これはあれですね、まさに「男と女と一台の車があれば映画が撮れる」ってやつですね。まぁ撮ってないし、ヌーヴェルヴァーグしてないし、もっと普遍的なラブストーリーかつメロドラマで、生命の循環のお話なんだけど。ガイ・マディン『The Green Fog』は限定的な条件下で一本の映画(『めまい』)を再構築する試みだったけど、こちらはかなり自由に一本の独立した映画作品を目指して、古今東西あらゆる映画をピースとして用いてパズルを完成させている感じ。思わずどっちが楽で簡単なんだろうかと考えてしまうけど、どっちも楽じゃないし簡単でも無いなこれは、気が遠くなる作業だし権利問題クソめんどくさそう。英語字幕しか付いて無いってんで「分からなかったどうしよう!」とお母さんの退院が一旦中止になった時のサツキばりに半ベソかきながら観たけど、英検3級の俺でも分かったし、ちょっと何か言ってんのか分かんなくてもストーリーはめちゃくちゃ分かりやすいから安心してご覧ください、無料やし。グロテスクかつエロティックな食事シーンがなんともパールフィ・ジョルジっぽいし、そのあとのSEXシーンの繋ぎがエロ過ぎる。ヨーダがババア扱いされてんのはウケた。
最近でも『Just Don't Think I'll Scream』『★』『State Funeral』、少し遡れば『The Green Fog』『Revue』『死に至る星条旗』のように既存の映像作品を別の文脈に組み替える作品は存在し、それぞれに監督が勝手に縛りを加えていたが、本作品にはそれがない。それによって普遍的すぎる物語が生成されてしまったため、"映画って結局こんなものでしょ"と単純化してしまっているように思えた。結局、映画は単純化されたプロットを物語ることだけに終始してしまい、再構築の楽しさとの化学反応が起こっていないのだ。これじゃあバビ語喋ってるの聴いて元の文章を推測するってだけじゃないすか。モンタージュ映画の限界点を見せつけられているようで悲しくなってくる。その点、『めまい』の再構築であるとか、無職になった現状を語るとか、アメリカの歴史を再構築するとか、そういった共通認識の下で別のものを再構築する方がより高次の議論が出来るのだろう(それはそう)。
あと、この映画には思想が感じられなかった。監督が映画の中にいないみたいな感覚的な部分から、連想ゲーム以下のレベルで繋がれた動作線、切り返しに至るまで、まるで魂が抜けているかのようだ。ロズニツァのファウンド・フッテージものや『The Green Fog』はプリミティブな形のモンタージュ理論を実践していたが、本作品は意味もなくシーンを細切れにしすぎているし、一つの情報に対する映像も多すぎる。