると確信を持ったのではないか。そういう前提で、それ以降のシーンを考えてみる。

⑧結婚を懇願するマルタに対し、何もそこまでと思うような物凄い勢いで断ったのは、神はいるのだから愛もあるはずとして、マルタの「無償の愛」を確認したのではないか。そしてマルタはあんなにひどいことを言われてもトマスを愛することをやめていないように見える。

⑩および⑪の神の存在を疑うようなシーンは、観客をミスリードさせようとするラストへのつなぎ。

⑫のラストシーンは、鐘つきのオジサン、オルガン弾きの男のほかは関係者ともいえるマルタしかしない、つまり信者が1人もいない状況で礼拝をするというのがポイントなのだと思う。

もしトマスが神がいないことに確信を持っているのであれば、礼拝はやってくる信者のたに行うものであり、信者が1人も来ないのであれば、仕事としての儀式を休んでもおかしくない。反対に神がいることに確信があれば、礼拝はそもそも神のために行うのものであるのだから、例え信者が1人も来なくても、行うのが当たり前である。

そして目の前にはトマスに無償の愛を捧げるマルタ、すなわち神がいるのである。だからラストシーンはトマスが神の存在を確信していることを示しているという見方もできるのではないか、と。

本作鑑賞時に結構寝落ちし、内容の把握をネットに頼り、しかもキリスト教についてもググったり、本をちょこっと読んだだけの浅薄な知識しかない自分なので、正直いって内容把握もこれで良いのか納得感はイマイチで、神がいるという解釈もちょっと強引な気もする。本作はもう1回観ようと思っていて、感想を書き足すかもしれない。
茶一郎

茶一郎の感想・評価

4.1
 ベルイマン初期作『牢獄』に「広島の原爆から始まったこの時代は、悪魔が世界を引きずり回し、人々を操っている」というセリフがありました。『第七の封印』以後、ベルイマン作品に一貫するその「世界の終末観」、「日常になった地獄描写」が特に顕著に、寒々しい冬景色として映画全体を支配しているのが本作『冬の光』です。

 前作『鏡の中にある如く』から始まる、「神の沈黙・不在」を嘆くベルイマンの「神の沈黙三部作」。この三部作は、敬虔なキリスト教司祭であった父に抑圧的な生活を強いられてきたベルイマンの父(イコール神)への反発が現れた「だから俺はオヤジが嫌いなんだ三部作」と言い換えることができると思います。
 そして本作『冬の光』は、ベルイマンのトラウマであるオヤジが主人公の作品であり、まさに物語はそのオヤジの説教から始まります。
 本作の主人公であるトマスは「売れない牧師」、信者のいない教会を回りガラガラの教会で神を説いている牧師です。信者はもちろんのこと、トマス自身も妻を亡くした事から神の存在を疑うようになり、神の沈黙を嘆いています。(もちろんのごとく、ベルイマン作品でダメダメ父兼信仰者を演じるのはグンナール・ビョルンストランド)

 前作『鏡の中にある如く』では間接的にネチネチと、父への批判をしたベルイマンですが、この『冬の光』では亡き妻とトマスが抱えている愛人から直接的に父を批判していき、観客はただトマスが追い込まれていく様子を見続けます。いやはや『冬の光』は非常に辛い「神父はつらいよ」、「神を信じまったモンはつらいよ」型ムービーでした。
 愛人を多く持っていたベルイマン。ある種の表現者として観客の動員を気にするトマス。『野いちご』、『鏡の中にある如く』同様、ベルイマン父のアバターは父とベルイマン自身が融合した奇妙なものになっているようにも思います。そう考えると『冬の光』は自虐的な作品に見えます。

 『牢獄』での原爆、『第七の封印』におけるペスト、それらは『冬の光』において中国の原子爆弾に置き換えられ、世界の終末観を強調していきます。
 この地獄の中で主人公が見るのはタイトルにある「冬の光」です。神の「沈黙」こそ神の受難であり、神の唯一の言葉は、神の「沈黙」である、と。
NOOO000ooo

NOOO000oooの感想・評価

4.0
ベルイマン「神の沈黙三部作」2/3の今作はとんでもなくアナーキーだった。かつてジョンレノンがGODという有名な楽曲で「神なんて僕らの悲しみを測る概念の一つにすぎない」と歌ったのは今作と同じ意味だよなと思うのだけど。
ベルイマンも宗教も語れるほどわからないという前提で、ベルイマン自身が牧師に代弁させているとしたら、この時代(62年)にI don't believe in Jesusという胸の内をカミングアウトしたのは、過剰な信仰の反動からくるリアリズムかもだけど、ついでだから君のことも愛していないし愛なんて信じないと告白する牧師に扮した苦悩たるや、詐欺な商品を「これは凄い商品だから買うべきだ」と語る良心に揺れるセールスマンの苦悩や、自分の本意じゃないし全くいいと思わないけど仕方なくスポンサーの意向で、、、な映像作家のそれと同列にありながら遥かに難易度が高くアナーキーなカミングアウトに感じる。
密室での会話が多く、ようは映画としては退屈でそれが低めのスコアに反映するのは仕方ないけど、創造主が弟子たちに何年も説き続けたことが何一つ伝わっておらず結果裏切られるという有名な聖書のお話は、巡り巡って今作の中核をなし、現代でも続く、いわば人間の性のループは悲しみを測るメジャーの一つであり他作と比較してもとんでもなくえげつない。
Kan

Kanの感想・評価

3.9
神の沈黙というベルイマンのテーマをわりとダイレクトに扱った映画。タイトルの通り、ベルイマンは光の使い方がすごい。ただ正直言って、ほかのベルイマン作品に比べてやや物足りない印象が残った。
y

yの感想・評価

4.7
2度見してしまった。
ライティングも素晴らしい。
怖がらなくてもいいかもしれない(中国の原爆)ことで
神経をすり減らしなんとか生きてる人は、神の庇護で守ってもらってる希望を頼りにしていたであろうに、
マッタの手紙で自分や現実を突きつけられたあと、
あさり神なんていない。でも自分をごまかして牧師を表面辛続けてきただけだと自分の告解を牧師自身がしてしまう、そのあとに、相手は自殺。
現実を向かせる女性にひどい言葉を吐く。
神を信じない自分を突きつけられて苦しむからこの女から離れようと思ったのか。
ベルイマン生誕100年映画祭3作目。
これ神の沈黙3部作といわれている2作目だとか。
牧師は苦悩するがよく分からない。神とか信仰を第一に生きているはずだが、最初に妻への日常の不満を強烈にぶちかます。
聖職者ってそんな心が狭いのかいとツッコミたくなる。
神へ奉仕する身で煩悩に支配され過ぎ感が理解できない。
きっとそれは的外れでそうではないのだろうなとも思いますが。
ちょっと聖職者にあるまじき憤懣に違和感。
途中記憶が飛んだので機会あればまた鑑賞したい。
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