【Beyoncéの『Black Is King』(2020)を"誰もが"乗り越えるための予習①】ーーー
時系列から説明すると、私はBeyoncéが好き(?)なのでDisney+で先程配信されたMusical film & Visual albumという『Black Is King』(2020)を心待ちにしていた訳です。Official Trailerを観た訳ですよ。☞ https://youtu.be/69MO7yU0d70 その後、Filmarksで「ブラックイズ」と検索したら、直前まで観てたトレイラーに酷似の映画のジャケットが見えたので、何❓ってスマホをスクロールする指がピタッと止まったんです。それがこの映画。
Filmarksのいくつかのユーザーの方、貴重なレビューありがとうございました✊🏻
Ousmane Sembène監督『La Noire de…(英語表記: Black Girl』(1966)のトレイラーも確認…したら…wow❣️Martin Scorseseがコメントしていたよ☞ https://youtu.be/mnN5Scc3ldY
約50本の映画が修復の対象となり、アフリカや世界の映画ファンと共有されることになります。 その最初の作品である『Soleil Ô』は1970年に製作され、今年のカンヌ国際映画祭で上映されました。 モーリタニア人監督メド・ホンドの作品で、最近オスカーにノミネートされた作家ジェームズ・ボールドウィンのドキュメンタリー『I Am Not Your Negro』と多くの共通点があります。
「センベーヌの情熱的な反植民地主義を考えると、『ブラック・ガール』が製作されたのは、1963年にドゴール政府のMinistry of Cooperation/協力省によって設立されたフィルム・ビューロー(アフリカの映画製作者に技術的・資金的資源を提供するために設立された組織で、『ボロム・サレット』〔1963〕でセンベーヌを支援したことから始まった)のおかげではなく、それにもかかわらずであったことは、非常に重要であると思われる。 理論的には、映画局は支援した映画製作者の題材の選択を自由に決めることはできなかった。 それにもかかわらず、映画史家のマンシア・ディアワラが言うように、「センベーンはフランスの援助技術がアフリカの安い労働力を使っていることを、新しい奴隷制度の形態と同一視していた」からである。 (路上のアフリカ人女性の中からフランス人の妻がヒロインを選ぶシークエンスは、奴隷市場を連想させるものである)。 言い換えれば、ディオアナのパトロンへの不満の話は、映画局自身のひいきやひいきの態度に明らかに関係していたのである。 (センベーンのポストコロニア的父権主義としての慈善事業や外国からの援助への憎悪は、彼の作品にも貫かれており、『グエルワール』〔1992〕では不可欠な部分を形成している)。」
とか
「アンドレ・ズウォバダ ー ジャン・ルノワールの旧友であり同僚であり、30年代にはルノワールの共産主義ドキュメンタリー『La vie est à nous』の執筆に協力し、『ゲームのルール』の助監督を務めた。60年代、ズヴォバダはフランス政府のニュースリール・サービス『Actualités Françaises』のメインエディターを務めていましたが、映画局の父権主義を軽蔑していたセンベーヌと同じように、『Black Girl』の製作とポストプロダクションをフランスのActualités Françaisesで行うよう手配しました。」
とか、興味深い文章を見つけることが出来ました。
『Black Is King』(2020)の中で語られる"Community"の概念については、ほとんど同意出来ないのだけれど、『La Noire de…/Black Girl』(1966)におけるCommunismとの関わりに関してはとても揺さぶられるものがありました。
流石、マルクスとコカコーラの子供たちの翌年🥳🧐
勿論、『Black Is King』(2020)は、Beyoncéは、そういった主題からさらにさらに飛翔していく✊🏻✊🏼✊🏽✊🏾✊🏿
1つ前のレビュー、David Robert Mitchell監督の『Under the Silver Lake』(2018)から、徹底的な自己批判をしたアート作品こそが、後世まで残る素晴らしいモノなんじゃないか、という視点が自分の中に生まれてしまって。そこから何度も観直して、いつもR.E.M.の「What's the Frequency, Kenneth?」(1994)が掛かるところで心の底から感動しまくるんです。 そこからどんどん連想するのか、何なのか、ここ最近、Mitch Ryderというシンガーのことばかり考えています。Martin Scorseseの『The Irishman』(2019)(Netflix)のことも。その話はまた追々。
引用と参照の嵐、、今回もお粗末様でした。
Diouana and Africa and the mask and the boy have finally become one, an indissoluble and unbearable human fact staring us all in the face. It’s at this point that African cinema begins. - Jonathan Rosenbaum