ニューヨークの汚れた雑踏の中、1台のイエローキャブが汚れたビルのそばに横付けする。『アメリカの友人』の冒頭とまったく同じカット割りで本作は始まる。だがタクシーに乗っていたのはデニス・ホッパーではなく、ヴィム・ヴェンダースである。エレベーターのないビルの階段をやっとの思いで昇ると、そこにはニコラス・レイがいた。『アメリカの友人』で出演を依頼してからというもの、ヴェンダースとニコラス・レイのやりとりは数年に渡って続いていた。次作『ハメット』は3度目の脚本の書き直しを余儀なくされ、2ヶ月間暇を持て余したヴェンダースは、レイに2人で共同監督の作品を撮ろうと提案していた。『アメリカの友人』のほとんど完璧な才気溢れるファースト・シークエンスを再現した後、あの豪快でオーラと迫力に満ち溢れたレイが登場するはずだったが、彼は末期のガンに侵され、3度目の手術を終えた後だった。ヴェンダースは久々に再会した師のすっかり弱り切った姿に心底戸惑う。ほとんど寝たきりのニコラス・レイは、たまに目を覚ますと肺がんの患者が絶対にやってはいけないタバコをぷかぷかと燻らし一息ついた後、これから撮ろうとする映画の構想を練っていた。それと同時に72年から教壇に立つ男は、撮影の合間に授業へと向かった。

　映画は冒頭の確固たる名場面の後、しばし迷走する。それはこのまま彼をフレームの中に収めるべきか？否かというヴェンダースの道徳的逡巡だったのは明らかだ。身体は明らかに痩せこけ、顔色も優れず少し歩くだけでも体力を奪われるニコラス・レイの姿はとても1本の映画を撮れる状態にはなく、役者としてもカメラの前に立つのがやっとだった。80年当時のアメリカのがん治療がどの程度のレベルにあったかは推し量ることしか出来ないが、もはや放射線や抗がん剤の投与を標準治療とする段階は過ぎ、緩和ケアをしながらゆっくりと死を待つタイミングだったのではないか。度重なるアルコール中毒や『北京の55日』での心臓発作。1911年生まれの戦前世代のレイは何度も死線を彷徨い、そこから見事に復活を果たした。だが奇跡はもう起こりそうにもない。末期がんの患者を演じているはずが、それよりも遥かに早いガンの進行に彼の身体は文字通り悲鳴を上げていた。それでもヴェンダースは敬愛する監督の為に、じっと黙ってカメラを回し続けた。

　死を持ってENDを迎えるはずの映画だが、そこには幾つかの死後の操作が巧妙に付け加えられる。その作為的な部分にヴェンダースは自身の夢の中にニコラス・レイが現れたというフィクションの演出を施す。年老いた監督の「カット」の掛け声の後、ヘリからの空撮は大海原を進む襤褸船をロング・ショットに収める。死者に鞭打つような演出だと眉を顰める者も当時は多かったが、天国のニコラス・レイはそれで良いのだと言い放ち、葉巻に火を付けながら高笑いをしているはずだ。2021年現在、ヴィム・ヴェンダースはニコラス・レイが死んだ67歳をとうに追い越し、75歳になった今もなお監督を続けている。死線を彷徨う年老いた監督の姿をいま、彼よりも年老いた老人が振り返っている。時間の流れはどこまでも残酷でまったく容赦がないし、映画監督の高齢化問題はヴェンダースにも情け容赦なく襲い掛かっている。

単刀直入に凄い作品。
分かりやすく言うと劇映画とドキュメンタリー映画を融合させた作品。
病で死期迫るニコラス・レイ監督が衰弱していく様子をカメラに収めた作品。
これだけを聞くと完全にドキュメンタリー映画を連想しますが、3、4割くらいはしっかり台詞があって演技をするシーンがあるという他に類を見ない凄い映画。
観ていて正直ヴィム・ヴェンダース監督とニコラス・レイ監督のファン限定の作品かなと思いましたが、少し俯瞰で観てみるとそんな事は無く、哲学的な台詞やロードムービー的な映像美等様々な視点から楽しめる作品となっている。
一つ一つの描写に焦点を当てて観た時と映画全体を俯瞰で観た時で感じ方が変わると思うし、鑑賞者の人生によっても感じ方が変わると思います。

監督という2人のクリエイターの日常と制作の融合。彼らにとってこれは紛れもない"今、現実"なのか。作られた無軌道ではなくありのままの無軌道と、その根底に漂う本物の死。

娘との再会に感激する死際の老人、それを寝台の横に置いた黒猫に眺めさせるなんて発想は一体どこから出てくるのだろうか。